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Interview with Kamasi Washington ロサンゼルスのジャズの遺産とヒップホップの現在までを繋げるサックス奏者 取材・文:バルーチャ・ハシム、原雅明
写真:バルーチャ・ハシム
構成:原雅明

Kamasi Washington

INTERVIEW
INFORMATION

 フライング・ロータス主宰のレーベル<Brainfeeder>から、CDにして3枚組全17曲というボリュームのフル・アルバム『The Epic』をリリースし、10月には来日公演も決まった、ロサンゼルス出身のサックス奏者カマシ・ワシントン。ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』にもフィーチャーされ、ジャズのみならず、ヒップホップのシーンでも、その名を聞くようになった。5月4日には、自身のバンドに加えて、サンダーキャットやミゲル・アトウッド・ファーガソン、ダディ・ケヴやラス・Gなど、ジャズやクラシックからビート・ミュージックまでを横断するアーティストを一同に集めて、壮大なアルバムのリリース・コンサートがロサンゼルスのリージェント・シアターで開催された。このインタビューはそのコンサート後におこなったものだ。
 カマシ・ワシントンは、ロサンゼルスの豊かなジャズの遺産を受け継ぐ存在でもある。アメリカを代表する作曲家/バンド・リーダーのジェラルド・ウィルソンのビッグ・バンドに若くして参加し、その腕を磨いた。オーネット・コールマンのドラマーとして、またBlue Noteのハウス・ドラマーとしても有名なビリー・ヒギンズがサウス・セントラルに設立したジャズ・ミュージシャン育成のための文化センター、ワールド・ステージは、
カマシ・ワシントンたちが自由な演奏を繰り広げる場だった。そして、ジャズのみならずヒップホップにも影響を与えたピアニストのホレス・タプスコットが、若いミュージシャンの育成を目的として結成したパン・アフリカンズ・ピープルズ・アーケストラは、カマシ・ワシントンが理想とする音楽コミュニティの在り方を教えた。こうしたロサンゼルスのジャズの歩みと、スヌープ・ドッグやケンドリック・ラマーのロサンゼルスのヒップホップの現在までが繋がるような貴重な話をお届けする。

――リリース・コンサートでは、お父さんも一緒にサックスで共演してましたが、音楽を始めたきっかけ、これまでのキャリアについて教えてください。 
父はミュージシャンで、母はフルート奏者なんだ。だから2歳から楽器を演奏してるよ。じつは最初に演奏し始めたのがドラムで、5歳からピアノ、8歳からクラリネットを演奏し始めた。父は70年代にサックス奏者として活動してたんだけど、当時のサックス奏者というのはサックス、フルート、クラリネットの全部が演奏できないといけないんだ。俺はサックスをやりたかったんだけど、クラリネットの方が難しいから、クラリネットを先に習わないといけないと言われたんだ。10歳か11歳くらいからジャズにのめり込んで、ウェイン・ショーター、チャーリー・パーカーみたいな人にハマった。彼らが演奏していたレコードを、クラリネットでコピーしようとしたんだけど、すごく難しかったよ(笑)。ある日、父がサックスを家の中の見えるところに置いてたんだ。サックスを触ってはいけないと言われてたけど、手に取ったんだ。なぜか、俺はすぐに自分の好きな曲を演奏できたんだよ。でも、どの音符を演奏しているかもわかってなかった。ウェイン・ショーターの「Sleeping Dancer Sleep On」という曲だったんだけど、サックスの仕組みがある程度クラリネットと似ていたから演奏できたんだ。 
――ロサンゼルスのどのエリアで育ったんですか?  
サウスセントラルだよ。 
――そのエリアで、ジャズを聴く子供は珍しかったんじゃないでしょうか? 
そうだね。結構危険なエリアだった。小学校の頃、友達はみんなN.W.A.とかギャングスタ・ラップを聴いてた。でも、俺は父の影響でジャズに慣れ親しんでたんだ。年上の従兄がジャズを聴いていて、アート・ブレイキーのミックステープをくれたんだ。そのテープを聴いていくうちに、俺はアート・ブレイキーの音楽がなぜかN.W.A.に似てるんじゃないかって思うようになったんだ(笑)。ジャズを聴いている子供は珍しかったけど、叔父や親戚はジャズが好きだったんだよ。俺が真剣にジャズを演奏したがっていることを知った親戚は、レコード、テープ、CDを聴かせてくれたんだ。あのエリアでジャズが好きな若者がいることを喜んでくれてるみたいだった。 
――リリース・コンサートでも一緒に演奏していたドラマーのロナルド・ブルーナー・ジュニアやベーシストのサンダーキャット(二人は兄弟)も、子供時代からの友達なんですよね? 
そうなんだ。父とロナルドたちのお父さんが一緒にゴスペル・フュージョン・バンドをやってて、それで友達になったんだ。俺が6歳か7歳のときに、父はそのバンドを辞めたから、高校までロナルドとサンダーキャットとは会わなくなった。高校生のときに、マルチ・スクール・ジャズ・バンドに加入して、またロナルドたちと再会したんだ。このバンドは、いろいろな地域の高校から、才能あるミュージシャンを集めたバンドだった。 



――師事したミュージシャンはいましたか? 
父はプロのミュージシャンだったけど、音楽の先生に転身したんだ。だから、父が先生だった。音楽理論も父から学んだよ。あとは、アイザック・スミス、ロナルド・ブルーナー・ジュニア、テラス・マーティンといった友人でありミュージシャンからも学んだね。サックスにのめり込んでから、仲間と毎日8、9時間は練習してたよ。ピアノ奏者のキャメロン・グレイヴスの父さんやロナルドの父さんも関わってたから、家族ぐるみで作った“小さな音楽村”みたいなものができあがっていた。お互いにレコードを見せ合ったり、お互いに影響し合った。堅苦しい環境のなかで勉強してたわけじゃないんだ。 
――練習場所は家のガレージの中だと聞きましたが、本当ですか? 
そう。父の家の裏に部屋があって、そこでずっと練習してた。家で一日中練習してるなかで、ロナルド、キャメロン、サンダーキャットが来て、ジャム・セッションをやったりしたんだ。そのあとはワールド・ステージ(※故ビリー・ヒギンズがロサンゼルスのラマート・パークに設立したジャズ・ミュージシャン育成のための文化センター)に行って演奏したりした。家に戻ってから、さらにまたみんなで朝の4時まで演奏したよ(笑)。俺たちは音楽しか興味がなかったから、パーティも行かなかったし、クラブにも行かなかった。でも、ジャズ・ミュージシャンが来ると、クラブに行ったんだけど、お金がなかったから忍び込んでたよ(笑)。高校生のときに、ロナルド、サンダーキャット、キャメロンと一緒にザ・ヤング・ジャズ・ジャイアンツというバンドを始めたんだ。ジョン・コルトレーン・コンペティションというジャズ大会が開催されて、それに出場するために結成した。俺たちが優勝したんだけど、ラヴィ・コルトレーンが現場にまだ13歳のフライング・ロータスを連れてきてたよ。だから、その時がフライング・ロータスとの初対面だったね。ザ・ヤング・ジャズ・ジャイアンツが今やってる、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンというバンドの出発点だったんだ。 
――セロニアス・モンク・インスティテュート・オブ・ジャズでも演奏したそうですが、どんな組織なのでしょうか? 
学生にジャズを広める団体だよ。マルチ・スクール・ジャズ・バンドをスポンサーにしたり、ジャズのレジェンドを招待して、一緒に演奏させてもらえたりもした。そのときにウェイン・ショーターに会って、一緒にジャズ・フェスティバルでも演奏させてもらえた。そのプログラムで、テラス・マーティンとも出会ったんだよ。一緒に演奏して、仲良くなったんだ。テラスの紹介で、俺はスヌープ、ケンドリック・ラマーと仕事できるようになった。 
――大学でも音楽を勉強したんですか? 
UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に入って、そこで民俗音楽学と作曲を専攻した。ワールド・ミュージックの勉強はもちろんなんだけど、クラシックの作曲法やジャズ・バンドに加入してビッグ・バンドで演奏したり、インドネシアのガムランとか、いろいろな音楽に触れられて幅広い勉強ができたよ。 
――ジャズに惹かれた理由を教えてください。なぜ近所の他の子供のようにヒップホップには行かなかったのでしょうか? 
ジャズもヒップホップも両方好きだったよ。ジャズとヒップホップは俺の人生の一部なんだ。子供の頃、ヒップホップは友達と一緒に聴く音楽だった。ジャズとサックスに同時期にのめり込んだけど、そうするとジャズとヒップホップの関係性も見えるようになったんだ。ア・トライブ・コールド・クエストの曲を聴くようになったとき、当時からすぐに元ネタのジャズがわかったんだ(笑)。だから、わかりづらいかもしれないけど、ヒップホップの要素も俺の音楽には入っている。高校生のときに、初めてサックス奏者としてプロの仕事をしたのが、スヌープのライブ・バンドだった。ジャズを仕事としてできるようになったのは、ずっと後だった。大規模なツアーで演奏するようになったのも、スヌープ、ラファエル・サディーク、ローリン・ヒル、パフ・ダディのようなヒップホップ・アーティストだった。だから、俺のジャズの演奏は、間違いなくヒップホップに影響されてるよ。ヒップホップのアーティストは、独特のアングルからジャズをとらえてるんだ。スヌープと演奏したときは、技術的なことよりも、どういうフィーリングで演奏しているかのほうが重要視された。だから俺がジャズを演奏するときも、どんなフレーズを演奏するかだけじゃなくて、どういう気持ちで演奏するかが大事なんだ。それはジャズではなく、ヒップホップから学んだことなんだ。あと、ジャズのエモーショナルな面に魅力を感じたんだ。ウェイン・ショーター、ジョン・コルトレーン、ファラオ・サンダースのようなパワフルな音楽を演奏している人が大好きなんだ。彼らから多大な影響を受けたね。 



――『The Epic』には、スピリチュアルなジャズの要素もあれば、ストレート・アヘッドなジャズ、アフロ・ジャズ、あるいはソウル、R&Bの要素もあります。これらを一つのアルバムにまとめ上げることができたのはなぜですか? 
このアルバムに含まれてる音楽的要素は、すべて俺の一部なんだ。俺たちのありのままの姿を表現した結果で、吸収してきたさまざまな音楽スタイルとメンバーの個性が、このサウンドを作りあげている。過去は未来を作り、未来は過去によって生み出されるんだ。<Brainfeeder>からアルバムをリリースすることが決まったとき、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンのメンバーと1ヶ月間閉じこもってレコーディングすることにした。毎日レコーディングしたから、45曲も完成して、その中から選ばないといけなかった。レコーディングと同時に、アルバムの方向性を決定づける夢を見たんだ。いろいろな偶然が重なって、こういう形でアルバムが仕上がったのが不思議なくらいだよ。 
――夢というのは、リリース・コンサートであなたが語っていたアルバムのコンセプトとなった物語でしょうか? 
そうなんだ。その45曲をフライング・ロータスに聴かせたとき、「そこからアルバムに使う曲を決めたら教えて」と言われた。17曲選んで、アルバムに仕上げるつもりだったけど、ストリングスとコーラスを追加しようと思ったんだ。そこで、「Change of the Guard」という曲のために、ストリングスのパートを作曲したんだけど、何度も曲を聴き返さないといけなかったんだ。そのあとに、門を守るゲートキーパー(門番)の夢を見た。門が山の頂上にあって、ゲートキーパーがそれを守ってるんだ。山の麓には村がある。ゲートキーパーは家族もいなくて、ひたすら門を見張ってるんだ。村人の中にはゲートキーパーを倒すために修行をしている連中がいるんだ。何人かの若い修行者がゲートキーパーと戦うためにやってきて、彼は一人に倒されるんだけど、ゲートキーパーはそれが夢だったということに気づくんだ。すごく不思議な夢だったけど、また次の日の夜に同じ夢を見たんだ。記憶にすごく夢が残って、そのストーリーを事細かに書き留めた。同時に他の曲の作業もしてたんだけど、そこからさらに他の曲の夢を見るようになった。そうして壮大なストーリーが生まれた。でも、俺はストーリーを書き留めることに夢中になって、ストリングスのアレンジメントが二の次になっちゃったんだ(笑)。ストリングスのレコーディングとアルバムのミックスが終わった頃には、長編の壮大なストーリーができあがっていた。そこで、これは1つの作品にしないといけないと思ったんだ。フライング・ロータスにまたアルバムを聴かせたときに、俺は彼に、このアルバムは3枚組にして、ストーリーを伝えたいと説明したんだ。彼は笑ってたけど、17曲を聴いたときに、それを短くできないと納得してくれた。そのままの形でリリースしようということになったんだ。 
――リリース・コンサートでは、何十人もが一緒にステージに立っていましたが、このコンセプトは? 
アルバムをレコーディングした形態に似ていたから、アルバムをコンサートで再現したかったんだ。ステージに立ったミュージシャンのほとんどはアルバムに参加した人だった。35人をコントロールするのは難しかったけど、素晴らしいライブで感慨深かったし、とてもパワフルだった。バンドで、いつも即興でその場で新しいものを作り出しているけど、ストリングスとコーラスでそれをやったのは初めてだった。ミゲルが、マーカーボードに即興で譜面を書いて演奏させたり、ストリングス奏者が即興で演奏することもあった。または、他の曲の譜面をストリングスに演奏させることもあった。とてもクリエイティブなコンサートだったよ。 
――リリース・コンサートにはダディ・ケヴやガスランプ・キラーも出演してましたが、ロサンゼルスのビート・ミュージックから影響を受けたことはありますか? 
ビート・ミュージックは今のロサンゼルスの音楽シーンで最もインスパイアされる音楽のひとつだね。特にガスランプ・キラーは好きだよ。この間「Low End Theory」に行ったときに、ガスランプのDJセットがすごく良かったよ。あらゆるジャンルをミックスしてるところが好きなんだ。彼は世界中からいろいろなレコードを掘り起こしてるからね。彼をライブでフィーチャーしたのは、そのストーリーを伝えたかったんだ。お客さんに伝わったかわからないけど、ゲートキーパーのストーリーを表現しようとしてたんだ。ラス・Gが最初にライブに出演したけど、彼がゲートキーパーを象徴してたし、出演者はそれぞれ、ストーリーの登場人物を象徴してたんだ。 
――あなたのバンド、ザ・ネクスト・ステップについて教えてください。 
昔から一緒に演奏してた仲間の10人がザ・ネクスト・ステップとして演奏してるけど、実際は15人から20人のミュージシャンが昔から一緒に演奏しながら育った。その仲間とあるクラブでライブをやったときにザ・ネクスト・ステップが誕生した。一緒に育ったミュージシャンが作る音楽が素晴らしいと信じているし、俺たちが作った音楽を無駄にしちゃいけないと思うんだ。俺の父やその仲間を見ていて、素晴らしい音楽を作ったのに、世の中に発表されないものがほとんどだったから、それを繰り返したくなかった。俺は仲間のミュージシャンに、「自分たちの音楽を発表して次のレベルに進まないといけない」といつも言ってるんだ。サンダーキャットのアルバムがリリースされて注目されたときに、俺はそうなると予測してた。彼がデビューして話題になったとき、俺は20年前から彼がそういう演奏をしているのを見ていたから、不思議だったよ。ザ・ネクスト・ステップには、“俺たちの才能をもっと高いレベルで世界と分かち合いたい”というメッセージが込められてるんだ。 
――ロサンゼルスのジャズ・シーンの特徴を教えてください。そして現在の状況はどうですか?  
素晴らしいシーンだと思うよ。ロサンゼルスの音楽シーン全体と溶け込んでるからいいと思うんだ。ロサンゼルスのアフリカ系アメリカ人のジャズ・シーンは、基本的にラマート・パーク(西海岸のハーレムと呼ばれる地区)だけで起きていたんだけど、ロサンゼルス中で演奏してるよ。俺たちは「Low End Theory」でも演奏したことがあるし、ロック・クラブとか、いろいろな場所で演奏してきた。ロサンゼルスは音楽のるつぼだから、いろいろなタイプの人が聴いてくれるんだ。大きな街だから、それぞれのシーンが隔絶してるように思えるときもあるけど、それぞれのシーンを知っていれば、繋がっていることがわかるんだ。俺たちより上の世代のジャズ・ミュージシャンとの繋がりもある。ロサンゼルスのジャズ・シーンはお互いにサポートし合ってるんだ。先輩のジャズ・ミュージシャンは、アドバイスしてくれたり、俺たちの成功を喜んでくれるし、同じ過ちを犯さないように指導もしてくれる。俺たちも先輩たちのことを忘れてないし、尊敬してるんだ。俺たちは数々の偉大なミュージシャンを見て育ってきたけど、多くは脚光を浴びなかった。彼らは成功するだけの才能をもっていたのに、世間一般からは評価されなかっただけなんだ。 
――ロサンゼルスの先輩ミュージシャンで誰に影響されましたか? 
ホレス・タプスコット、ジェラルド・ウィルソン、アーサー・ブライスなどには影響されたよ。彼らは有名だったけど、その功績を考えれば、もっと有名になってもよかったと思う。ホレス・タプスコットと演奏できる前に彼は亡くなったけど、子供の頃に彼の演奏をよく見た。彼が亡くなってからも、彼が作り上げたパン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラは続いたんだ。俺もそのメンバーとして演奏したことがあるよ。 
――ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』への参加の経緯は? 
テラス・マーティンに俺のアルバムを聴かせたら、「ケンドリック・ラマーのアルバムに参加させたい」と言ったんだよ。もともと、俺はケンドリックのアルバムの最後の曲「Mortal Man」で演奏することになってたんだけどね。あの曲で、ケンドリックは2パックをインタビューしてるんだ。あのトラックを聴かせてもらったとき、2パックの声も入っていて衝撃を受けたよ。彼らから、曲の意味を教えてもらったんだけど、そのときにアルバム全体を3、4回聴かせてもらったんだ。曲を聴かせてもらってるうちに、他にも演奏してほしい曲が出てきたから、3、4曲に参加することになったんだ。テラス・マーティンはケンドリックのアルバムにプロデューサーとして参加してるけど、素晴らしいサックス奏者でもある。テラスもマルチスクール・ジャズ・バンドのメンバーだったし、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンのメンバーでもあるんだ。俺は彼と育ったんだ。テラスの新作アルバム『Velvet Portraits』(※2015年末にリリース予定)にも俺は参加しているよ。 



- 来日公演 -

開催日:
2015年10月30日(金)、31日(土)、11月1日(日)


会場:
Blue Note Tokyo


時間:
10月30日 [1st] 開場17:30/開演19:00 [2nd]開場20:45/開演21:30
10月31日(土)、11月1日(日)[1st] 開場16:00/開演17:00 [2nd] 開場19:00/開演20:00


料金:
7,800円(税込)


出演者:
Kamasi Washington (sax), Patrice Quinn (vo), Ryan Porter (tb), Brandon Coleman (key), Miles Mosley (b), Tony Austin (ds), Ronald Bruner Jr. (ds)


■Blue Noto Tokyo
http://www.bluenote.co.jp/jp/

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