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Column with ブラジル音楽の100年の歴史を簡明に理解 「ブラジル音楽の過去と未来」

ブラジル音楽の100年の歴史を簡明に理解

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ブラジル音楽の100年の歴史を簡明に理解

「ブラジル音楽の過去と未来」

 

 この項では、ブラジル音楽の基本的な歴史を押さえつつ、現在のシーンを紹介。ナビゲーターは、ワールドミュージックに精通し、近現代のブラジル人ミュージシャンの動向や音楽的トレンドにも詳しい中原仁さん。まずは現在までの、おおまかな流れを分かりやすく解説。以下、中原氏の口述を抜粋して掲載します。

サンバの誕生


 ブラジル音楽といえばサンバを思い浮かべる人も多いと思いますが、去年(2016年)はサンバ100周年のメモリアルイヤーだったんです。もちろん、何をもって“サンバ誕生”とするのか? は難しいところですが、一応、1916年11月に「Pelo Telefone」という楽曲が、初めて“SAMBA”という呼称で楽曲登録されたという出来事をもとに、100周年となりました。ちなみにこの曲は翌年にレコードが発売されて、1917年の2月のカーニバル・シーズンに大ヒットしました。そういう意味では、今年も“サンバ100周年”と考えることもできますね。

●「Pelo Telefone」(1916) 

 1930〜40年代になると、ラジオとレコードが大きなメディアになっていきます。このメディアの力によって、サンバという音楽がリオからブラジル国内全体に浸透し、やがて国外でも認知が拡がります。ブラジルは国土も広いので、各地方の文化に根ざした音楽が多数存在しますが、今でも“ブラジルを代表する国民的な音楽はサンバ”であることは間違いないと思います。

 ちなみに、サンバといえばリオのカーニバルが有名ですが、もともとカーニバルはキリスト教の風習で、ヨーロッパ系の裕福なブラジル人たちが始めた祭りでした。20世紀前半まではカーニバルの音楽も、マルシャと呼ばれるマーチのような音楽が中心でした。一方、1888年に奴隷制度が廃止されて、自由になったアフリカ系ブラジル人たちが職を求めてリオに集まってきて、カーニバルにも参加するようになりました。それをリオ市がオーガナイズして、各町内会にあるサンバの団体をパレードさせて、コンテストにしようという形になったのが1930年代です。

ボサ・ノヴァの誕生


 ブラジル音楽といえば、もうひとつ。ボサ・ノヴァが有名ですね。1958年にアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲してヴィニシウス・ジ・モライスが作詞した「Chega de Saudade」という曲を、ジョアン・ジルベルトが録音したのが、最初のボサ・ノヴァだといわれています。その同じ年にジョアンがレコーディングしたセカンド・シングルの「Desafinado」。これはジョビンとニウトン・メンドンサの共作ですけど、その歌詞の中に初めて“Bossa Nova"という言葉が出てきます。


●João Gilberto「Chega de Saudade」(1958)

●João Gilberto「Desafinado」

 私個人としては、ボサ・ノヴァはサンバをソフィスティケイトした、サンバの発展系の音楽だと思っていています。同じく、ボサ・ノヴァという音楽がひとつのジャンルにまで発展した理由は「アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトという突出した才能を持った二人が同時代にいた」ということに尽きると思いますね。

 ちなみに、この二人の音楽的バックグラウンドも重要です。まず、ジョビンにはクラシックの素養があった。一方、ジョアンは黒人たちのサンバが大好きで、そのフィーリングをギターと歌で表現しようとしました。伝統的なサンバとも結びついているし、ヨーロッパとアフリカのミクスチャーみたいな部分も、この二人の音楽から、ちゃんと聴こえてきます。

MPBの登場


 MPB(エミ・ペー・ベー)は「Música Popular Brasileira」の頭文字を採ったもので、語義通りに理解すると“ブラジルのポピュラー音楽”ということになりますが、そのサウンドや演奏スタイルはさまざまです。現代的なフォークソングやロック、ファンク、ソウルミュージックなどの要素を持ちながら、これまでのブラジル伝統音楽のフレイバーも加味されています。

 先ほどのサンバの説明で「ラジオとレコードの普及によって認知が拡大した」と言いましたが、MPBはテレビが重要な役割を担います。1960年代に入るとテレビが一般に普及し、メディアとして大きな力を持ちはじめますが、これに伴って、テレビ局がポピュラー・ソング・コンテストのようなものを始めるんです。

●1967年の音楽祭(テレビ局が主催)を題材にした
ドキュメンタリー映画『Uma Noite em 67』トレーラー

 最初にコンテストが行われたのは1965年。そのときに優勝したのがエドゥ・ロボとヴィニシウスが共作した曲で、歌ったのはエリス・レジーナでした。以降、シコ・ブアルキ、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、ガル・コスタなどもテレビ局主催のソング・フェスティバルに出場し、入賞するなどして、一般的な認知を得るようになっていきました。彼らが、のちにMPBと呼ばれるようになる音楽のパイオニアたちです。

●Elis Regina 「Arrastao」(1965)

 彼らはジョアンの歌と、ジョビンの楽曲を聴いて育った世代で、そこから強い影響も受けています。例えば、ジルベルト・ジルはブラジル北東部の出身で、子供の頃はルイス・ゴンザーガという北東部の音楽を代表するアーティストに憧れてアコーディオンを弾いていたんですが、ジョアンを聴いてギターを始めたというくらい、大きな影響を受けています。こうしたMPBの盛り上がりに伴って、リオだけではなく、ブラジル各地からいろいろなアーティストが出てくるようになりました。カエターノ・ヴェローゾも、ジルと同じく北東部のバイーア出身です。



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