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Column with 証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 ー2ー
音楽に目覚めたころ

証言で綴る日本のジャズ 3

COLUMN
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証言で綴る日本のジャズ3

川崎 燎

第2話
音楽に目覚めたころ

 


 
——音楽との出会いは?

 ぼくの音楽教育について話せば、最初はヴァイオリンと声楽。小学校に入る前にソルフェージュをすべて学んだから、譜面のほうが日本語の字を学ぶより早かった。それが音楽との触れ合いで、小学校の四〜五年のときに、友だちの兄貴がウクレレ好きで、それを見て「いいな」と思って、弾き始める。ヴァイオリンをやっていたせいか、すぐに馴染めたんです。中学の初期もそんな感じで。ひと前で弾くのが好きだから(笑)、学校に持っていって、見せびらかせて。

——ご両親は音楽が好きだったんですか?

 父はハワイで音楽を教えていたっていうんですよ。それから上海で外交官をやっていたころも音楽を促進することに貢献していたみたいだけど。でも父とぼくとの関係の中で、音楽はまったくなかった。

——4歳で声楽、5歳でヴァイオリンのレッスンを受けるようになったのは、どなたかが「やりなさい」といったんですか?

 母からは「ピアノとバレエを習え」といわれたけど、「そんなのは女の子がやることで、男のやることじゃない」といって、声楽とヴァイオリンにしたんです。

——川崎さん自身も「音楽を習ってみたい」気持ちがあった?

 父がFENばっかり聴いていたことも大きいですね。FENはアメリカのジャズをよくかけていて。母はロシアン・バレエが好きで、チャイコフスキーとかいろんなものにぼくを連れて行く。だからぼくは、クラシックとジャズとポップスと、それプラス日本の歌謡曲。それら4つのジャンルが自分の中には並列で入ってきて。鼻歌なんかも歌うのが好きだから、歌謡曲も歌っていたし、英語の歌もうたっていた。

——ウクレレではハワイアンを弾いていた?

 当時、『ハワイアン・アイ』(注3)というテレビ番組があって、あれにウクレレの上手いひとが出てくるのね。それがすごく刺激になって、あの程度は弾けるようになりたいと思いました。ハワイアンから入ったけれど、ラテンとかポップスとか、最初に始めたのはポール・アンカやニール・セダカやコニー・フランシスとかだから。その時点で、そういうものをいろいろ学んだわけですよ。

——歌はうたわなかった?

 好きで歌ってました。シナトラとナットキング・コールが大好きで、風呂場でまねして練習してたのを覚えています。それから青学の中・高等部では聖歌隊にも属して六年間讃美歌を毎日歌っていました。

——一方で、天文学や電気関係にも凝って

 子供のころから好きでした。電気関係は鉱石ラジオ(注4)から始めて、それがゲルマニウム・ラジオ(注5)に発展して。中学に入ると真空管を使ったオーディオ・アンプとかチューナーとかトランスミッターとか。ぼくはアマチュア無線が好きで、CQ、CQ(注6)もやっていて。自分の名前で放送局みたいなのを作って、いろんな音楽をかけていたんですよ。いまでいうDJです。

 そういうことが好きで、ブロードキャスターですか? ほかのジャンルもやるけど、音楽主体のね。そういう体質があるみたい。それからオーディオも好きだったから、いろんなレコードをよりよい音で聴けるようになりたい思いで、オーディオ・アンプやスピーカーを作ったり、ターンテーブルも自作したり。

——それが中学のころ?

 中学ぐらいまでで、小学校のころにはほとんどやっていました。そのころ面白かったのが秋葉原通い。あれは異常なところですよ。ぼくは東京に住んでいたから自然に思っていたけれど、世界のどこに行ってもああいう場所はない。

——川崎さんは小学生のときから秋葉原通いで。

 小遣いをもらっては、部品を買いに行って。

——模型にも凝っていたとか。

 戦艦に凝って、そういうのも作っていました。

——木を削って? それともプラモデル?

 戦艦大和やミズーリなんかのキットがあったんですよ。だけど飛行機、あれはエンジンを始動するのにプロペラを指で回すでしょ。それだけはやらなかった。通っていた模型屋の親父さんがそれで指を全部失くしているから。

——ラジオの組み立てに話を戻しましょう。

 たしか、中学に入って少し経ったときだと思うけど、NHKでFM放送が始まって(注7)。それが聴きたくて、FMチューナーを作って、聴いてました。それと天文学もあるんだけど(笑)。ぼくは望遠鏡作りも好きで。

——それもキットで?

 いや、本で見て、レンズや筒の材料を集めたんじゃないかと思うんです。望遠鏡のキットはあったのかなあ? あれも反射望遠鏡(注8)と普通の望遠鏡とがあって、両方を凝って作って。やっぱり月や火星が観られたときは感激したよね(笑)。

 
(注3)ハワイがアメリカ合衆国50番目の州となった59年にABCテレビで放送開始。日本でも63年にTBSで放映。ハワイを舞台にふたりの探偵が活躍する物語。

(注4)鉱石検波器により復調(検波)を行なうラジオ受信機で、真空管やトランジスタなどのいわゆる能動素子による増幅を行なわない無電源のラジオ(受信機)。

(注5)検波器にゲルマニウムダイオードを用いたラジオ。電池などを使わず、電波のエネルギーだけで聞くことができる。

(注6)無線通信において、通信可能の範囲内にあるすべての無線局を一括して呼び出す、あるいはそれらに対する通報を同時に送信しようとするときに用いられる略符号。

(注7)1957年12月24日に実験放送開始。当初はモノラル放送だったが、63年12月16日には実用化試験局となった東京局でステレオ放送を開始。

(注8)鏡を組み合わせた望遠鏡。


 


第3話に続く



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PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。