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Column with 証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第8話「ギル・エヴァンスのオーケストラに参加」 証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第1話「ギル・エヴァンスのオーケストラに参加」

証言で綴る日本のジャズ 3 川崎 燎 第8話「ギル・エヴァンスのオーケストラに参加」

COLUMN
INFORMATION

証言で綴る日本のジャズ3

川崎 燎

第8話
ギル・エヴァンスのオーケストラに参加

 



——ギルと繋がるのも渡米直後ですね。

 向こうに行って数週間後、買い物から帰ってきたら、彼がアパートの前で封筒を抱えながら待っていたんです。ギルは日本でリハーサルをやっているのを観たことがある程度だったけど、彼を部屋に誘って。そうしたら、封筒からカセットテープや譜面を出して、「来週の月曜からヴィレッジ・ヴァンガードでジミ・ヘンドリックスのアルバムを作るライヴ・リハーサルみたいのを始める」「ジョン・アバークロンビー(g)がビリー・コブハム(ds)のバンドに入ってギタリストがいないから来てくれ」といわれて、譜面を全部渡されたんです。ぼくは英語がぜんぜん話せなかったから、彼の要望を紙に書いてもらって。

——ギルが訪ねてきたいきさつは?

 当時は「ビルズ・プレイス」のレギュラーでやっていて、ほかのロフトでもレギュラーでやっていたから、バンドの誰かが推薦したんだと思います。ギルのバンドにはメンバーがたくさんいたから、信頼できるメンバーが推薦してくれたんでしょう。その後、10年以上つき合ったけど、いきさつを聞くのは失礼な気がして、最後まで聞かなかったですけど。

 ギルのバンドには、デヴィッド・サンボーン(as)、ハワード・ジョンソン(tuba)、マーヴィン・ピーターソン(tp)、ジョージ・アダムス(ts)とかの大御所もたくさん入っていて面白かったけど、「ヴィレッジ・ヴァンガード」のステージには問題があって。あそこはすごく狭いんですよ。そこに15人くらい入るでしょ。ホーン・プレイヤーが前にいて、リズム・セクションはうしろにいるセットアップ。リズム・セクションはベースとギターがエレクトリック。それでジャズ・ロック系の曲もたくさんある。ぼくらが調子に乗ってでかい音で演ると、前にいるサックス奏者に悪いんだよね。ぼくがソロを弾くと、サックス奏者がみんな耳を塞いで(笑)。PAもしっかりしたものがなかったし、そんな状況でやってました。

——ビザはどうしたんですか?

 これがきっかけで、ニューヨーク以外でもいくつかのコンサートをやることになって、ギルのバンドに正式に入ったんです。ところが彼のレコーディングに参加したりツアーをしたりするならアメリカの永住権(グリーン・カード)が必要になる。ギルは快くスポンサー(保証人)になってくれたけど、お金がない。申請するにはサラリーのやりとりをしている証明が必要なんです。仕事をもらったならお金が入らないとまずい。ギルにはそんなお金がないから、ぼくがギルにお金を渡して、彼がそれをぼくに払ってくれる(笑)。書類上のやりとりはこれで。

 ところが、今度はニューヨークのミュージシャン・ユニオンが大反発したんです。「アメリカにたくさんいいギタリストがいるのに、なんで日本人なんだ」ですよ。でも、ギルは「メンバーは、ぼくの必要な音や人物で決まるんであって、国境は関係ない」。そういうふうにいってくれて、ユニオンも承諾したんです。

——グリーン・カードはすぐに取れたんですか?

 73年の10月ごろにギルから声をかけてもらって、74年の半ば以前には取れていましたね。チャールズ・ゴールドスミスという、わりといいイミグレーションのロイヤーを照夫さんから紹介してもらって、彼が全部やってくれて。弁護士代には数千ドルかかりましたけど。

——そのときの「ヴィレッジ・ヴァンガード」のライヴが、『ギル・エヴァンス/プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』(RCA)(注33)に繋がるんですね。

 レコーディングは74年だったかな? そのレコーディングのプロデューサーがマイク・リプスキンというひとで、彼が今度はぼくに「RCAでレコードを作らないか?」とアプローチしてくるんです。

 でもその前に、プロデューサーの伊藤潔と伊藤八十八さんから「イースト・ウィンドでレコードを作らないか?」という話がきて。75年に『プリズム』(注34)を「ヴァンガード・スタジオ」で作りました。それに続いたのが七十六年の二作目『エイト・マイル・ロード』(注35)。同じ76年にRCAで『ジュース』(注36)を作るんです。

 イースト・ウィンドで作ったアルバムはそのころ一緒にやっていたバンドのメンバーで。『ジュース』はマイク・リプスキンの要望で、ジャズの要素がまったくないミュージシャンを使ったほうが面白いということから、そのころいちばん売れていたジミー・ヤングというハーフ・チャイニーズのドラマーとスチュ・ウッズというベーシスト、それにサンタナのキーボードのトム・コスター。ベースとドラムスは有名ではないけど、たとえばサイモン&ガーファンクル(注37)とかのヒット・レコードの多くに参加しているセッション・プレイヤー。あとは、当時ぼくとやっていたサム・モリソンという、マイルスが引退する直前のサックス奏者を入れて。

 このころのことでつけ加えるなら、チコ・ハミルトン(ds)のバンドにも入っていたんです。クリスというドラマーがロフトで若手のミュージシャンを集めてジャム・セッションを主催していて、たまには大御所でジャック・デジョネットなんかも来るという。その中に、チコのバンドのバリー・フィナティ(g)がいて、なにかの都合で「トラでやってくれ」と頼まれたんです。それがきっかけで、そのままレギュラーになって、アメリカ中を回りました。

 チコのバンドには、アブドゥーラ(conga)、アーニー・ローレンス(as)、スティーヴ・トゥーレ(tb)がいて。そういうメンバーでけっこう面白いサウンドの演奏をしていたんですよ。そのあとアーニーが辞めてアーサー・ブライス(as)が入って。そんなバンドを2年くらいやってたのかな? チコはチープで飛行機代を出さないから、ウエスト・コーストにも車で行くとか(笑)。それで、とうとう最後は行かなかった。そういう感じで辞めたから、彼はすごく怒ってたらしいけど。

 『ジュース』に戻ると、そのアブドゥーラも入れて、ひと晩で書いたような曲ばかりで、練習もしないで作ったアルバムですよ。マイク・リプスキンが求めていた、ファンキーでジャズ系のサウンドのないところが結果的には真のフュージョンになったのかもしれません。いま聴いてみるとユニークなサウンド、当時なかったサウンドをしてますよね。

 その年(76年)には、ギルのオーケストラで日本に行くんです。日本のあとはフィリピンやマレーシアに行く予定だったけれど、ぼくは同時にエルヴィンにも誘われて。そうだ、その前(75年)にはトニー・ウィリアムス(ds)のライフタイムにも誘われていたんだ。これは、ギルが推薦してくれたんだと思います。

 余談になっちゃうけど、「ヴィレッジ・ゲイト」にいたテキーラというウェイトレスがトニーの彼女で、ぼくと同じマクドゥーガル・ストリートのアパートの上の階に住んでいたんです。ふたりは叫んだりものを投げたりするような仲だったから、トニーが来るとすぐにわかる(笑)。彼もテキーラもぼくが下に住んでいるのは知らなかったけど、これはそんな関係もあったというだけの話です。

 ある日、トニーから電話がかかってきて、「そろそろ新しいライフタイムのリハーサルをしたいけど、来てくれるか?」。それで、サンタナのベースだったダグ・ローチとの3人で2か月くらいリハーサルをしたんです。残念ながら音は録ってないけどね。

 ところがブッキングを始める話になったころ、失踪したっていう感じで、誰にもいわずにトニーがヨーロッパに行っちゃった。だからマネージメントも知らなかったし。ぼくとダグは「ホワッツ・ハプン」という感じ。それで何か月かしたら、アラン・ホールズワース(g)を入れて、新しいバンドを作ったみたいだけど。


第9話に続く

 
(注33)メンバー=ギル・エヴァンス(p arr con) ジョン・アバークロンビー(g) 川崎燎(g) マーヴィン・ピーターソン(tp vo) ビリー・ハーパー(ts fl) デヴィッド・サンボーン(afl ss) ルー・ソロフ(tp) ハワード・ジョンソン(cl)他 74年 ニューヨークで録音

(注34)メンバー=川崎燎(g) フィル・クレデンナイン(key) ハーブ・ブッシャー(b) バディ・ウィリアムス(ds) スティーヴ・トゥーレ(shell) 75年7月12日 ニューヨークで録音

(注35)メンバー=川崎燎(g) アンディ・ラヴァーン(key) フィル・クレデンナイン(syn) ハーブ・ブッシャー(b) バディ・ウィリアムス(ds) アブドゥーラ(per) サム・モリソン(ts) 76年3月8、9日 ニューヨークで録音

(注36)メンバー=川崎燎(g syn) ヒュー・マクラッケン(g) トム・コスター(key syn) マイク・リプスキン(syn per) アンディ・ラヴァーン(p) スチュ・ウッズ(b) ジミー・ヤング(ds) ムハンマド・アブドゥル(per) サム・モリソン(ts ss fl) 76年 ニューヨークで録音

(注37)小学校からの親友ふたりによるフォーク・デュオ・チーム。64年にレコード・デビューし70年に解散。この間に〈サウンド・オブ・サイレンス〉〈明日に架ける橋〉など多数のヒット曲を残す。以後も、現在まで何度か復活コンサートを開いている。

 

PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。