Arban

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Interview with BIGYUKI 演奏中の自分が「無」になる瞬間。
幼い頃に感じた“音楽の風”
取材・文/熊谷美広
写真:衣斐 誠

BIGYUKI

INTERVIEW
INFORMATION

 いまから10年前。米バークリー音楽大学の門をくぐったときの彼は、何者でもなかった。そんな若者が、かの地で研鑽を積み、いつしか周囲の人間たちは、彼をこう呼ぶようになる。BIGYUKI(ビッグ・ユキ)。
 彼の本名にちなんだニックネームはそのまま、アーティストネームとなり、気がつくと、Qティップ、ビラル、ロバート・グラスパー、タリブ・クウェリといった“ブラックミュージック界の至宝たち”までもが賞賛を寄せるキーボード奏者になっていた。
 そして渡米から10年が経った今年11月。これまで一度も帰国することのなかった彼が、ついにブルーノート東京のステージに立ち、満場の拍手と喝采を浴びる。
 そんな“凱旋”の興奮冷めやらぬ後日。拍子抜けするほどフランクで自然体の彼が「何でも話しますよ」と、記者の前に現れた。

――さっそくですが先日のライブ、拝見しました。
「ありがとうございます! で……どうでした?」
――興奮しました。本当に素晴らしい体験でしたよ。
「ホントですか!? よかったぁ」
――アルバム『GREEK FIRE』(今年6月に発表した初リーダー作)はもちろん聴いていましたが、やはり実際の演奏を目の当たりにすると、驚きと発見がたくさんあって。
「例えばどんな?」
――まず感じたのは、漠然とした疑問です。それは、アルバムを聴いて感じた疑問でもあるんですが“この人は一体、どんな音楽的バックグラウンドを持っているのだろう?”と。
「なるほど。まず、基礎にあるのはクラシックです。母がピアノをやってて、家にアップライトのピアノがあったんですよ。それで遊んでいるうちに、ちゃんと習ってみようかということになって。小学校を卒業するまでは、クラシックピアノを真面目にやってました」
――子供の頃の“習い事”って、嫌じゃなかったですか?
「練習は嫌いでしたよ(笑)。でもね、人前で演奏すると“曲の中に自分が入る”っていうのかな、ちょっと不思議な感覚なんですけど“自分が無くなっちゃう瞬間”があって」
――音楽と自分が同化する、みたいなことですか?
「うーん、うまく説明できないんですけど、不思議な状態になる。で、そのときなぜか、首に“ヒュッ”と風を感じるんです。俺はそれを“音楽の風が吹いた”って言ってまして。ずっと忘れてたんですけど、最近、そのことを急に思い出したんですよね」
――音楽の風……。アスリートやクリエイターが、究極の集中状態に入ることを「ゾーン」とか「ピーク・エクスペリエンス」と表現しますけど、それに近い体験をしていたのかもしれませんね。しかし「音楽の風が吹く」とは、いかにも子供らしい表現というか……ちょっと天才的な何かを感じますよ(笑)。
「いまこうして口に出すと恥ずかしいんですけどね。子供の頃の自分は、その奇妙な現象を、そう呼んでました。ちなみに、その頃ピアノを習っていた先生が、わりと高齢の女性だったんですけど、俺が人生で会ったなかで、いちばんソウルフルな先生で」
――どんな人だったんですか?
「日本(のピアノ教育)って、テクニックを重視したり、アカデミックに音楽を捉える人がすごく多いと思うんですけど、その先生は心で音楽を奏でる、感情を大切にする人でした。幼い俺を膝の上に乗せて、先生の手の上に俺の手を重ねて弾いたりして。身体で捉えて弾くということも教えてくれました。それが、音楽のジャンル以前に、俺の音の根元にあると思います」
――そこから順調に、クラシックの道を歩み続けた?
「いや、中学のときはサボってました。高校でまた始めましたけど」
――ははは。男の子はそうなりますよね。中学生になって何か別の楽しみを見つけた、とか?
「う〜ん、『シムシティ』ですかね(笑)」
――ゲーム!?
「あと、その頃に一旦、親元を離れたんで、ピアノを続けるモチベーションを持続できなかった、ってのもありますねぇ」
――その当時、クラシック以外に聴いていた音楽は?
「ジュディマリ(笑)。あとTM NETWORKとかも好きでした。でも、そこから“掘り進める”ことはしなかったですね」
――当時の流行歌を普通に受け入れて、普通に楽しんでいた、と。
「そうですね。あと、友達の影響でニルヴァーナとかも聴き始めて。そこからすごく攻撃的な音楽を爆音で聴きたいという欲求も生まれて。たとえば、アタリ・ティーンエイジ・ライオットなんかも聴いてましたね」
――そういう人が、どうしてジャズの名門であるバークリー音楽大学に進んだのですか?
「大学受験のときに“自分がほんとうにやりたい、パッションを感じることは何か”って考えたんですよ。すると、やっぱり音楽なのかな……と」


――バークリーへの進学に対して、ご家族の反応は?
「うちの母親はかつて交換留学生としてニューヨークに行っていたことがあって。『日本で死んだ魚の目をしているくらいなら、海外に行くのもいいだろう』という話になって。ジャンルとかは考えずに、バークリー音楽大学って有名だからどうだろう? って調べ始めたんです」
――実際に入学してみて、どうでした?
「いやぁ、天才っていうのはいるんだなぁ、って(笑)。とんでもないヤツがいっぱいいて。当時、同じ日本人だと上原ひろみさんはすでに学内でスーパースターでしたし、自分がいかにしょうもないヤツかって、思い知らされましたねぇ(笑)。でもそこで、天才たちの演奏を聴いて、ものすごい喜びを感じました。『こういう音楽をやりたい!』っていう、高揚感を与えてくれたというか。なかでも決定的だったのが、Wally's Cafeという、ボストンの学生の登竜門のようなジャズ・クラブで観たファンク・バンドです。そこでシンセサイザーを弾いてるヤツを見て、吹っ飛びました。こんな音楽の組み立て方があるんだ! めちゃくちゃカッコいいじゃん! って。そこからドゥービー・パウエルという人を知って、シンセでベースを弾くということも始めて。さらにオルガンに興味を持ち始めて、ゴスペルにもハマっていって」
――えーと、ここまで、ほとんどジャズの話が出てきませんね(笑)。
「“ジャズ”っていう言葉自体、人によって解釈の仕方が違うと思うんです。ほとんどの人はストレート・アヘッドな、いわゆるモダンジャズを想像すると思うんですけど、自分はいろいろなエレメントを入れて、なおかつ、それをひとつの音楽として提示するプラットホームを“ジャズ”と呼んじゃってもいいと思ってるんです」
――まったく同感です。そもそもジャズのルーツ自体、アフリカ音楽とヨーロッパ音楽の混交ですからね。先日のライブを聴いて感じたポイントもまさに“90年代のヨーロッパで勃興したサウンドのエレメントを、上手に加工して、自分の音楽に反映させている”という点でした。例えばドラムン・ベースやダブステップだったり、トリップ・ホップだったり。同時に、70年代のクロスオーバー的な空気も感じます。
「いま、自分がニューヨークで一緒にやっている連中のなかには、そこを通ってきたヤツとか、まさにイギリスから来ているヤツもいて。俺は彼らのサウンドがすごく面白いと思っていて、影響を受けている部分はあると思います」
――そういう体験の蓄積が、あのアルバム『GREEK FIRE』に反映されているのだと思うんですけど、何か明確なコンセプトを設けて制作したのですか?
「とりあえず、あの時点で“頭の中にあるもの”を全部出したかったんですよね。在庫一掃セールです(笑)。それで全部パーッと出して、スカッとして、新しいものを作りたい、と」
――ってことは、いま作りたいと思っているものは、このアルバムの中にはない?
「そうかもしれませんね。あのアルバムは、当時の正直なものであることは確かですけど。例えば、あれを作ったときは、何人かのミュージシャンが一斉に演奏して“そこで生まれるマジックに勝るものはない”って信じていた。だから、曲もライブで演奏することにこだわっていたし、自分も二本の腕で演奏することを前提にしていた。でも、その反面“肉体的な限界が、音楽の限界にもなっている”とも感じました。いまは、そこには制約されない“スタジオでやれること”をすべてやろうと思っています」
――なるほど。表現や曲づくりに「制限」を作らない、ということですね。ところで今回、10年ぶりの帰国だそうですけど、久しぶりに日本に帰ってきて、驚いたことはありますか?
「メシが美味い(笑)。最初は、もっと衝撃を受けるかなぁ、泣いちゃうんじゃないかなぁ……って想像していたんですけど(笑)。意外に冷静でしたね。きっと今回のライブは、まだまだ“やりたいことへのステップ”であって、『本当の勝負は、これからなんだ』っていう気持ちが、心のどこかにあるんでしょうね」

 人懐っこく、好奇心旺盛。軽妙かつ柔軟な物腰。洒脱でユニークな好人物だ。そんな彼のキャラクターは、そのまま“BIGYUKIの作風”ともシンクロする。しかしその一方で“ダークでドープで退廃的な世界”を表現する術も、彼はきちんと知っている。いずれにせよ、音楽と向き合うBIGYUKIの姿は、まるで大好きなおもちゃで遊ぶ子供のようだ。
 彼が幼い頃に感じた「音楽の風」は、きっと今も吹いている。


 

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