投稿日 : 2017.05.18 更新日 : 2021.06.28

【スナーキー・パピー|インタビュー】3度目のグラミー獲得 直後の本人が語った“デビュー14年目の真実”

取材・文/林 剛 撮影/古賀 恒雄

スナーキー・パピー

メトロポール・オーケストラとの共演作『Sylva』(2015年)に続いて、8年ぶりのスタジオ録音作『Culcha Vulcha』(2016年)が過日の第59回グラミー賞で「ベスト・コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム」を受賞。2年連続で同部門の栄冠に輝き、3度目のグラミー・ウィナーとなったスナーキー・パピーの快進撃が止まらない。バンドの首謀者でベーシストのマイケル・リーグに、来日公演のタイミングで話を訊いた。

——デビューから10年以上経ちますが、近年のグラミー受賞によって、あなたたちを取り巻く環境が大きく変わったのでは?

「音楽的な変化はまったくないけど、周囲の環境がものすごく変わってきたよ。人々が自分たちを見る目とか、待遇面が良くなったりとか、そういう意味では良い方向に変化している。でも、個人的にはそれって悲しいことでもあるんだ。受賞したことでバンドが変わったわけではなくて、もともといいバンドなのに……って言いたくなってしまう。とはいえ、自分たちの音楽を聴いたことがなかった人が聴いてくれたり、違う聴き方で楽しんでもらえるようになったことには感謝しているよ」

——一昨年のアルバム『Sylva』はインパルスからのリリースでしたが、それ以外の作品はあなたが主宰するグラウンドアップからのリリースですよね?

「『Sylva』だけがグラウンドアップと関係ない唯一のメジャー作品だね。『Culcha Vulcha』に関してはユニバーサルがグラウンドアップをディストリビューションしていて、(『Family Dinner Volume One』などを配給した)ローパドープも同じだね。グラウンドアップは自分が作った子供のようなレーベルで、自分が抱えているアーティストが最適な形で作品を発表できるようなプラットフォームのようなものだと考えている。メジャーのレーベルだろうが、どこの配給だろうが、アーティストが自分のやりたいように作品を作れる環境を整えてあげることが、いちばんの役目だと思っているんだ」

——グラウンドアップからは昨年、『Family Dinner Volume Two』にも参加していたベッカ・スティーヴンスや、デイヴィッド・クロスビーの新作を出しましたね。

「『Family Dinner Volume Two』に参加してもらったアーティストも以前から自分が大好きな人たちばかりで、デイヴィッド・クロスビーなんて1歳の頃から聴いていたような人だったからね。フォーク・ミュージックに色彩とか質感を加えた重要人物。ベッカはポップ・ミュージック、と言ってもブルーノ・マーズなんかとは違ったそれだけど、ポップっぽいアクセスがある音楽をやっていて、自分はそういう音楽を聴きながら育ってきたので、彼らの作品をリリースすることは自然なことだったんだ」

——それらの作品に、あなたはプロデューサーとして関わっていますが、それはあなたの新たなステップと考えてよいのでしょうか?

「どんな作品であれ、アーティストと密接に関わっていればシェアするものや学んだりするものが多くなるよね。でも、自分の場合は14歳の頃から曲を書いたり、歌ったり、ギターを弾いたりしてきたから、新たに始めたのではなく、プロデュースに関しても単にその延長でやったという感じなんだ。だからプロデュースといっても特に目新しいことをやったわけではない。『Family Dinner Volume Two』に参加してもらったサリフ・ケイタも、アフリカ音楽をポップな世界に持っていった人だし、ローラ・マヴーラもポップ・ミュージックをもっと深いものにしていったように、自分もジャズの世界ではポップな存在だと思っているんだよね」

——今回、グラミーを獲得したアルバム『Culcha Vulcha』は、インドやブラジルでの体験が反映されていたり、アメリカ以外の音楽も視野に入れていました。そうなると、Jafunkadansion(ジャズ+ファンク+ダンス+フュージョンを合成した造語)なるキャッチコピーでは不十分ですよね?

「あの言葉はジョークなんだ(笑)。どこかのクリニックで自分たちの音楽がどういうジャンルなのか質問されて、ネイト(・ワース)が咄嗟にそう答えたんだ。あれはノリで言っただけで本意ではない。で、『Culcha Vulcha』に関しては他のアルバムとそこまでの違いはないと思うよ。ただ、ライブアルバムと違って、スタジオで録ることによっていろいろな音を重ねて重厚感が出たし、表現方法が豊かになった。もちろん、いろんな国に旅してパフォーマンスをした経験も音に表れているよ」

——40名近くのメンバーを抱えながら、流動的で、ライブでは10人を超えない程度にコントロールしている?

「9人か10人がベストだね。10人を超えると演奏している人間の自由がなくなってしまうし、9名未満だと自分たちが求める大きなサウンドにならない。例えば今回のツアーも、70日間あるから常にどこかで誰かが去って、誰かが戻ってくるってことになる。だから常に新鮮な気持ちでツアーに参加できる。本当に素晴らしいシステムだと自分では思っているんだ(笑)」

——今回のブルーノート東京公演には、パーカッションの小川慶太に加え、ロイ・ハーグローヴのRHファクターにも参加していたボビー・スパークスとドラムスのジェイソン“JT”トーマスも同行しています。RHファクターといえばスナーキー・パピーがテキサスで結成された2004年には既に人気でしたよね?

「RHファクターはスナーキー・パピーに最も影響を与えた存在なんだ。JT、ボビー、それに(NYからダラスにやってきたヴェテランの)バーナード・ライトはダラスの音楽シーンを担ってきた人たちだと思っていて。僕はダラスから北に1時間くらいのところにあるノース・テキサス大学に通っていて、卒業後ダラスに引っ越した時に彼らの活躍を目の当たりにしたんだ。RHファクターもそうだし、カーク・フランクリン、エリカ・バドゥなんかも(地元で)活躍していて、すごく興奮したね。彼らは僕にとって今もヒーローだよ」

——スナーキー・パピーにも籍を置くロバート“スパット”シーライトが一時期参加していたRC&ザ・グリッツとも繋がっていますよね?

「もちろん! じつは僕も1~2年くらいグリッツのベース奏者だったことがあるんだ。RC&ザ・グリッツって、今ではメンバーが固定したバンドとして自分たちの音楽をやっているけど、当時は水曜日の夜にジャズ・クラブでジャム・セッションを始める前にヒップホップやR&Bのカヴァー・ソングをメンバー入れ替わり立ち替わりでワンセット演奏していたんだ。スパットやショーン・マーティンが参加していたのもその頃だね」

——スパットやショーン、それにボビー・スパークスはカーク・フランクリン肝煎りのゴッズ・プロパティ出身でもありますが、あなたもゴスペルから影響を受けていますよね?

「ゴスペルと初めて関わったのは自分がハイスクールにいた16歳の時で、ワシントンDCの黒人が集まるバプテスト・チャーチでギターを弾いたんだ。ただ、本格的にゴスペルにのめり込んだのは大学を出た22~23歳頃、ダラスに引っ越してからなんだ。当時、3年間のうちに演奏していた半分は教会の中か、クラブでゴスペルのアーティストたちとギグをするという感じだった。カーク・フランクリンのもとでギターを弾いたり、1曲だけマイロン・バトラーの曲でホーン・アレンジを手掛けてベースを弾いたこともある。とにかくダラスのゴスペル・シーンにはすごく影響を受けていて、神様がどうのではなく、ゴスペルのアティテュードやアプローチを学んで、それをスナーキー・パピーでも実践しているんだ。ジャズの世界には自分たちのためだけに演奏しているような人も多い。でも、僕らとしては、ゴスペルがそうであるように、より観客と繋がろう、伝えたいっていう気持ちでやってるんだ」

——新作の予定は?

「来年初頭には出そうと思っている。ただ、僕が考えているアイディアが壮大で、ものすごくコストがかかる。だから、日本以外の国で音楽が全く売れなくなってきている今、本当にそれだけの費用をかけてそれに見合うだけのことができるかわからないし、自分の考えが実現するかどうかもわからない」

——『Family Dinner』の第3弾はあり得るのでしょうか?

「あのシリーズはスナーキー・パピーのアルバムだとは思っていなくて、そもそも若い人たちのために収益の全てを教育機関に寄付するベネフィット・アルバムなんだよね。だからアーティストはタダで参加してくれるけど、飛行機代、ホテル代、スタジオ代……と莫大な費用がかかる。だからどうなるかわからないけど、できたら嬉しいね」

取材・文/林 剛

2017年5月公開記事を再掲