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Interview with マイルス・エレクトリック・バンド
Part 1
「マイルス・デイヴィス門下生」たちが語った
知られざるマイルス伝説
撮影/Masanori Naruse 小泉 健悟

マイルス・エレクトリック・バンド Part 1

INTERVIEW
INFORMATION


 今年4月上旬、マイルス・エレクトリック・バンドが来日公演をおこなった。その名の通り、マイルス・デイヴィスの“エレクトリック期”に着想を得たグループ(総勢10名)で、メンバーも超一流。なかでもコアメンバーとしてバンドを牽引する3名はマイルス本人との関係も深い。
 
 まずは、マイルスの甥でもあり、『デコイ』(84年)、『ユア・アンダー・アレスト』(85年)といったアルバムにドラマーとして参加したヴィンス・ウィルバーンJr.
 同じく80年以降、マイルスバンドに在籍し、マイルス最長のコラボレーターのひとりとして知られるロバート・アーヴィング3世
 さらに同時期、ベーシストとしてバンドに参加し、現在もローリング・ストーンズのサポートメンバーとしても知られるダリル・ジョーンズ
 
 彼らは“あの当時”を最もよく知るマイルス門下生であり、とりわけ「エレクトリック期のマイルス作品」への再評価の機運が高まる現在において、重要な証言者ともいえる存在。そんな彼らに聞いた、いま、なぜエレクトリック・マイルスなのか? そしてマイルス・デイヴィスとは何者だったのか。聞き手は、マイルスに最も接近したジャーナリストのひとりとしても知られ、みずからも、エレクトリック期のマイルスに触発されたバンド“Selim Slive Elements”を率いる小川隆夫氏。


小川隆夫 まず始めに、このバンドの結成の経緯を教えてください。
 
ヴィンス・ウィルバーンJr. ロスのサンセット・ジャンクションっていうフェスティバル。それが最初だ。
 
ダリル・ジョーンズ あれはたしか2010年だったな。
 
ヴィンス 結成当時はマイルスのトリビュート・バンドではなく、マイルスの音楽を俺たちなりに解釈して演奏する、っていうテーマでスタートした。この2人(ダリル・ジョーンズとロバート・アーヴィング3世)は俺にとって兄弟同然だから、最初は彼らのようなコアなメンバーで話し合ったんだ。実際に俺たちはマイルスと一緒にプレイしてきたからね。彼の音楽を最高の解釈で表現できる方法とはなんだろう? と、一緒に話し合った。その過程も楽しかったよ。みんなが素晴らしいアイディアを持っていて、全員が提案してきたんだ。すべては「マイルスの音楽を前進させるため」という気持ちでね。
 
小川 具体的にはどんな話し合いを?
 
ダリル サウンドに関することは、すべてさ。
 
ヴィンス 例えば、どの曲をプレイするか? ってところから、どの町(国)で、どのトランぺッターをフィーチャーしようかってことまで徹底的に話し合う。ニコラス・ペイトンのときもあれば、ウォレス・ルーニーのときもある。今日はエティエンヌ・チャールズ。オーストラリアではクリスチャン・スコット。ハワイに行けば(マイルス映画の)サントラでも吹いているキーヨン・ハロルド。ダリル・ジョーンズがトランペットやる可能性だってある。
 
ダリル はぁ!?
 
ヴィンス 冗談だよ。ははは。
 
小川 でもほとんどのメンバーは固定しているんだよね?
 
ヴィンス 固定っていうより、コアメンバーがいる、って感じかな。
 
ダリル 俺が(2010年の)サンセット・ジャンクションで気づいたのは、かなりの数のバンドが、マイルスのそれぞれの時代の音楽を演奏していたってことだ。そのとき思ったのは、俺たちがマイルスと演奏していた時期(のマイルスの音楽)は敬遠されることもあるから、そんな状況の中でどう演奏するか? ってことだった。それともうひとつ。俺たちがなぜ若い世代のミュージシャンを使うのかというと、音楽を前進させるためなんだ。「俺たちがマイルスと一緒に演奏したときはこういう感じだった」という表現方法や形式を、若い世代に理解してもらうためなんだよ。いまのエレクトリック・ミュージックは『ビッチェズ・ブリュー』あたりのサウンドの延長線にあるわけだろ? あの頃のマイルスが発展したんだよ。
 
ロバート・アーヴィング3世 そうだね。あれは音の変換期だったといえる。まるで化学反応のように、純粋なアコースティックから変換したわけだよ。現在ではみんながエレクトリカを高貴なサウンドにするために生楽器を取り入れようとしてる。でもそれはマイルスがすでにやったこと。マイルスがドラムマシーンと生楽器の音を、シーケンサーもだけど、融合してただろ? たぶんそんなことをしたのはマイルスが最初だったんじゃないか?

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