投稿日 : 2018.02.06 更新日 : 2019.12.03
ジミー・スミスの赤いポロニット【ジャズマンのファッション/第7回】
文/川瀬拓郎
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「ファッションリーダーとしてのジャズマン」を考察する連載コラム。今回のテーマはオルガン奏者、ジミー・スミスのニットセーター。あの有名アルバムのジャケット写真から読み取れる“意外な事実”とは……。
色使いが巧みなメガヒット作
今話題になっている書籍『100年のジャズを聴く』(シンコーミュージック)を読み進めていると、ジャズとヒップホップの関係について言及している箇所がある。この本は後藤雅洋氏、村井康司氏、柳樂光隆氏という、世代の異なるジャズ識者による鼎談をまとめたものだ。1973年生まれの僕は柳樂氏と重なる音楽体験が多く、数多くのDJがジャズをサンプリングした経緯に触れ、「ヒップホップ以前/以後で音楽の価値観が変わった」という発言が特に印象に残った。
さて、自分が初めてサンプリングによってジャズを意識するようになったのが、ビースティ・ボーイズの「Root Down」(1994年発売の『Ill Communication』収録)である。ジミー・スミスの同名曲をサンプリングし、つい口ずさみたくなるベースラインをループさせ、クライマックであのハモンドオルガンが飛び出す名曲だ。もちろん、デ・ラ・ソウルやア・トライブ・コールド・クエストの方が、例としては分かりやすいのだが、ロック畑出身だった僕にとって、ビースティからジミー・スミスという流れはごく自然だった。
そうして逆引きでジミー・スミスを聴くようになったのだが、ファッション的に注目すべき作品が『Midnight Special』(1961)である。
アルバムジャケットは貨物列車に飛び乗るようなシークエンスを切り取った写真。ジミー・スミスは鮮やかな赤のポロニットに黒いウールスラックスを合わせ、赤茶のトランクを片手に提げている。ハンチングをあえて逆さに被っているのも洒落ているし、足元が焦げ茶のヴァンプ・スリッポン(注1)というのも面白い。貨物列車にあるステンシル風のフォントを選び、タイトルをニットと同じ赤で揃えたデザインもブルーノートらしい。
ミッドナイト・スペシャル号に乗って…
本作のタイトル「Midnight Special」は、一般的に「夜汽車」くらいの意味だが、元来は“ガルフ・モービル・オハイオ鉄道”が運行した「シカゴとセントルイス間の夜行列車」を指す。しかし、このジャケット写真の車両には“B&O(ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道)”と描かれているので、まったく違う路線である。
ちなみにこの“B&O鉄道”は、その名の通りボルチモア(メリーランド州)から、オハイオ川の港に面した街ホイーリング(ウェストバージニア州)に向かう路線として開通した、アメリカ最古の鉄道のひとつ。ジミー・スミスの地元ノリスタウン(ペンシルベニア州)近くのフィラデルフィアから、ニューヨークへ向かう路線も、当時このB&O系列であった。つまり、このタイトルとジャケット写真は「これからトレイン・サーフィン(無賃乗車)でニューヨーク行って、最高の演奏をキメてくるぜ!」的な、意気揚々としたノリを表現しているのだろう。実際、このアルバムは当時のブルーノート作品としては異例の大ヒットを記録したという。
その前年にリリースされた『Back At The Chicken Shack』(1960)でも、彼は赤いポロニットを着用し、これまたハンチングとヴァンプ・スリッポンを合わせている。当時、相当このスタイリングが気に入っていたのか。もしくは、この撮影日に(緑豊かな郊外へ出向き)草むらや線路など、さまざまなシチュエーションでフォトセッションをおこない、そこで撮り貯めたカットを、各作品のジャケット写真として振り分けた可能性もある。
いずれにせよ、ニットはハイゲージ(注2)で、すっきり無駄なくフィットしている。本作ではネイビーのウールスラックスを合わせているが、前述の着こなし同様、ハイコントラストな着こなしを違和感なく見せている。ブランドを特定するのは難しいが、ボタン数や前立ての長さや襟型は、ジョン・スメドレー(注3)という英国ブランドのポロニットと酷似している。
スーツを脱いだジャズ界の“ニット王”
60年代のジャズマンといえば、まだスーツ全盛。そんななか、いち早くニットを着こなしていたジミー・スミスは、その後のカジュアル化に先鞭をつけていたと言ってもいい。改めて彼のポロニットの着こなしを見ると、ちっとも古臭さを感じさせないし、むしろ現在でも通用する“大人カジュアル”のお手本ですらある。襟付きだからジャケットを重ねてもいいし、一枚だけでもサマになる。そんな汎用性の高さもポロニットの大きな魅力である。
また、他の作品を見ても多種多様なニットを着用しており、初期の傑作『The Sermon!』(1959)ではミドルゲージのリブニット。その3年後に発表した『Jimmy Smith Plays Fats Waller』(1962)ではアクアブルーのシャギーニット。さらにその翌年『Rockin’ The Boat』(1963年)では、ポロシャツの上にニットジャケットというレイヤードスタイルも確認できる。これだけ多種類のニットを愛用しているジャズマンは他に見当たらない。モックネック、Vネック、タートルネック、ポロネックと首回りのデザインもさまざまだ。
他のジャズマン同様にスーツを着ることもあったジミー・スミスだが、驚くべき“ニット率”の高さ。その理由は先述の通り「本人が気に入っているから」としか言いようがないが、もうひとつ考えられるのは「ハモンドオルガン」ゆえの理由だ。ハモンドオルガンは鍵盤が上下(前後)二段になっており、さらにその上段にドローバーと呼ばれる(音色を変化させる)スライド式のフェーダーや、スイッチ、ツマミ類が多数装備されている。つまりハモンドオルガンの演奏は、ピアノを弾く際の「横(左右)の動き」だけでなく「縦(前後)動き」も加わるのだ。
そうなると、袖口が大きな、しかも伸縮性の少ないシャツやスーツは、鍵盤の縁やツマミ類に引っかかり、演奏の妨げになる可能性が高い。同時代の他のオルガン奏者(ジャック・マクダフ、ジミー・マクグリフ、ラリー・ヤングなど)の写真を見ても、柔らかい素材の、袖口の窄まった服、もしくは半袖シャツの着用を散見できる。やはりジミー・スミスが頻繁にニットを着用していたのは「ハモンドオルガンの弾きやすさ」を求めた結果であり、彼にとってもっとも重要なのは、セーターの色でも肌触りでもなく「袖口の形状」だったのではないか。
こうした「本人の好み」や「演奏上の理由」はさておき、そもそもハモンドオルガンのウッディで温かみのあるボディには、構築的なスーツよりも柔らかなニットの方が似合うような気もする。いずれにせよ、当時の花形といえばサックスかトランペットだったが、ハモンドオルガンを駆使するジミー・スミスは、出で立ちからして他のジャズマンとは明らかに異なっていた。
アシッドジャズのオルガン再評価
60年代は、年に5〜6枚ペースでアルバムを発表し、たびたび全米ポップチャートにも名前が上がっていたジミー・スミスだが、80年代にもなると“最前線”からは離脱する(それでもマイケル・ジャクソン「Bad」に参加するのだが)。
彼の名前がふたたび若者の間で浮上するのは、90年代初頭に本格化したアシッドジャズおよび、レアグルーヴのムーブメントである。ジャズファンクの始祖として高く評価され、多くのDJが取り上げるようになったのだ。これを機に、ジャズレコード専門店に「旧来のジャズファンとは違う雰囲気の人たち(=DJ)」が数多く出現。モダンジャズ愛好者からもっぱら敬遠されていたという「ジャズオルガン」の中古レコードが再び売れはじめる。
また、ネオモッズの中心的なバンドであったプリズナーズでハモンドオルガンを弾いていたジェームズ・テイラーが自身のカルテットを結成し、ジャズファンク的なアプローチでヒットを飛ばしたのもこの頃だ。
個人的な体験で恐縮だが、僕がポロニットを着るようになったのは大学生の頃だった。入部した音楽サークルで先輩たちがよくポロニットを着ており、Ready Steady Go!(注4)で売っていることを教えてもらって入手した。当時の僕はパンク一辺倒だったのだが、先輩たちが演奏するブッカーT. & ザ・MG’sがあまりに素晴らしく、次第にR&Bにも興味を持つようになっていた。ビースティ・ボーイズの元ネタとしてジミー・スミスを教えられたのもこの頃だ。
そんな先輩の中に、下北沢のZOO(注5)などに出演し、在学中からセミプロとして活動していたハモンドオルガン奏者がいた。彼もまたポロニットをスマートに着こなす男だった。だから、僕の中でポロニットとハモンドオルガンはいつも繋がっていて、その起源がジミー・スミスだったということを、20年以上を経た今になって気付かされたのだった。
注1:足を滑り込ませるように履く、紐なしシューズの総称がスリッポン(=SLIP ON)。トウ(つま先)をモカシン縫いし、帯状の飾りを付けたものがローファーで、飾りがないものをヴァンプ・スリッポンと呼ぶ。トウの形状が似ていることから、コブラ・ヴァンプという別称もあり、米国ブランド、フローシャイムのスリッポンが特に有名。
注2:「編み目」の基準となる数値のこと。1インチ(2.54センチ)間の針数で表され、11ゲージ以上をハイゲージ、6〜10ゲージをミドルゲージ、それ以下のゲージをローゲージという。数値が高いほど滑らかで、低いほどざっくりとしている。ちなみにジョン・スメドレーのハイゲージニットは、24ゲージか30ゲージとなっている。
注3:1784年、イギリスのダービシャー州で創立した老舗ニットブランド。高品位なウールを独自の製法で編み上げたハイゲージニットで知られる。ポール・ウェラーが愛用していることでも有名。ジミー・スミスのポロニットが同ブランドのものとは断言できないが、当時の多くのブランドがジョン・スメドレーを模していたと思われる。
注4:1985年にオープンしたセレクトショップの先駆け的存在で、代官山(東京都渋谷区)の並木橋に店を構えていた(2015年に閉店)。レコードや音楽カルチャーとも密接で、モッズやパンクといったUK文化と連動したアイテムを数多く取り扱っていた。店名をプリントしたTシャツやバッグが90年代初頭に大ヒット。今季、アパレルブランドのJUN REDとのコラボでTシャツやバッグが復活。
注5:下北沢駅(東京都世田谷区)南口にあったライブハウス、1988年からZOOという店名に改める。渋谷系と呼ばれるアーティストがよく集まっていたことでも知られる。スチャダラパーやTOKYO No.1SOUL SETなどによるLBネイションのイベント、瀧見憲司氏の主催によるラヴ・パレードなども有名。1992年にSLITSへ改名(95年に閉店)。