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Column with 証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第4話「大学に入って活動が本格化」 川崎 燎 ー4ー
川崎 燎 第4話「大学に入って活動が本格化」

証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第4話「大学に入って活動が本格化」

COLUMN
INFORMATION

証言で綴る日本のジャズ3

川崎 燎

第4話
大学に入って活動が本格化

 


——大学は日本大学の物理学部ですね。ミュージシャン志望ではなかった?

 物理学の教授になりたくて日大に入ったんです。担任の藤井先生がノーベル賞の候補になったんですよ。数学の天才だったけど、うつ病かなにかで、ノーベル賞が獲れる寸前に自殺しちゃった。そういうことがあって、「これはヤバイな」というか、「なにか、あんまり面白くなさそうな仕事だなあ」と思ってね。

——かたやミュージシャンもやっていました。

 麻雀にも凝っていたんです。学校に行かないで麻雀ばかりやっていて。それから日大は日大闘争で、ぼくが卒業する年は全員が追い出されたの。卒業論文もなんにもなしで、「とにかく出てくれ」。それで卒業できちゃった(笑)。

——ミュージシャンとしては高校時代にキャバレーやクラブみたいなところから始まり、徐々にジャズのギタリストとしての活動をしていく。

きっかけは、ぼくより五つくらい歳上でギターをやっていた横田さんというBGMを作るTBSミュージックのひと。横田さんは池袋の「アンデルセン」という喫茶店に集まる仲間の代表みたいなひとで。彼の会社がTBSの中にあって、アルバイトで「来ないか」と誘われて、そこで毎日テープ編集をやるんです。

 その横田さんの友だちに苫米地というサックス奏者がいて、彼も「アンデルセン」仲間だったんです。苫米地さんは築地にあったビクターのエンジニアで、今度は彼に「ビクターのレコード・スタジオでアシスタントをやらないか」と誘われて。ぼくはギタリストだけど、録音エンジニアでありプロデューサーでもあるし、作曲家でもある。それらの基礎が、このころの経験で培われたと思っています。

——そこでアンデルセン・グループというバンドを作られる。

 いろんなひとがいたんですよ。筒美京平(注15)はご存知ですよね? 本名は渡辺栄吉だから、「えいちゃん」と呼んでいたけど。オスカー・ピーターソンのようなピアノを弾いて。いソノてルヲ(注16)さんの経営していた自由が丘の「ファイヴ・スポット」で彼が演奏していて、ぼくも飛び入りでやったことがあります。

 そのえいちゃんがいちばん歳上で、弟のター坊がドラマー。苫米地さんがサックスで、ベースには東大の春日井君とか早稲田のダンモ研の高橋直(ちょく)。あとはみんなジャズが好きだったけどジャズの道は選ばず、普通の会社に勤めたひとたち。「アンデルセン」のママさんのご好意で、日曜日にジャム・セッションをやらせてもらっていたんです。それが大学の始めごろ。

——渋谷にできた「オスカー」で演奏していたのがこのグループ?

 そのあとに「オスカー」がオープンして、そこに学生バンドが出始めるんです。いちばん注目されていたバンドが早稲田のダンモ研で、増尾好秋(g)とチンさん(鈴木良雄)とドラムスとベースのグループ。チンさんは当時ピアニスト、でベースは高橋直だったかもしれない。

 ぼくらも「アンデルセン」のバンドで出ようというので、ぼくがグループを結成して、当時東大のベーシスト春日井真一郎君と、藤田英夫君というピアノ、それからドラマーは……ああター坊だろうな、それで出演し始めたんです。そのあとに「JUN CLUB」というダンモの喫茶店が池袋にできて、そこもアンデルセン・グループで出始めたけど。

——そのころに影響を受けたギタリストは?

 たくさんいますよ。TBSミュージックでバイトをしていた間はTBSのライブラリーにあったレコードを家に持って帰れたんです。それでありとあらゆるギタリストのレコードを借りて、家でテープに録音して。レコードの出ていたギタリストはほとんど聴いていましたね。

 好きだったのはケニー・バレルとウエス・モンゴメリーとグラント・グリーン、それとジム・ホールあたりかな? ラリー・コリエルも、そのころにはチコ・ハミルトン(ds)やゲイリー・バートン(vib)とやったレコードが出てたかな? もう少し経ってジョン・マクラフリン(g)が出てきて、それも面白いなと思いましたけど。

——日本のギタリストでは?

 銀座にあった「銀巴里」に高柳(昌行)(g)さんが出ていて、そこには武田和命(ts)、冨樫雅彦(ds)、山下洋輔(p)なんかも出ていたから、面白いと思って、しょっちゅう観に行っていたんです。「タロー」にも入り浸って、小西徹(g)さんや杉本喜代志(g)さんがカッコいいなと思って、観に行ってました。TBSでも、横内章次(g)さんや沢田駿吾(g)さんとかがやっているのを、ファンとして観に行ったりして。観に行けば触発されるし。そういうことがあって、だんだん成長していったと思うんです。

 あとは、どちらかといえばサックスやピアノからアイディアを受けていました。チック・コリア(p)、ウイントン・ケリー(p)、ハービー・ハンコック(p)、ジョー・ヘンダーソン(ts)、ウェイン・ショーター(ts)、ジョン・コルトレーン(ts)とか。ピアノもちょっと弾けたから、そういうひとたちの演奏を採譜して。

——「合歓の郷」で行なわれていたバンドのコンテストで審査員を務めていたのもそのころ?

 大学時代にそれの審査員になっていて。恵比寿にヤマハ振興会があって、そこに出入りしていたんです。ナベサダ(渡辺貞夫)(as)さんがトップの席にいて音楽理論なんかを教えていたけど、なぜかぼくがヤマハ振興会主催のコンテストで審査員に選ばれたんです。地区予選で全国を回って、合歓の郷はその最終審査。

 当時でもうひとつ記憶に残っているのは、エルヴィン・ジョーンズ(ds)が御茶ノ水の「ナル」に出演することになって、ぼくはまだ学生だったけど、エルヴィンが気楽にサインをしてくれたこと。彼は武田和命、稲葉國光(b)さん、ピアノは山下(洋輔)さんだったか大野雄二さんだったかで、セッションをやっていたんです。

——それは「ピットイン」ではなくて?

 御茶ノ水の「ナル」でした。それがエルヴィンとの最初の出会いで、その後にひょんなことから彼のバンドのレギュラー・メンバーになっちゃった。

——ぼくが60年代末に新宿の「ピットイン」で川崎さんの演奏を何度も聴いたのはアンデルセン・グループのあとの話ですね。

 どうやって知り合ったのか覚えてないけど、中村誠一(ts)のバンドに呼ばれて。森山威男がドラムスで、ベースは誰だったかな? そのバンドで「ピットイン」でやり始めるんです。なぜそうなったかといえば、中村誠一が山下洋輔さんのバンドに入っていたんで「ピットイン」とのコネがあったから。それで彼も「自分のバンドをやりたい」となって、ぼくに声がかかって。

 あとは宮田英夫(fl)さんのバンドでも「ピットイン」に出始めて。それと、酒井潮(org)さん。この前に来たときは一緒に演奏したけど、数年前に亡くなっちゃったのかな(2012年に死去)。

——そのあとは猪俣猛(ds)さんのサウンド・リミテッドと稲垣次郎(ts)さんのソウル・メディアでも大活躍されました。

 大学を卒業(69年)した当時はすでにサウンド・リミテッドとソウル・メディアと、あとは三保敬太郎(p)さんともいろいろあって、彼のやっていたNHKかなにかのラジオ番組でやらせてもらったり。三保さんとは『三保敬とジャズ・イレブン/こけざる組曲』(MCAビクター)(注17)も作りましたし、海老原啓一郎(as arr)さんとはパイオニアのステレオを売るためのプロモーションで全国を回って、沖縄まで行きました。


第5話に続く

 
(注15)筒美京平(作曲家 1940年~)日本グラモフォンで洋楽担当ディレクターとして勤務するかたわら作曲を始め、67年専業作曲家に。「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)、「また逢う日まで」(71年、〈第13回日本レコード大賞〉受賞)、「魅せられて」(79年、〈第21回日本レコード大賞〉受賞)などヒット曲多数。

(注16)いソノてルヲ(ジャズ評論家 1930~99年)アメリカ大使館勤務を経て評論家に。『ミュージック・ライフ』『スイングジャーナル』誌を中心に活動。コンサートの司会者としても第一人者となり、60年代以降は東京・自由が丘でライヴ・ハウス「ファイヴ・スポット」も経営。

(注17)メンバー=三保敬太郎(arr) 村岡健(ss ts etc) 鈴木武久(tp) 佐藤允彦(elp) 川崎燎(g) 荒川康夫(b) 猪俣猛(ds) 石川晶(ds) 村岡実(尺八) 楠本英顕(琴) 小島和夫(琴) 堅田喜久忠(鼓) 増田睦美(vo) 71年 東京で録音
 
 


 

PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。