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Interview with Mathieu Jaton・沖野修也 スイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」の
二代目CEOが語る“巨大フェス運営の極意”
文:楠元伸哉
写真:Atsuko Tanaka

Mathieu Jaton・沖野修也

INTERVIEW
INFORMATION

 去る10月7日〜9日の3日間、東京で「モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン 2016(以下:MJFJ)」が開催された。ご存知の方も多いと思うが、今回で2度目の東京開催となるMJFJは、世界3大ジャズ・フェスティバルのひとつ、スイスの「モントルー・ジャズ・フェスティバル(以下:モントルーフェス)」が母体となっている。スイス本国のモントルーフェスは毎年7月に開催されており、今年はなんと開催50周年にあたるメモリアルイヤー。そんな“本家モントルー”の最高経営責任者であるマシュー・ジャトン氏の来日に合わせて(MJFJの2日目に)インタビューを敢行した。世界屈指の規模と歴史を誇る音楽フェスを運営する男とは、一体どんな人なのか? MJFJに対してどんな思いを持っているのか? 聞き手は、この夏にスイスのモントルーフェスに行ったという音楽プロデューサーの沖野修也氏。マシュー氏とは今年の夏にスイスで会って以来、約3か月ぶりの嬉しい再会となったようだ。
 
 
沖野:さっそくですが、MJFJの初日を振り返ってみて、どうでしたか?
マシュー:まず、東京に来られたことを嬉しく思います。昨日のステージ(MJFJ初日の開会スピーチ)でも言ったように、東京は大好きな街なんだ。ガーデンホールは初めてだったけど、すごく良いホールだった。そこで見たメタファイブも特に素晴らしかったよ。
沖野:僕はヘンリク・シュワルツと板橋文夫さん、Kuniyukiさんのコラボレーションが良かったなぁ。音源でしか聴いたことがなかったので、それがMJFJで実現して嬉しかったです。
マシュー:ああいうアーティストはライブで見て初めてプロジェクトの素晴らしさが伝わるんじゃないかな。ライブだからこそ出せる緊張感や迫力というのが昨日のステージにはあったと思うし、ジャズのDNAとエレクトロニック・ミュージックの要素が見事に合致していた。心に強く訴えてくるものがあって感銘を受けたよ。まさにMJFJ精神を象徴しているライブだったと思うし、そうしたセッティングをしてくれた日本のスタッフに感謝したい。本当に良い仕事をしてくれた。
沖野:今日と明日、あと2日間ありますが、どんなことを期待していますか?
マシュー:明確に“こういう音楽を期待してる”というのはないけど、私が期待するのは“驚き”かな。新鮮な発見や驚きがあることが重要だと思うんだけど、スイスの流儀を東京に当てはめる必要はないとも思っています。そもそも、規模や歴史や環境が違うのだからね。やはり日本のスタッフが東京に合う形でやっているところが、素晴らしいと思うよ。そこがMJFJの精神であり、その精神は、スイス本国の「基本」をきちんと継承している。ポスターやフライヤーも本当に素晴らしいと思うし、ページを見ると日本の人にとってすごく特別なフェスティバルになったんだなと実感します。東京開催はまだ2年目だけど、今後、何年も続くと思うし、それはやはりMJFJの精神を強く受け継いでいるから、そのフェスティバル自体も素晴らしいものになっていくと思う。だからこそ、自分たちはできる限りの支援をしていきたい。
沖野:僕は今年の夏、スイスのフェスに行ってきたんですけど、すごい印象的だったのが、アクセスの良さです。空港からモントルーの駅まで電車でスムーズに移動できたし、駅と会場も近い。会場が湖のほとりにあるのも素晴らしいですよね。イギリスのグラストンベリーにしろ、日本のフジロックにしろ、現場まで行くの大変じゃないですか。だからモントルーフェスに行ったときの感覚と、恵比寿ザ・ガーデンホールのアクセスの良さっていうのは共通してるな、と。
マシュー:フェスティバルの運営に関しては、かつてのCEO(クロード・ノブス ※モントルーフェスの創始者)も、私も、ホテルビジネス的に考えている側面があって、とにかくお客様の満足度をすごく大事にしたいと思っている。他のフェスのプロモーターの中には、俺がこいつをブッキングしたぜ! みたいな自己満足でやってる人もいるんだけど、自分たちとしては見終わった後に笑顔で帰ってもらうことがいちばん大事。そういう意味でもアクセスは大事なポイントだと思っています。2時間も電車に乗ったり、車で行っても停められないとか、長い列に並ぶとか、濡れるとか、泥だらけになるとか、人それぞれいろいろなフェスティバルの経験があるとは思うけど、お客さんにすごく楽しんでもらえるということがフェスティバルが長続きする秘訣だと思うね。それは、バーに行っても並ばなくて済むとか、些細なことも含まれるんだ。昨日の会場もまさにそうで、みんな笑顔で一列目の人がサーブして、その後ろでは次の準備をしている。ものすごく効率的に動いていて、見ていて気持ち良かった。スイスのモントルーフェスも、常にそうありたいと思っているよ。
沖野:僕ね、今回(スイスには)3日しかいなかったんで、アル・ジャロウとPJハーヴィーとモーター・シティー・ドラム・アンサンブルしか見れなかったんです。でも湖沿いにテラスタイプのレストランがいっぱいあって、そこに行くのが楽しかった。もちろん、皆さん音楽目的でモントルーに来てるんですけど、いろんな屋台だったり、テラスのバーやレストランで、その景色を楽しみながら、環境全体を楽しんでいる。そういう“今日のエクスペリエンス”としてモントルーフェスは存在していて、すごく良かったですね。いろんな音楽フェスに行きましたけど、フェスティバル周辺の施設の充実度は群を抜いてレベルが高いと思いました。
マシュー:ありがとう! そうなると……東京にも小さな湖が必要ですね(笑)。


沖野:ははは。そもそもマシューさんはどういう経緯でモントルーフェスの最高経営責任者になったんですか?
マシュー:最初にモントルーフェスと関わりができたのは18歳の頃で、当時の私はジャズロックバンドをやっていた。創始者のクロード・ノブスは当時ワーナーミュージック・ヨーロッパで働いていて、私の知人経由で繋がりがあったんだ。そこで私は自分の音楽を聴いて欲しい、と彼に頼んだんだ。18歳の頃の私はうぬぼれが強くてね(笑)。
沖野:で、聴いてもらえた?
マシュー:1時間くらい聴いてくれて「まあ、いいんじゃないの」って言ってもらえたんだけど、結局フェスティバルには呼ばれなかった。それから1年後、私はローザンヌのビジネススクールに行こうと思って、いろいろ準備していた時期だったんだけど、たまたま朝5時にばったりクロードに会ったんだ。その時にしばらく話をしたんだけど、後日、電話があって「もし良かったら明日からフェスティバルに来てアーティストの受付をやってくれないか?」って。出演アーティスト周りの手伝いができるなんて、19歳の自分には夢のような仕事だった。それを機に、VIPやアーティストの面倒を見るという仕事を5年間学校に行きながらやったんだ。その学校を卒業して24歳になっていた私は、仕事を探していた。もちろんモントルーフェスで働きたいけれど、当時フルタイムで働けるのは10人ぐらいだったから、もう空きはないだろうと思ったんだ。ところがある日、クロードから電話がかかってきて「うちでマーケティングをやってくれないか?」と。信じられなくて「本当?」と何度も聞いたよ(笑)。
沖野:熱意が伝わったんですね。
マシュー:うん、そんなわけで最初にやったのはスポンサー探しとマーケティングだった。1年間その仕事をやって、私が25歳になった頃、社長の秘書のみたいなことをやって欲しいと。でも、25歳の自分に、なぜそんなことを頼むんだろうと疑問だった。すると彼は「私はもう65歳だから、これから先のことを君と一緒に考えたい」ということを言ってくれた。そこから私はクロードの秘書として、あらゆることを学んだ。プロモーションやブッキング、全ての面について彼から学び、世界中を回りながらノウハウを吸収した。だから、2013年にクロードが他界したとき、こんな言い方はなんだけど、自分たち(モントルーのスタッフ)は、準備は出来ていた。
沖野:でも、大きな重圧があったのでは?
マシュー:そうだね。周りからしてみれば、創始者が突然亡くなって「これからどうするんだ?」と思っただろうね。でも私には12年間秘書を務めて学んだという自負があったし、私たちチームとしても、ずっと準備をしてきたから自分たちのやることはわかっていた。クロードの精神を引き継いで未来を築いていく“自由さ”や“可能性“も自分は感じていたよ。なぜなら彼は、戦略的に将来こうやっていくんだ、と凝り固まった人ではなくて、その場の感覚で判断する、直感的かつ本能的な人だったから。
沖野:なるほど。
マシュー:ジャーナリストたちからも、さんざん訊かれたよ。「これからどうするの?」って。これに対して私は「いままで通り、続けますよ」と、そう答えた。クロードはもういないかもしれないけれど、彼の精神はここにあって、しっかりとしたチームもある。そこには、長年続く「モントルーフェスの精神」がきちんと存在しているんだ。
沖野:やはり、クロード・ノブスは偉大な人だったんですね。
マシュー:彼の何が素晴らしかったかというと、自分のためにフェスティバルをやっていたのではなく、モントルーのブランドと精神をしっかり築いたということ。だからこそ今後もずっと続いていくと思うし、その精神が東京でも引き継がれ、そして世界中で愛されるユニークなブランドになるということを実感しています。
沖野:僕もTOKYO CROSSOVER/JAZZ FESTIVALっていう音楽フェスをやっていて、あなたのフェスとは規模は違うけれど、その気持ちや苦労はすごくよくわかりますよ。ひとつのフェスティバルを成功させるために、費用や集客、セキュリティ、プログラムなど、とにかくいろんな問題をクリアしなければならないですよね。ときに想像を絶するようなトラブルにも見舞われると思うんですけど、その乗り越え方みたいなものはありますか?
マシュー:魔法はないし、秘密もないんですよ。ただ、仰る通り、フェスティバルをやることがどれだけ大変かということをあまりみんな知らないと思う。アーティストを適当に並べて演奏させればいいんでしょ、と思っている人もいるかもしれない。でも実際の現場ではものすごくたくさんの仕事があって、その仕事を全部把握しないとイベントの運営は難しい。そこには警備とケータリングみたいな全く分野の違うものが多数存在する。例えばホテルを運営する上では「36の仕事」があるんだけど、フェスでは「50の仕事」がある。そこはまあ、場所や環境によっていろいろ変わるけれど、私が考えるには、大きいフェスより小さいフェスをやる方が大変だと思う。
沖野:どういうこと?
マシュー:大きいフェスになるほど、ひとつひとつの「仕事」に対してスペシャリストを雇うことになるからね。一方、小さいフェスだと自分で全部をやらなきゃいけない。だからといって大きいフェスをやれと言ってるわけではなくて、大切なのは、じっくり時間をかけること。ゲストが満足するもの、アーティストがそのフェスの精神を感じられるものを作り上げることが大事だ。MJFJはきちんとそれを実践できている。小さい規模から始めて、しっかり評価を上げていく。そうやって先に進んでいくんだ。今年50周年をむかえたモントルーフェスも、最初の年(1967年)は3日間の開催で、1日あたりの集客は1000人だった。小規模でスタートして、信頼を勝ち取り続けることが大事なんだ。
沖野:今回、MJFJに来てくれたお客さんには、是非、本国のモントルーフェスを体感してほしいと思うんですよね。僕も次に本国のフェスに行くとしたら、できるだけ長く滞在して、休暇兼出演とかできれば(笑)。
マシュー:そうだね。ぜひ、モントルーを堪能してほしい。
沖野:日本の音楽ファンに、何かメッセージはありますか?
マシュー:いま沖野さんが言ったように、MJFJを経験した皆さんには是非、スイスのモントルーにも来ていただきたい。同じく、こうして日本の素晴らしさを知った私は、スイスから日本に訪れる人が増えるよう働きかけたいと思っています。じつは今回もMJFJの開催にあわせて、モントルー市長をはじめ、観光局長やカジノの代表者、ワインのメーカーなどが代表団として来ています。東京はすごく都会的に洗練された都市型フェスだけれど、モントルーのフェスはのどかな街の湖畔でやっています。素晴らしいロケーションなので、1週間ぐらい滞在して食べ物や景色など、いろいろ楽しんでもらいたいと思っています。
沖野:じゃ、来年の夏にまたモントルーで会いましょう。
マシュー:そしてまた10月の東京で。今日は本当にありがとう。



撮影協力:MUSIC BAR berkana(東京都目黒区三田 1-13-4 恵比寿ガーデンプレイス ブリックエンド)
2016年10月6日にオープン。ジャズを中心に様々なレコードとクラフトビールなどが楽しめるミュージックバー。
http://gardenplace.jp/shopping/detail/berkana/

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