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Interview with Snarky Puppy 二度のグラミー獲得を経て到達
ジャズ・オーケストラの未来形
取材・文:富澤えいち
写真:難波里美、(c)Creativeman Productions All Rights Reserved.

Snarky Puppy

INTERVIEW
INFORMATION

 2004年のデビュー以来、“最も売れているジャズ・アーティスト”の名をほしいままにし続けているバンドがいる。その名はスナーキー・パピー。
 この不思議な名前のバンドは、テキサスを拠点に活動していた精鋭ミュージシャンによって結成。約30名のメンバーのなかから流動的にプロダクションへ対応していくという、合理性と柔軟性と品質のパーフェクト・バランスを具現させる希有な存在としてシーンでも一目置かれるようになっていく。
 彼らにとっての世界的なブレイクは、2013年にリリースしたアルバム『Family Dinner‘ Vol.1』収録の「Something (with Lalah Hathaway)」が2014年のグラミー賞ベストR&Bパフォーマンスを受賞したことがきっかけ。そしてさらに、2016年のグラミーでは、アルバム『Sylva』がベスト・コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバムを受賞。
 もはや、彼らが提唱するJafunkadansion(「ジャズ+ファンク+ダンス+フュージョン」の融合を意味する彼らの造語)の分野では“向かうところ敵なし”といった状態なのが、このスナーキー・パピーなのだ。
 日本公演のために来日していたリーダーのマイケル・リーグに、この不思議にして頂点に立ち続けるバンドについて、語ってもらおう。
 
 
――今回のステージはメンバー9人とゲスト1人という構成でしたが、メンバーの数や顔ぶれというのは、会場の大きさやプログラムによって変えるのですか?
いや、ステージやプログラムといった外的な要因とメンバー構成は関係ないね。重要なのは、音楽的なバランスなんだ。8人以下の人数で演奏すると、どうしてもサウンドが薄くなるような気がしていて、だからと言って10人以上必要なのかと言えば、それだとウルサすぎてしまう。メンバーが多すぎると、それだけでステージの上がワサワサしちゃって、落ち着かないからね(笑)。大事なことは、意図したサウンドが必要十分な状態で観客に届いているかということ。そのバランスを考えると、いまの人数がちょうどいいという判断なんだ。
――メンバーの顔ぶれについては?
プロジェクトごとに考えるということはないよ。だいたい核になってくれるメンバーがいて、あとはツアーごとにメンバーを一部入れ替える、という感じかな。
――それは、エキストラ(代演者)という考え方ではないんですか?
いや、やっぱり代わりに来てもらう人も、バンドのメンバーという意識なんだよね。スナーキー・パピーは完全な固定メンバー制ではないけれど、代わりの人が演奏する頻度も高いから、やっぱりその状態もまたスナーキー・パピーと言わざるを得ないと思っているんだ。じつは、最初のころに代演を頼んだら、その人のキャラクターがバンドにもたらした効果がとても刺激的で、代演ではなくメンバーになってもらったという経験があるんだよ。それ以来、楽器が足りないから人を呼ぶんじゃなくて、その人のキャラクターをスナーキー・パピーに加えてほしいから呼ぶという考えを続けているんだ。
――違うメンバーが来ると違うバンドになりませんか?
そうなんだけど、その個性の変化も含めての“スナーキー・パピーというバンド”という考え方もあっていいんじゃないかと思ってやっているんだよ。
――スナーキー・パピーというバンドと、そこで演奏している演奏者としての自分についてうかがいたいのですが、“自分が誰かの楽器である”という意識はありませんか?
“誰かの楽器”って、どういう意味?
――デューク・エリントンの“片腕”として知られるビリー・ストレイホーンが残した言葉に、「本当の意味でデュークの楽器はバンド全体だった」というのがあります。それをスナーキー・パピーに置き換えて、メンバーである演奏者が作曲者やリーダーにとっての“楽器”という意識をもつことはあるのかな、と。
これはボクだけじゃなく、メンバーみんなもそう考えていてくれていると思うんだけど、基本的には同じ意見だね。じつは、13年も一緒にバンドとして演奏していると、意図しなくても自然にケミストリーが発生するんだ。誰かが曲をもってきても、それをただ演奏するだけじゃなく、その曲をきっかけにいろいろな音楽的可能性が見えるようにしてくれる。作曲者としては、こんな刺激的なことはないよね。自分が作ったものがきっかけになって、どんどん新しいものが生まれていくんだから。


――スナーキー・パピーの譜面って、どうなっているんですか?
あ~、譜面はないんだよ。最初のころは作ったこともあったんだけど、譜面より実際に音を聴きながらサウンドを作っていくほうがはるかにおもしろくなることに気づいてからは、書かないことにしたんだ。もちろん、デモンストレーション・トラックは作ってメンバーに送っているけどね。
――アレンジは?
デューク・エリントンやビリー・ストレイホーンもそうだったと思うんだけど、メンバーのことを念頭に置きながら、というスタイル。あと、個人的なことで言えば、僕は音楽の質感にすごくこだわるタイプなんだ。オーケストレーション的な展開を考えているときにはストラヴィンスキーが好きだから彼のアイデアを応用してみようとしたり、ビョークのようなアンサンブルでもフォークロア的なアンサンブルでもいいんだけど、いろいろなことを想定しながら、パレットに色を並べて、スナーキー・パピーというバンドをどんなふうに彩っていけばいいのかということを考えるという感じかな。
――アレンジを含めて、ライブとレコーディングでのコンセプトは変えていますか?
コンセプトはもちろん変えるべきだろうけれど、その違いはほんの少ししかないと思っているよ。ライブであろうとスタジオでのレコーディングであろうと、どちらも“ユニークな音楽的体験の場を作り、その瞬間を捉える”ということが、細かいコンセプトの違いよりも大切なんだよ。コンセプトということでは、レコーディングというのは“曲のエッセンスを捉えること”で、ライブは“そのエッセンスを広げていくこと”なんじゃないかな。
――新作の『クルチャ・ヴルチャ』は、8年ぶりのスタジオ・レコーディング作品ですが、あえてスタジオに入らないことを選んでいたんですか?
この期間というのは、スナーキー・パピーにとってアルバムというかたちで作品を残すよりも、オーディエンスがいるなかでのDVDの収録のほうに比重を置いていたんだ。そのことでスナーキー・パピーはよりライブ・バンドとして成長することができた。で、DVDプロジェクトはそろそろやり尽くした感じがあったので、今回はスタジオに戻ってみよう、ということだったんだよ(笑)。
――今回の『クルチャ・ヴルチャ』の制作では、良くも悪くも『Sylva』でのグラミー賞受賞を意識せざるを得なかったんじゃないかと思うんですが。
確かに、グラミー賞を受賞する前と後で状況がガラッと変わってビックリしたことはあったね(笑)。もちろんグラミーは光栄なことだけど、それがスナーキー・パピーの活動やサウンドに影響するというのは、基本的にはあり得ないと思っている。ただ、スナーキー・パピーを取り巻く環境を変えてくれたという点では、感謝しているけどね。だって、音楽業界からも音楽コミュニティからもよりリスペクトされるようになったし、ツアーのギャランティも上がったし、泊まるホテルも良くなったしね(笑)。
――『クルチャ・ヴルチャ』では“消費社会への批判”がテーマになっているとのことですが、インストゥルメンタルの利点とも言うべきか、具体的に良いという主張も悪いという主張も示されていません。意図的に明確にしなかったんでしょうか?
じつはこのテーマって、自分たちに向けた自虐的なネタなんだよね。僕らから消費者に対してなにかを訴えるというものではないし、ポップス文化に対しての批判でもステートメントでもないんだ。たとえば、今回も日本に来て、この3日間はずっと日本食を食べて、日本のお酒を飲んで、日本の友だちと過ごしてというように、滞在するあいだは積極的に日本のものを吸収して、それを自分たちの体験として持ち帰ることになるよね。そしてまた、次の滞在地で同じような行動を取るわけだ。そんな行動をもう何年も続けてきたけど、それはつまり、僕たち自身が“文化を消費”して、その恩恵をたっぷり受けてきたということだから、そこをちゃんと意識しなくちゃいけないってね。実際に『クルチャ・ヴルチャ』の1曲目「タロヴァ」はインドで体験したものが表現されているし、2曲目「セメンチ」はブラジルだったりするんだけど、リスナーに意識してほしいというよりはスナーキー・パピー自身が意識しなくちゃという意味の“自虐ネタ”なんだよ(笑)。

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