40年後もフレッシュな過去作
——あの名曲の数々は、お風呂で生まれたんですね(笑)。そういえば近年、大貫さんの『SUNSHOWER』(1977年)が注目されています。90年代にはすでにクラブDJの間で話題になっていた作品ですけど、近年はCDやアナログ盤でも再発されて“シティ・ポップ”という文脈で、再々評価されています。
シティ・ポップ!? そうなんだ(笑)。どんな音楽をシティ・ポップって呼ぶの?
——サウンド的には、ロックやソウル、R&B、ジャズなどのいろんな要素を取り入れていて、都会的な洗練をまとったポップス……って感じでしょうか。実際『SUNSHOWER』は、フュージョン色が強いサウンドですが、当時そういう音楽をよく聴いていたんですか?
あの時代、ああいう音楽が大ブームだったんです。周囲のミュージシャンたちも、そういう音楽に触発されていたし。ブレッカー・ブラザーズとかウェザー・リポート、マッコイ・タイナー、チック・コリア……他にもいろいろたくさん。
——彼らの音楽のどんなところに惹かれたんでしょうか。
ジャズ系のテクニックのあるミュージシャンが、ポップス寄りの音楽をやるわけだから、新鮮でかっこよかったんですよね。私もですが、坂本(龍一)さんやまわりのミュージシャンも“ああいうのをやりたい!”っていう気持ちが盛り上がって、その勢いで出来ちゃったアルバムが『SUNSHOWER』なんです。
——かなり短期間でのレコーディングだったとか。
20日間でやりました。ドラムをクリストファー・パーカー(注2)にお願いすることになって、彼がレコーディングできる時間が限られていたから。
注2:セッション・ドラマーで、フュージョン・バンドSTUFF(スタッフ)のメンバーでもあった。大貫の当時のマネージャーが、77年に来日していたSTUFFのコンサートを観て、パーカーに依頼することを決意した。
——クリストファーの存在が大きいアルバムなんですね。
彼はそういう音楽をやっているまさに当事者だったわけで。その本人が入ることがすごく重要。そうすることでサウンドの方向性は決まりますし。いい緊張感もあり。“負けないぞ!”って思ったかどうかはわかりませんが、すごく集中したレコーディングだった記憶があります。サウンドシティ(スタジオ)で録音したんですが、終わった最後にクリスがドラムブースの壁にサインして帰ったんですよね。何年か前にそのスタジオで録音したことがあって、サインのことを思い出して、まだある? ってたずねたら、もうないって言われてがっかりしたことがありましたけど。
過去のエピソードってよく聞かれますが、まったくと言っていいほど覚えていないんです。坂本さんには何枚もアルバムをアレンジしていただいているので、一緒のインタビューとかあるんですが『エピソードかぁ、なんかあったっけ?』と顔を見合わせて、沈黙ですね。お互い、今とその先のことしか興味がないんですね、きっと(笑)。
——お二人とも常に新しいことに挑戦されていますからね。『SUNSHOWER』のときもそうだったんでしょうね。アルバムを聴いていると「こういう音楽がやりたい」っていう熱気や喜びが伝わってきます。
いま聴くと『こんなに演奏が巧かったんだ!』ってびっくりする。みんな、まだ20代だったのにね。ただ、あの音楽が私に向いていたかどうかは、また別の話(笑)。
——ボーカル・スタイルがいつもと違いますね。かなり声を張っていて。
そうですね。歌のキーが高過ぎたのもいくつかありますね(笑)。それより曲のエンディングが異常に長い。歌はどこへ?(笑)。だから、このアルバムの話をするのは、ちょっと恥ずかしいっていうか……。自分が歌手じゃなかったら“全部インストゥルメンタルでも良かった”とさえ思う(笑)。演奏とリズムのかっこよさで聴かせる音楽でも良かった。メロディーを書くのは好きだけれど、歌詞を書いて歌わなくちゃいけない。でも、ああいうサウンドに日本語が乗るわけないんです。
——歌うのも大変だけど、歌詞を乗せるのも大変だった?
英語の発音って、次の言葉に繋がっているけど、基本的に日本語って〈あ・い・う・え・お〉っていうふうに音が全部切れて次に流れていかない。音符ひとつで「Love〜」って表現できるでしょ。音符3つで「I love you」。日本語だと音符3つで、わ た し、で終わりです。それで? っていうことになる。私はメロディーが先なので、いかに少ない言葉で伝えるかばかり考えている。大変です。
“自分を喜ばせてくれるもの”を大切に
——でも、『SUNSHOWER』の再評価は演奏面だけではなく、大貫さんの歌声とのコンビネーションが魅力なんだと思いますよ。
何と褒められようとも、ほんとお恥ずかしいです。もっと歌がましなアルバムも出してるのに。でも、きちんと作り込まれたアルバムは、聴く方からしたらつまらないのかもしれない。
——そんなことはないと思いますが、シティ・ポップの評価軸が、クラブ・シーンに端を発しているのも関係あるんでしょうね。だから、どうしてもグルーヴ重視になる。
そうですね。「都会」が人気あるって聞いて『えっ!?』って思いました。
——海外をはじめ、若い世代に再評価されていることについてはどう思いますか?
私がいつも行くヘアサロンがあるんですけど、そこに『大貫さんのアルバム、大好きなんですよ』って、私の昔のLPを買ってくれている20代の子たちがいるんです。『MIGNONNE(ミニヨン)』(1978年)とかもすごく好きなんですって。
私はあのアルバムは穴に埋めたいと思っていたんですけど(笑)。今度再発されるので、マスタリングをバーニー・グランドマン(注3)にお願いしたんです。とても良くなっていて、なんと! 普通に聴けました(笑)。で、シャンプーされながら『あのアルバムのどこがいいの!?』って尋ねるんだけど、『そんなこと、聞かないでくださいよ〜』とか言われちゃって(笑)。だから、なんで若い子たちが聴いてくれるのか、いまもよくわかっていないんです。
注3:オーディオ・マスタリングエンジニア。米音楽レーベルA&Mやコンテンポラリーのマスタリング部門を経て「バーニー・グランドマン・マスタリング」創設。これまで数多くのグラミー賞ノミネート作を担当し、松任谷由実など日本人アーティスト作品も手がけている。
——ヘアサロンではリサーチできなかった(笑)。
ただ、いまの世の中って、ダンスがついてる曲とかそういうの多いですよね? 私たちの世代が聴いていたような、60年代洋楽のポップスや70年代シンガー・ソングライターが作ってきた流れのようなものは少ないですよね。様式だけ真似をしても自分のものになるには、時間がかかりますから。
昔は私たちも好きなものはまずコピーから始めるのが普通でしたし。こんなに様々な音楽がすぐ手に入る時代ではなかったので、擦り切れるほど聴き込んでいました。80年代に入って、そういう音楽にレコード会社は商業価値を見出したということでしょうか。ちょうど日本も経済成長が盛んになり始めた時で、今では考えられない制作費が出ましたから。
——70年代から80年代に至るその10年が、日本のポップス・シーンの黎明期ともいえますね。
いまは10年も待ってくれません。アーティストを育てるっていう気持ちも余裕もないんだと思います。まだ日本にシティポップス? なんてなかった時代ですから、音楽制作のスタッフもミュージシャンも模索しながら育っていったんですよね。でも、出てくる人はやっぱりいるわけで、現在も。
いいなと思うバンドはあります。大切なのはコアを掴んでることだと思うんですよね。スタイルじゃなくて。売れることとは関係なく『こういう音楽をやりたい!』っていう強い気持ち。昔はみんなそうでした。『MIGNONNE』というアルバムでRVCレコードと契約した時、社長室で社長さんに『ひとつ、売れるアルバムを!お願いします』と言われてキョトンとなってしまったことを覚えています。そんなこと考えたこともなかったので(笑)。本当に好きなことじゃないと続けることってできない。だから、そういうものを見つけて欲しいです、音楽に限らず。
——一生かけて好きでいられるものを。
本当に好きだったら、大金持ちにならなくても楽しいでしょ? いつも自分を喜ばせてくれるものって絶対何かあると思うから。いまも(音楽シーンで)活躍中の人は、みんなそう。その筆頭が坂本さんであり、山下(達郎)君。もう、起きてから寝るまで、ずっと音楽の話をしてました。誰かが新しいレコードを買って来たら、みんなで聴いて『いいね! かっこいい』って毎日話してた。とくにシュガーベイブを始める前くらいから『SUNSHOWER』の頃までは音楽漬け。『お金がないって、こういうことなんだ…』っていうくらいお金はなかったけど(笑)。
——だから、みんなでアルバムを回し聴きしてたわけですね。そうすることで音楽の幅も広がっていく。
そう。中古レコード屋さんに行って、手が真っ黒になるまでレコードを探してました。欲しいのが何十枚も見つかるんですけど、2枚くらいしか買えない。山下君はもう少し買ってましたけど。山積みのレコードのなかから、どれを買うかで悩みに悩んで……そういうことをずっと。お金はなかったけど、毎日ワクワクしてたんです。
マリオカートで体調回復!?
——そういう音楽漬けの生活から絞り出した一滴だから、一枚のアルバムにいろんな音楽が詰まっているんですね。
『SUNSHOWER』に参加しているミュージシャンは、みんなそういうふうに音楽を聴いてきた人なので、引き出しがすごく多くて。自分のアルバムではやらないようなものも、よく知ってるんです。“あの曲みたいな感じで”って言われると“こんな感じ?”ってすぐにできる。引き出しの多さが半端じゃない。
——いま、シティ・ポップとして再評価されている音楽って、そういう引き出しの多さが魅力なんだと思います。
当時からひとつのジャンルしか聴かない、ということはなかったですね。音楽がどんどん変わっていく時代でもあったし。やっぱり、たくさん聴かないとダメ。
——今もいろいろ聴いていますか?
最近は昔みたいには聴いてないですね。時々、ハマって同じ曲をずっと聴いていたりしますね。1か月くらいずっとそればかり。長いレコーディングが終ったあとは、テレビゲームとかしてますね。それが私のリフレッシュ。ゲーマー(笑)。マリオシリーズは必ず買いますね。最近は〈ゼノブレイド2〉とか。任天堂が出しているソフトしかしませんけど。ゲームのストーリーってよくできているんですよね。泣いちゃうこともあるくらい。
——大貫さんがゲームで泣いている!?
泣くっていうより、うるっとしちゃう(笑)。主人公のセリフに “ホント、その通りよね…”とか思っちゃって。レコーディングで、一日中、スタジオで音を聴いていると、帰って夜眠れないんですよね。ずっと耳鳴りのようにグルグル音が鳴り続けて。でも、クールダウンとかでお酒とか呑むと体を壊しちゃうのでゲームをする。ファミコンの時代からそれが癖になって。
でも暇な時はしないんです。仕事で集中した後に、全然関係ないことに集中すると頭が切り替わる。変わってますか? でもきっと分かる人はいると思います(笑)。あと、お正月によく熱を出すんですよ。自浄作用というか、高熱を出して前年の悪い細胞とかを全部やっつけちゃう。
——そんな強力な免疫システムがあるんですか…。
それで、熱が上がる前に、目が開けられないくらい頭痛がするんです。もう痛くて痛くて。でも、薬は一切飲まないので、25歳の時から。『では、マリオカートでもやるか!』って。それで1時間くらい猛スピードでマリオを走らせていたら、あれ? 頭痛が消えてる。別のことに集中すると大丈夫なんですよね(笑)でも、真似しないでくださいね。
——真似できないですよ(笑)。それにしても、すごい集中力。そういうタフさも音楽を続けてこれた理由なんでしょうね。最後に、久しぶりの「ピュア・アコースティック」に向けて、いまの気持ちを聞かせてください。
いちばん楽しみにしてるのは、私です。もう、やりたくて仕方なかった。金子さんが戻って来てくれて、チェロだけ別の方になりますが、他は以前と同じメンバーでできることがほんとに嬉しい。そういう気持ちが伝わるコンサートになると思うので、ぜひ、いらしてください。
【PROFILE】大貫妙子/おおぬきたえこ
1953年生まれ東京出身の女性シンガーソングライター。1973年に山下達郎らとシュガーベイブを結成し、1975年に名盤「SONGS」をリリース。バンド解散を経て、1976年にアルバム「グレイ・スカイズ」でソロデビューを果たす。日本のポップミュージックにおける女性シンガーソングライターの草分け的存在として世代を超えリスペクトされ、これまでに25枚以上のオリジナルアルバムを発表。代表作として坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏らが参加した「ロマンティーク」「クリシェ」や、小林武史が参加した「DRAWING」などがある。また、CM・映画音楽に携わることも多く、映画「Shall weダンス?」のメインテーマや「東京日和」の音楽プロデュースも手がける。