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この数年で増えてきた“スペシャルティコーヒー”の専門店。こうしたお店の多くが、コーヒーに対する見識のみならず、音楽やファッション、アートに対しても感度の高さを発揮している。いま注目のコーヒー店主に訊く、音楽と店づくりのお話。
小学校の教師が選んだ“コーヒーの道”
今回訪れたのは、代官山(東京都渋谷区)の閑静な住宅地に佇む『私立珈琲小学校』。都内の小学校で21年間教員を務めていた吉田恒さんが立ち上げた、スペシャルティコーヒーを軸にしたカフェだ。吉田さんをはじめ、お店に立つバリスタの皆さんはお客さんたちから「先生」の愛称で親しまれ、併設されたギャラリーや不定期で開催される「授業」では新しいヒト・モノ・コトに出会うことができる。店内の音楽は、リアルジャズ。店主の吉田さんに、お店づくりのきっかけから、音楽へのこだわりまで、話を伺った。
「こんにちは」「今日も、良い一日を」。
店主の吉田さんは、心を込めて、ひとりひとりのお客さんと言葉を交わす。会計を終えるとほぼ必ずといっていいほどカウンターから出て、お店の外まで見送る。笑顔やまなざしのあたたかさを目の当たりにして、絶対に「いい先生」だったのだろうなと思う。吉田さんは、なぜ教員というキャリアを手放して、全く異業種の飲食の道へ進んだのだろう?
「学校や教育現場の変化も理由の一つですが、もともと美味しいものを食べたり、飲みに行くのが好きで。カフェをやりたいと思っていたんです。学校だと、生徒は先生を選べなくて、たとえば生徒に嫌われていたって給料はもらえてしまうんですよね。飲食店だと、美味しかったり楽しんでもらえた対価としてお金をいただく。そんな真っ当な仕事の世界に入りたくて、2014年に退職して飲食の専門学校に通いはじめました」
「いいお店ってなんだろう?」の命題
専門学校へ通いはじめた当初は、料理を中心にしたカフェを構想していたという吉田さん。ところが勉強をはじめてすぐ「自分はあまり料理に向いていない」と実感。そこで「そもそも、いいお店ってなんだろう?」を考えて起こした行動が、その後の道を決めたという。
「自由大学で行われていた『クリエイティブシティ:ポートランド』という授業に参加してみたんです。『パドラーズコーヒー』を営む松島大介くんが講師でした。彼の話や考え方、ポートランドのお店の作り方、在り方がすごくおもしろくて、現地のサマーキャンプにも思い切って参加しました。自分は英語があまり得意ではないなか、現地のロースターやコーヒー屋さんも親身に接してくれて。渦中にいる人々の人柄や文化に触れて、そこで自分もコーヒー屋さんになろう、と心に決めました」
現地のコーヒー文化に触れる中で、特に心に残っていることは? と聞くと、こんな話を教えてくれた。
「2週間の滞在の中で、ポートランドの有名なロースター『STUMPTOWN COFFEE ROASTERS』に話を聞く機会がありました。彼らは、生産者からダイレクトに豆を仕入れます。生産地の多くは発展途上国で、子どもが働いていたり、教育を犠牲にしていることも多々あるんですね。スタンプタウンは、生産地の環境にもお金を投資して、水回りなどのインフラを整備することまでやるんです。その代わりに子供たちを学校へ行かせてあげてくださいという条件を出している。子供を働かせていたら取引を止めますよ、と」
何故そこまでするのか? と問う吉田さんに、こんな答えが返ってきたという。
「『自分たちが本当に美味しいコーヒーを手に入れたいと思ったら、関わる人すべてを幸せにしないと、本物は手に入らない』と。こんな仕事の仕方をしている人たちがいるのか、と非常に感銘を受けました」
2つの小さなお店で学んだこと
吉田さんは専門学校時代、ポートランドでの学びに加えて、モデルケースになる2つのお店に出会う。中目黒にあったカフェ『ドロール』(※現在は閉店)とイカ玉焼き・串揚げのお店『マハカラ』だ。
「いいお店ってなんだろう? ということを友人に相談したら、紹介してくれたのがその2軒でした。どちららも、こぢんまりしたお店だけど居心地がいい。接客もすばらしくて、料理も美味しい。その2軒をみて、具体的ないいお店の形が見えた気がします」
「いいお店」の理想像を吸収したい一心で、専門学校卒業後も2つのお店に通い続けたという吉田さん。お店との親交が深まっていくなかで、人手の都合でしばらく閉じていた池尻の『マハカラ』2号店を「半年間だけ、お店やってみない?」という誘いを受け、期間限定で『私立珈琲小学校』がスタートする。
「お店の名前をどうしよう、と考えて。まず、ポートランドで親身にコーヒーのことを教えてくれた師匠がジョエルさんという方だから、当初は『ジョエルコーヒー』にしようかなと。するとマハカラの方が『それはイケてない!』って(笑)。『過去を否定しちゃダメだよ。先生のお店に行こう! と思ってもらえるように、なんなら学校って入れたほうがいいよ』とアドバイスをくれて。正直、ダサいんじゃないか……という思いもよぎりましたが、とにかくやってみようと思って『私立珈琲小学校』にしました」
翌年の2016年、ポートランドへのサマーキャンプの縁がつながり、代官山で『私立珈琲小学校』が本オープン。スペシャルティコーヒーのお店としては新参ながら、池尻時代からお店のファンは増え続けている。吉田さんは「お店の在り方も、小学校みたいなもの」と語る。
「豆は、僕が大好きな複数のロースターさんから仕入れています。ここで飲んだコーヒーで魅力に気づいてもらって、よりすごいロースターや、バリスタさんがいるお店、いわば中学校や高校、大学のようなところへ行ってもらえると嬉しいです。他にもいろんなコーヒーや美味しいものの世界を知って、ひと回り大きくなって、先生久しぶり! ってたまに帰ってきてもらえるような存在でありたいですね」
小学校の先生だった自身のルーツはそのままお店の魅力につながり、吉田さんがお店に立てないときに代わりにゲストバリスタが立つ「担任制度」や、「授業」と称したイベント・ワークショップもたびたび行われている。
「コーヒーは、何かと掛け合わせることの面白さがあります。書き物をする人のためのコーヒーってどんなものだろう? とか。ここはギャラリーが併設されているのでアートとコーヒーの提案もできます。すぐ近くに『nanamica』のショップがあって、展示会のときにお声がけいただくのですが、その場合であれば洋服と会話とコーヒーの掛け算を考えています」
きっかけはビル・エヴァンス「枯葉」
コーヒーと「何か」の組み合わせを考えるとき、吉田さんにとって音楽は重要な位置を占める。店内のBGMにルールはないそうだが、吉田さんがお店に立つ時は、ジャズが流れている。
「50〜60年代のジャズが好きで、入り口はマイルス・デイヴィスとブルーノートの1500番台でした。本格的に聴くようになったのは教員になりたての20代中頃から。ビル・エヴァンスの「枯葉」を聞いたときになんてかっこいいんだ! って思って。そこからどんどんハマっていきました」
音源は、次の転勤先の小学校で出会った先輩の影響で、もっぱらCD派なのだそう。
「家にいけばJBLのでかいスピーカーが4発あるような、オーディオマニアの先輩でした。一緒にジャズ喫茶『メグ』や『いーぐる』を巡ったりして。その先輩がアナログ派からCDに突然切り替わって、レコードも全部売り払ってしまって。CDの方が音質もいいって。その影響もあって、僕はCDをたくさん持ってます」
店内での選盤で意識しているのは「お客さんと、豊かな時間を共有すること」だという吉田さん。
「会話したり何かに集中してるときは気にならないけど、ちょっと耳を澄ましたときに、この曲いいね! って言ってもらえるようなものを選ぶようにしています」
「私立珈琲小学校」が選ぶ3枚
●マイルス・デイヴィス・クインテット『Relaxin’』
1曲目「If I Were a Bell」のイントロは学校のチャイムと同じ旋律。僕の目標でもあり、伝説のコーヒー店としても知られる『大坊珈琲』の大坊さんも「この曲が好きだ」とおっしゃっていて。自分にとっても『Relaxin’』は特別な盤になりました。
●キース・ジャレット・トリオ『My Foolish Heart :Live At Montreux』
これはECMからリリースされた2001年モントルーのライブ盤。『My Foolish Heart』をはじめ、キースの演奏するスタンダードは、その曲の新たな魅力に気づかせてくれます。キースは演奏の途中でうなり声が入ることだけ気になっていましたが、最近はこれも“味”だなと思うようになりました。
●山中千尋『Reminicence』
ジャズ・ピアニスト 山中千尋さんのアルバム『Reminicence』は、お店でいちばん口ずさまれる盤。雨の日は、客足がどうしても遠のきますので、験かつぎ的にこのアルバムに入っている「Rain, Rain and Rain」という曲をよくかけます。
吉田 恒
都内の小学校で21年間教員として勤務後、食の専門学校「レコールバンタン」や自由大学での学び、米国・オレゴン州ポートランドでの交流を経て、2015年4~9月の期間限定で世田谷区池尻にて「私立珈琲小学校」を開店。2016年より、代官山に移転し“新学期”をスタートさせる。
私立珈琲小学校
- 住所/東京都渋谷区鶯谷町12-6 LOKOビル1F
- 営業時間/火~木曜11:00~19:00、金曜~日曜11:00~20:00
- 定休日/月曜
- アクセス=東急東横線 代官山駅 正面口より徒歩6分
JR/東急/京王/東京メトロ 各線 渋谷駅より徒歩10分