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Column with 証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第6話「自分のバンドで追求した音楽は?」 川崎 燎 第6話「自分のバンドで追求した音楽は?」

証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第6話「自分のバンドで追求した音楽は?」

COLUMN
INFORMATION

証言で綴る日本のジャズ3

川崎 燎

第6話
自分のバンドで追求した音楽は?

 



——当時のシーンに身を置いて、感じていたことは?

 日本は誰々ふうにやると「上手い」という受け方をする。それも「嫌だなあ」と思っていました。それで今度はアメリカに行って、たとえばギル・エヴァンスがアレンジをした『ギター・フォームズ』(ヴァーヴ)(注25)をケニー・バレルふうに弾けば好まれるかなっていうと、ギルはものすごく嫌な顔をする。「お前じゃない」って。ぼくなりのスタイルで弾けば大喜びをしてくれる。そういう違いがあるんです。

——自分のグループで本格的なライヴ活動を始めたときの音楽は?

 ラリー・コリエルやジョン・マクラフリンがやっているような音楽を、ぼくは違う場所で自分なりにデヴェロップしてた感じで。御茶ノ水の「ナル」、新宿の「タロー」、池袋の「JUN CLUB」とかで始めるんです。森山威男や、つのだ☆ひろがドラマーで。

 そのころのぼくがいちばん触発されたレコードはマイルス・デイヴィスの『ジャック・ジョンソン』(コロムビア)(注26)。あのレコードにはただのロックじゃなくてファンクの要素も入っていたから、当時出ていたフュージョンの中でいちばん面白いサウンドというか。ぼくもそういうサウンドを自分のバンドでは追求して。

——川崎さんがジャズ喫茶で演奏を始めた60年代の終わりごろですが、渡辺貞夫さんや日野皓正(tp)さんを頂点に、日本のジャズがブームになったじゃないですか。それまでは隅のほうで演奏されていたジャズが急にテレビで取り上げられるようになった現象。それこそ川崎さんもテレビに出ていましたし、そういうドラスティックな変化は肌で感じていましたか?

 ぼくはその時期にプロの活動を始めたから、それが当然というふうに受け止めていて。でもそれ以前の、ジョージ川口(ds)さんのビッグ・フォアとかがすごく受けていた時代(注27)が頂点だったんじゃないですか?

——そのあと、ジャズは一般の人気から離れて、60年代の末にまたすごい人気を獲得しました。

 ぼく以前の状況は、本で読んだことはあっても、実際は知らないから。それでぼくがデビューしたころの話になれば、発端は貞夫さんがバークリーから帰ってきて(65年)、ボサノヴァなんかをやり始めて、それが一般に受け入れられたのがきっかけかもしれない。

——73年には酒井潮さんのライヴ・レコーディングにも参加しています。

 横田の米軍基地で作った『治外法権』(エレック)がそのアルバムです。トコちゃん(日野元彦)のドラムスと伏見哲夫(tp)さん、松本英彦(ts)さんと村岡健(ルビ=たける)(ts)さんとで(他にトロンボーンのテディ・アダムスが参加)。そこではグラント・グリーンみたいな役割をして。当時としては新鮮なアルバムだったんじゃないかと思うんですよ。あと、酒井さんの仕事ではグアム島にもけっこう行ってました。

——銀座に「ジャンク」ができたのがこの少し前ですか。当時の川崎さんはライヴ・ハウスにもよく出ていて、ジャズやロックのフェスティヴァルにも出演していたことを覚えています。

 24歳ごろに、日野さんのいた事務所に引っ張られて、要するにマネージメントがついたんです。それでジャズ・フェスティヴァルにも自分のバンドで出るようになりました。

 当時、ぼくが発掘したプレイヤーには益田幹夫(p)、土岐英史(as)、向井滋(tb)、 植松孝夫(ts)がいて、それで二管とか三管のバンドを作ったんです。だけど才能があると、すぐ人気のバンドに引っ張られる(笑)。ぼくは才能は発見できるけど、仕事がもっと多いひとに取られちゃう。

——そのころ、ロックのひとたちとセッションはしなかったんですか?

 セッションはやらなかったけど、ロック・フェスティヴァルには出演してました。当時、成毛滋(g)(注28)に人気があって、彼とぼくは同年だと思うけど、彼なんかのグループとは大きなフェスティヴァルでときどき顔を合わせることがありました。

 あと、B・B・キング(注29)が来日することになって、ひょんなことからコンサートでセッションしたのは覚えています。それとCTIオールスターズでジョージ・ベンソン(g)が来たときは、昼と夜のコンサートの間にぼくの家に誘って、ジャム・セッションしたり、いろいろな話をしたことがあります。

——リーダー作としては、七十年に『イージー・リスニング・ジャズ・ギター』、72年に東芝から『ガッツ・ザ・ギター』を出します。

 『ガッツ・ザ・ギター』は荒川康男(b)さんの編曲かな? 稲垣次郎さんなんかも入って、当時流行りのビートルズやバカラックやキャロル・キングの曲とかをやったんです。これが、いま再発されていない唯一のアルバム。

 これくらいがアメリカに行くまでの主だった出来事ですね。16〜17歳から始めて、アメリカに発ったのが26歳の初めだから。

第7話に続く

 
(注25)日本盤のタイトルは『ケニー・バレルの全貌』 メンバー=ケニー・バレル(g) ロジャー・ケラウェイ(p) ジョー・ベンジャミン(b) グラディ・テイト(ds) ウィリー・ロドリゲス(conga) ギル・エヴァンス(arr con)オーケストラ 64年12月 ニューヨークで録音、65年4月 ニュージャージーで録音

(注26)メンバー=マイルス・デイヴィス(tp) スティーヴ・グロスマン(ss) ジョン・マクラフリン(g) ハービー・ハンコック(org) マイケル・ヘンダーソン(elb) ビリー・コブハム(ds)他 70年2月18日、4月7日 ニューヨークで録音

(注27)50年代前半に日本では空前のジャズ・ブームが起こっていた。

(注28)成毛滋(g 1947~2007年)67年にザ・フィンガーズでデビュー後は日本のロック・シーンを代表するいくつかのバンドを率いる一方、スタジオでも引っ張りだこに。

(注29)B・B・キング(g vo 1925~2015年)49年にレコード・デビューし、50年代にモダン・ブルースの第一人者の地位を確立。60年代にはエリック・クラプトンをはじめ多くのロック・ギタリストに影響を与えた存在としても脚光を浴び、この世を去るまでブルース界の人気者として活躍。


 

 

PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。