Arban

Arban

Column with 音楽/映画覚書 #04 フラッシュ・ゴードン

音楽/映画覚書 #04

COLUMN
INFORMATION

 『スター・ウォーズ』のエピソード7が劇場公開された。ジェダイ教の信者が何万人も実在したり、ダース・ベイダーやヨーダのコスプレで大統領選挙や地方議会選挙への立候補を表明する者があらわれたりと、すぐれて熱心な愛好家が世代を超えて世界中に存在することでも知られる『スター・ウォーズ』シリーズだが、スピンオフ作品はともかく、本篇の映画製作は終わったと伝えられていただけに、ディズニーへの引き継ぎはファンにとっては願ってもないニュースだっただろう。70年代から劇場に通いだし、『スター・ウォーズ』がきっかけで映画雑誌を読むようになった筆者にとってもこれは感慨深いものがある。
 まず、ジョージ・ルーカスの気が変わったせいで一度はあきらめさせられた、全九部作のサーガを最後まで見届けられることになったのはありがたい。『スター・ウォーズ』は全部で九部作であると、ジェダイ教に入信して間もない子ども時分からずっと頭にたたき込まれて生きてきた人間としては、途中でいきなり創造主自身の口から「いや、これはやっぱり全六部作ってことにするわ」などと修正されてもすんなり納得できるわけがない。全六部で完結と公表されてからも、DVDで全作そろえては通して見直し、Blu-rayのボックスセットが出てはまた見直してきたわけだが、でも本当だったらあと三篇あったのになと、毎回もやもやが残る。ようやくそうしたわだかまりから解放されるのだから、原理主義的に全九部作を信仰する古くからのファンにとって、ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーは世界最大のエンターテインメント企業であるばかりか、最良のメンタルヘルスケアサポート企業になったと言っていい。
 おまけに今度の新作『フォースの覚醒』には、ルーカス製作の旧三部作(ルーク三部作という特定の呼び名があることをウィキペディアで知った)の主要キャラクターたちが再登場することもあり、かつて新三部作と呼ばれたエピソード1、2、3(こちらはアナキン三部作)の公開時とも異なる特別な興奮をかき立てられているファンも多いのではないか。筆者自身、新作の予告篇にハン・ソロとチューバッカが出てきたときには正直、目頭が少し熱くなった。
 物語上でも製作上でもこれほど長期の空白を経て、おなじ役者がおなじ役柄をふたたび演じてスクリーン上に登場するというのもなかなか稀な試みのはずだが(たとえば日本では、『ウルトラマン』シリーズなどの特撮作品にやはり同様の役柄演出が見られるが)、それに加えて、デジタル技術革新により高度な再現性や描写可能域のさらなる広域化・精細化にいたった今日においてもなお、息の長いコンテンツにしか実現できない一回性の表現(同一役者・役柄のリアルな加齢姿の記録)が最新の特殊視覚効果と同時に試みられているところもまた、ちょっとした感動を誘ったのだった。
 もっとも、今回の新たな『スター・ウォーズ』(レイ三部作)製作にルーカス自身はまったく関わってはいないらしい(これまたウィキペディアによれば、「クリエイティブ顧問」という役職には就いているようだが、公開直前に出ていたインタビューなどから推測すると、内容面への関与はいっさいなさそうだ)。だとすれば、新作はルーカスがもともと思い描いていたサーガに直結するものではなく、どちらかといえば、オリジナルの六作品をもとにした二次創作とか、メタコンテンツと解釈するのがただしい見方なのかもしれない。
 実際、『フォースの覚醒』は内容面にとどまらず、構成的にもあからさまにルーク三部作を踏襲しており、物語をベタに受けとめながら創作上のコンテクストも同等にお楽しみなさいよと、作者らが仕向けているかのようでさえある。具体的には、サーガとしてのドラマ上の歴史的変遷に加え、その上位に認められる映画作品としての『スター・ウォーズ』の創作的・演出的お約束(コンテクスト)が、作中にはっきりと盛り込まれているのだ。
 そうしたお約束のくりかえし的なる試み自体、ルーカス=スピルバーグの持ち味でもあったわけだから(たとえば『インディ・ジョーンズ』シリーズに顕著にあらわれている)、両者から多大な影響を受けてきたというJ・J・エイブラムスはお手本の形式性をよりよく理解したうえで監督に当たり、『フォースの覚醒』を仕上げたのだと言える。
 いっこうに『フラッシュ・ゴードン』の話にならんぞとお叱りを受けそうだが、むろん忘れたわけではないので安心してほしい。ホットな話題の提供を心がけたまでであり、初回につづいてディズニー礼賛に邁進してしまっているからといって、本連載の使命はミッキーマウスのステマではないのだ。
 いずれにせよ、『フォースの覚醒』にはJ・J・エイブラムスよくやったなという肯定的な感想を持ったが、それでも、もやもやがちっとも残らなかったわけではない。首をかしげる点をひとつあげるとすれば、音楽が薄味すぎるように思えた。もちろん今回もジョン・ウィリアムズが担当しているのだが、なんかこう、煮え切らないというか、どこまでも奥に引っ込みがちな感じがしたのは気のせいだろうか。予告篇での音楽の流れ方がいかにも『スター・ウォーズ』という印象を受けたので、こちらがそれを引きずったまま本篇を観てしまっただけなのかもしれないが。
 というわけで、ここでハイパードライブの速さで話題を移るが、もともと『スター・ウォーズ』は、二次創作とまでは言えぬものの、『フラッシュ・ゴードン』をもとに生み出された映画であることは有名な話だ。当初は旧映画版『フラッシュ・ゴードン』のリメイクをこそ熱望していたルーカスは、その権利を得られなかったので『スター・ウォーズ』を発想したという裏話が長らく伝えられてきたわけだが(ウィキペディアにも載っている)、このまことに意義深い映画史的事実は、筆者が子どもの頃に読んでいた映画雑誌でもすでに紹介されていた。
 そんなわけで、小六だった筆者は、1980年のマイク・ホッジス監督作『フラッシュ・ゴードン』も公開後ただちに劇場に駆けつけて観たわけだが、これがまた素晴らしく、ライトな性的描写などにも胸を躍らせつつ――全篇通じて〈スティックの突入〉というテーマが変奏される――性的隠喩のほうには気づくこともないまま、『スーパーマン』などのようなアメコミ映画の一作として受けとめ、素朴に感激したのだった(そういえば、数年前に『テッド』が『フラッシュ・ゴードン』へ大々的にオマージュを捧げたようだが、筆者は今にいたるまであのクマを観そびれている)。
 そのフェリーニを彷彿とさせるサーカス的意匠の猥雑性と退廃性は、大味な面もふくめてディノ・デ・ラウレンティスのプロデュース色が強く出ており、大人になって見直してみるといっそう味わい深いのだが――『フラッシュ・ゴードン』初見の際、筆者にとってとりわけ印象深く感じられたもののひとつは、やはりあの、クイーンの手がけたサントラだった。当然ながら『スター・ウォーズ』の管弦楽とはまるで異なる、はじめて聴くような音楽だった。ほどなくしてレコードも買ってしまったほどだから、子ども心に魅了されていたのはまちがいない。サントラなのに劇中のイメージを使用せず、黄色地にタイトルロゴのみをもちいたデザインのアルバムジャケットもいたく気に入っていた。
 はじめて触れたクイーンの音楽は、もちろんあの独特のコーラスワークにも惹きつけられるものがあったが、『フラッシュ・ゴードン』のサントラはほぼインスト曲で占められているだけに、それよりもさらに心に響いたのはブライアン・メイのギターの音色だった。ああいうメタリックな音色やドラマチックな楽曲、独特のコーラスワークが、『フラッシュ・ゴードン』のアメコミ映画性に見事になじみつつ、フェリーニ的な猥雑性と退廃性で彩る演出にもきれいにはまっていたのだ。こうした組み合わせの妙を今日の映画にももとめてしまう心情は、もはや単なるノスタルジーでしかないのだろうか。


 
作品情報
タイトル:フラッシュ・ゴードン
価格:1,429円(税抜)
商品タイプ:DVD
製作年・製作国:1980年 アメリカ
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント

■NBCユニバーサル・エンターテイメント
http://db2.nbcuni.co.jp/contents/hp0002/list.php?CNo=2&AgentProCon=25533

PROFILE

阿部和重
阿部和重

1968年 9月23日生まれ おとめ座
山形県東根市出身日本映画学校卒業
1994年「アメリカの夜」で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、『シンセミア』で第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞をダブル受賞、『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞、『ピストルズ』で第46回谷崎潤一郎賞を受賞。近作に『□』(しかく)『Deluxe Edition』、『キャプテンサンダーボルト』(伊坂幸太郎氏との共著)がある。

写真:キベジュンイチロウ