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Column with 証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」 証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」

証言で綴る日本のジャズ3 増尾好秋 第1話「ギターとの出会いは偶然から」

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独学でギターをマスター


 そのころになると、父もモダン・ジャズにすごく興味があったから、セロニアス・モンク(p)やフィニアス・ニューボーン・ジュニア(p)とか、そういう硬派のジャズのレコードがうちで流れていたんです。同時に父がハモンド・オルガンを買ったもんだから、ジミー・スミス(org)やブルーノートのレコードもかかるようになりました。ぼくも自然とそういうモダン・ジャズも聴くようになって。

 それで、ぼくがジャズ・ギターに興味を持っていることを知った父がバーニー・ケッセル(g)の『ポール・ウィナーズ・スリー』(コンテンポラリー)を買ってくれたんです。それが、買ってもらった自分のレコードの最初です。そのレコードにドップリ浸かって。そのころになると『スイングジャーナル』(注5)も読み始めています。

『ポール・ウィナーズ・スリー』(1959)

 そこに、「ウエス・モンゴメリーというギタリストがいて、『ジ・インクレディブル・ジャズ・ギター・オブ・ウエス・モンゴメリー』(リバーサイド)というレコードを出した」という記事が載っていたんです。自分でお金を出して買った最初のレコードがそれ。

 でもその前に、ウエス・モンゴメリーがすごいギタリストだっていうことを読んで、『バグス・ミーツ・ウエス』(リバーサイド)を買っていたんです。ところが『ジ・インクレディブル〜』のほうがいいと聞いたんで、交換しに行って(笑)。レコード屋さんもよく交換してくれたと思います。
 

左:『ジ・インクレディブル・ジャズ・ギター・オブ・ウエス・モンゴメリー』(1960)
右:『バグス・ミーツ・ウエス』(1961)

——それがいくつのころ?

 高校になってたかな?

——ウエスのギターは難しいでしょ?

 難しいもなにも、ぜんぶ難しいんだもの(笑)。バーニー・ケッセルだってすごいし。

——でも、レコードに合わせてけっこう弾けたんですか?

 なんとなくね。

——最初はグラント・グリーン(g)も好きで。

 シンプルだけどノリのいいフレーズが好きでした。あとでわかったけど、彼はチャーリー・パーカー(as)やソニー・ロリンズ(ts)のフレーズをずいぶん弾くんです。だからギターで細かくなりがちのところを、そういうフレーズでドーンと出てくる。そこに強く惹かれました。

——バンド活動はしなかった?

 高校の最後のころになると、クラスにジャズ喫茶でタバコを吸っているようなワルがいるじゃないですか。ぼくがジャズを聴いているのをそういう連中が知って、うちに来るようになったのね。そのころ、ジャズのレコードを持っているヤツなんかあまりいなかったから。

 彼らがうちに来るようになって、たまに父と一緒に演奏させてもらったりとか。そのへんでやっと音楽の友だちができるようになって。学校にもね、ドラムスを叩くヤツとか、ちょっとギターをやっているヤツとかがいたんで、高校三年の文化祭でやったことがあります。

——ジャズの演奏を?

 ジャズというか、ぼくが選んだ曲を教えて、勝手にやっただけですけど(笑)。ぼくは早稲田中学、早稲田高校。それで早稲田大学に行って。そのときだって、どこの大学でなにが勉強したいかなんてまったく考えていなくて。早稲田には「モダン・ジャズ研究会」があるから、「そこに行こう」と思って、入ったんです。

 クラブに入ったら、1年先輩に鈴木良雄(b)、チンさんがいたんです。そのころ、チンさんはピアニストだったけど、ベースもちょいちょい弾いていました。ベーシストはいつでもクラブの中で数が少ないから、みんな兼任で弾くようになるんです。ぼくも弾きました。そこで、初めてぼくとおんなじようなことを考えているおんなじような歳のひとと出会ったんです。音楽でコミュニケートができるひと、それがチンさんでした。

——おんなじようなこととは?

 レコードを聴いて、「あのコードはなんだろう?」とか、「あそこは3連のなにでやってる」とか、そういう細かいことに意識がいってるひと。そのころは教則本もなにもないし、理論もわからないから、自分で研究するしかない。それで、高校時代にいろいろコピーすることはやっていたから、その音が頭の中で鳴っていて、「あのサウンドはこうだ」とかはだいたいわかっているわけですよ。

 そういうことをチンさんも考えていたんです。チンさんはクラシックの鈴木バイオリン(注6)出身ですから、ぼくとは違うところから音楽にきています。でも、チンさんも大学ぐらいからジャズに興味を持つようになって。デイヴ・ブルーベック(p)をコピーしたりとか、いろいろやっていたわけです。以来、ぼくたちはずっとライヴァルです。
 

(注5)47年から2010年まで発刊された日本のジャズ専門月刊誌。

(注6)46年に長野県松本市でヴァイオリニストの鈴木鎮一が開設した「松本音楽院」が母体。音楽を通じ心豊かな人間を育てることが目的の教育法で、日本、アメリカなどで活動を展開。


第2話(11月16日掲載予定)に続く




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PROFILE

小川隆夫
小川隆夫

1950年、東京生まれ。東京医科大学卒業後、81~83年のニューヨーク大学大学院留学中に、アート・ブレイキー、ウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟などのミュージシャンをはじめ、主要なジャズ関係者と親交を深める。帰国後、整形外科医として働くかたわら、音楽(とくにジャズ)を中心にした評論、翻訳、インタヴュー、イヴェント・プロデュースを開始。レコード・プロデューサーとしても数多くの作品を制作。著書は『TALKIN’ジャズ×文学』(平野啓一郎との共著、平凡社)、『証言で綴る日本のジャズ』、『同 2』(駒草出版)、『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと』(河出書房新社)、『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)など多数。2016年にはマイルス・ミュージックにオマージュしたバンド、Selim Slive Elementzを結成。2017年8月にデビュー作を発表。