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Column with 証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」 証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」

証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」

COLUMN
INFORMATION

 

証言で綴る日本のジャズ3

増尾好秋

第1話

 

 

 

ギターとの出会いは偶然から


——出身地と生年月日を教えてください。

 1946年10月12日に東京の中野区新井薬師で生まれました。なんで新井薬師かっていうと、母の姉が住んでいたから。戦争が終わって、みんな疎開先からそこに帰ってきて、ぼくはその伯母の家で生まれました。そのあと、近くにうちを建て、住むようになったんです。実家はいまでもあります。東京に帰ってくると、そこにいます。

——いまはどなたが住んでいるのですか?

 94歳の母です。弟もそこに住んでいます。

——お父様がピア二ストの増尾博(注1)さん。ナット・キング・コールがお好きだったそうで。増尾さんのご兄弟は、弟さんがギタリストの元章(注2)さん。

 ほかに姉がふたりいます。4人姉弟で、ぼくが3番目。ふたりの姉は亡くなりましたが、ひとつ上の姉はピアニストで、「プリンスホテル」とかのラウンジで弾いていました。

弟の増尾元章と。1980年頃。

——お父様がピアニストだったから。

 そうですね。下の姉はピアノを習って、上の姉はバレエをやっていました。

——増尾さんは中学でギターを始めたということですが、いちばん古い音楽の記憶は?

 父が米軍キャンプの「オフィサーズ・クラブ(将校クラブ)」でも仕事をしていたので、小さいときから連れていってもらって。そこでコカ・コーラを初めて飲んだとかね(笑)。基地のPX(注3)で買ってきたり、将校にもらったりとかで、ジャズのレコードがうちでかかっていたんです。最初は竹針を使ったモノラルのレコード・プレイヤー。ナット・キング・コール、テディ・ウィルソン(p)、ジョージ・シアリング(p)、あとはビッグバンドとか、そういう音楽を聴いて育ちました。

——それが物心のついたころ。

 そうですね。父は歌謡曲とかはかけなかったんで、そういう音楽をまったく知らないで育ちました。
 
父、増尾博のバンド(1950年代)

——ギターとの出会いは?

 ぼくは伯母と仲がよかったので、よく遊びに行ってたんです。彼女は下宿やアパートを経営していて、入っていた学生さんか誰かが出るときに置いていったギターがあったんです。質屋さんなんかで売ってる箱のギターで、弦がスティールの。それが面白いのでちょっといじって。それで、「これ、もらっていい?」。そこからです。

——音楽の素養はまったくないままに?

 まったくないけれど、うちにピアノがあったから、遊びで弾いてはいました。でも、レッスンは受けたことがありません。姉は習っていましたけど。

 それで、父がギターのチューニングとかを少し知っていたんで、古賀政男(注4)の曲とか(笑)、そんなのを弾いたりして。そこから見よう見まねで始まりました。

——お父様から教わったこともない。

 ないです。レコードでギターが入っていると、「どうやってるんだろうな?」と思って、弾くようになったのがギターとジャズとの繋がりです。ぼくもナット・キング・コールが好きだったから、そうするとギターが入っているでしょ。和音はわからないけど、聴いて、「こうかな?」とかやって。そういう感じですよ。

——最初からジャズだった。

 ええ。それが中学の一年か二年のころ。そうするともっと興味が出てくる。本屋さんに行くと、ギターの本とかコードが書いてあるものとかがあるでしょ。その中に、「ブルースはこういうコード進行だ」って書いてあったんです。それを一生懸命に覚えて(笑)、帰って弾いてみたら、「この曲もそうじゃない、あの曲もそうじゃない」。

 そういう感じで、自分で発見したというか、ちょびっとずつ探っていったというか(笑)。友だちで音楽をやるひとがいなかったから、学校から帰ってくるとレコードと一緒にギターを弾くのがいちばんの楽しみ。ぼくがそんなことをやってることも誰も知らなかった。

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  「独学でギターをマスター」

 
(注1)増尾博(p 1913~87年)戦前からジャズやタンゴのピアニストとして活躍。戦後はヘップ・キャッツ・セヴンを結成し、76年からはオールド・ボーイズに参加。

(注2)増尾元章(g 1951年~)73年に『ファースト』発表.。77~78年にはS-KENの初代ギタリストとして活躍。84年に井上尭之(g)、竹田和夫(g)と共演した4作目『ハピネス』を発表。85年右手の指4本の神経を断裂。90年代初頭にカムバックするもすぐに中断。2005年に2度目の復帰。

(注3)post exchange(アメリカ軍基地内の売店)。駐屯地、施設、艦船内などに設けられ、軍人や軍属などに日用品や嗜好品などを安価で提供。

(注4)古賀政男(作曲家 1904~78年)マンドリン、ギター、大正琴を演奏したのち、国民的な作曲家に。代表作は〈酒は涙か溜息か〉〈影を慕いて〉〈人生劇場〉〈東京五輪音頭〉〈柔〉など、枚挙にいとまがない。


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PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。