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高橋幸宏と鈴木慶一のユニットTHE BEATNIKSが新作『EXITENTIALIST A XIE XIE』を発表した。1981年の結成以来、断続的に作品を発表してきた同ユニット。今回で5枚目となるアルバムはおよそ7年ぶりの新作である。そんな本作をめぐるインタビュー第2弾は(前回の鈴木慶一インタビューに続き)“幸宏サイド・オブ・ビートニクス”。というわけで、高橋幸宏に単独インタビューを行った。
取材時、高橋は目の病気の治療中。「手術後1週間くらい、ずっと俯いていないといけなくて。まるで下を見て反省してるような状態。昨日も林立夫から『反省してる?』って電話がかかってきたよ(笑)」と笑顔が出るくらい、術後の経過は順調なようだ。
二人羽織の体勢で…
——今回の新作は、バカ田大学祭(注1)のライブ用に新曲を作ったことがきっかけだったそうですね。
「そうです。その2曲(「シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya」「鼻持ちならないブルーのスカーフ、グレーの腕章」)を、ライブ用にと思って作りました。たしか、そのあと2曲ほど手をつけましたね。まだ構成とか考える前の状態ですけどね」
注1:2017年5月3日~5日に恵比寿ザ・ガーデンホール(東京都目黒区)行われた『バカ田大学祭ライブ』。期間中、矢野顕子や大貫妙子、小松亮太、KIRINJI、ゴンチチ、清水ミチコらが出演。
——それにしても、2曲つくる間に、その倍の数の新しい素材が出来るなんて、仕事が速いですね。
「ヤル気になったら1日1曲できますから。今回は二人羽織状態で、慶一がキーボードを弾いてたら、こうやって(背後から鍵盤に手を伸ばして)『こう行ったほうが良いよ』って」
——後ろから手が伸びてくる(笑)
「僕がキーボードを弾いてるときに慶一がギターを弾いてて、それぞれの音がスピーカーから出てくるんですけど全然気にならないんです。逆に耳が大きくなって、キーボードを弾きながら慶一に『今のギター、ちょっと憶えてて』って言ったりして。これまでは離れたところで弾いてたけど、今はくっついてやってても大丈夫になりましたね」
——それって、セッションみたいな感じなのでしょうか。
「インプロに近いかな。ただ、曲の構造を考えながらやってますけどね。『これがA(メロ)とすると、これはB(メロ)だから、サビは任せた!』とか、『このイントロをアウトロに持っていこう』とか。それである程度できたら、音を家に持ち帰って聴き直してみる。そこで“これ、間奏が入ってない”って気づいたりして(笑)。それで慶一に『じゃあ、ストリングスでも入れようか』って言って、慶一が『じゃあ、考えてみるわ』ってストリングスのパートを書いて打ち込みで送ってくる。それを聴いて、『じゃあ、ここを(徳澤)青弦に弾いてもらおう』って指名する。大体、そんな流れでしたね」
——曲を作る過程でゲストも決まっていくんですね。ゲストが多いのも本作の特徴です。とくに小山田圭吾、砂原良徳、LEO今井、そして、ゴンドウさんと、METAFIVEから4人参加しています。
「意識したわけじゃないけど、思いつく人が身近な人だったんでしょうね」
ミスショットまでもオマージュ
——例えば〈鼻持ちならないブルーのスカーフ、グレーの腕章〉で砂原さんが入れたサウンド・エフェクトとか、映像的で非常に面白いと思いました。METAFIVEとはまた違った感じで。
「彼は『使えたら使ってください』って入れてくるんですけど、こっちは『全部使います』って感じですね。彼は相当、吟味してますから。あと、ベースも良いんですよ。ベースのノリだけで充分グルーヴするんです。細野さんっぽいベースで、すごくファンキー。あとで生ドラムをかぶせやすくて、僕はシンプルなドラムを叩けば良い。あの曲は僕のなかでウォーの〈Galaxy〉だったんですけど」
——今回のアルバムには、お二人が聴いてきた音楽へのオマージュというか引用がちりばめられてますね。
「昔だったらそういうのに抵抗あって、『このフレーズ、聴いたことあるよね』『アレじゃん』ってなったら、やめたりしたんですけど、今回はそれをあえて入れることにしたんです。オマージュだったら問題ないでしょ、っていうことで。しかも、テンポを変えてるから、どこに何が入ってるかわからない。例えばバッファロー(・スプリングフィールド)の〈ミスター・ソウル〉を慶一が弾いてて『これ、入れちゃおうよ』って。『え? 入れるの!?』、『うん、速くやってみて』って、慶一が弾いたやつにベースとドラムと矢口(博康)君のサックスが入ると、すごいグルーヴになるんですよね」
——引用が創造に繋がっている。サンプリングみたいなところもありますね。〈ほどよい大きさの漁師の島〉の幸宏さんドラムはアル・ジャクソン(注2)っぽいですね。
「もうモロです。メロディーがあまりにも大陸的で、しかも、ちょっと東洋なんですよね。僕、最初は“お~世~話~に~なりました~”って歌ってたんですよ(笑)(編註:井上順「お世話になりました」のサビ)そういうメロディーに、メンフィスのリズムでアル・ジャクソンっぽいドラムを入れようと。それでアル・ジャクソンっぽく、ミスしたタムのリムを再現できるまで何回もやった(笑)。(アル・グリーンの)〈レッツ・ステイ・トゥゲザー〉でやってるんですよ。ほんとは“ドン!”ってやりたかったのを、“カン!”ってミスってる」
注2:1935年生まれ(75年没)。米テネシー州メンフィス出身のドラマー。12歳からプロとして活動し、スタックス・レコードと契約。1962年にブッカー・T・ジョーンズ、スティーブ・クロッパー、ドナルド“ダック”ジョーンズとともに「ブッカー・T&The MG’s」を結成。プロデューサー、作曲家としても活躍した。
——細かすぎるオマージュ(笑)。慶一さんのインタビューで、〈I’ve Been Waiting For You〉でギターを弾いたとき、ジョー・ウォルシュっぽく弾くために最後の数秒にこだわったという話を思い出します。
「自分たちが長く聴いてきた音楽の、誰も気づかないようなところをやる(笑)」
——愛ですね(笑)。今回、歌詞はほとんど慶一さんが手掛けていますが、そんななかで幸宏さんは〈Unfinished Love ~Full of Scratches~〉を書かれています。この歌詞はどういったイメージで書かれたのでしょうか。
「もう、とにかく傷だらけ。いつもどおりです(笑)。慶一もいつもどおりだけど」
穏やかで対等なふたりの関係
——幸宏さんから見て、慶一さんが書く歌詞の面白さってどんなところですか。
「直接アジテートしない。声高に怒らないけど、奥にすごい刺がある。〈ほどよい大きさの漁師の島〉の最後も強烈です。“天使”って聞こえるけどね。この歌は、慶一は映画『冒険者たち』もイメージで詞を書いたみたいなんだけど、途中で“どこの領土かなんて知らない”とか言い出すでしょ。だんだん政治色が強くなってくる」
——ムーンライダーズもそうですけど、慶一さんの歌詞も暗号めいてますね。
「わかりにくいといえばわかりにくいけど、わかる人にはすぐわかっちゃう」
——暗号を解読するコードみたいなものがある?
「あるんです。〈ほどよい大きさの漁師の島〉にいきなり“机”って出てくるけど、それは木でできた船だろうと。それで“領土”とか出て来たら、あの国のことだろうなって。〈鼻持ちならない~〉も、おそ松くんが6兄弟なのと6大陸をひっかけてたりね」
——THE BEATNIKSは「社会に対する怒りが昂まったら始動する」といわれてましたが、今の世相を考えたらTHE BEATNIKSが新作を出すのも頷けます。思えばスタートしてから40年近くになりますが、幸宏さんにとってTHE BEATNIKSはどういう場所ですか。
「この二人しかできないやりとりがあるんです。二人羽織の作曲もできるようになったし(笑)。YMOじゃ、そうはいかなかった。METAFIVEとかpupaとかIn Phaseとかとも違う。年下とやると『ああ、いいんじゃない』って、まとめの姿勢になっちゃうとこも多少あるし」
——METAFIVEでは会長職ですもんね。慶一さんとは対等にやれる?
「対等です。すごく穏やかな関係」
——意見がぶつかったりはしない?
「一度もないですね。“なるほど。その手もあるね”っていう感じ。二人のミュージシャンが、そんなふうにやれるのって超珍しいんじゃないですか。もしかしたら、あまり良いことじゃないかもしれないけど」
——慶一さんも、幸宏さんとやるときは「何も心配しなくていい」と言ってましたよ。
「そう、任せちゃっていいかなと。あるいは、任せてくれてもいいかなって思っちゃうんです」
——重要なところで通じ合うものがあるんですね。
「二人とも臆病だからかな。相手が強そうだったら二人とも逃げる、逃げるが勝ちっていうタイプ(笑)。二人で逃げて『よかったね』って言いあえる関係って、なかなかないですよ。だらしないけど、じつはそっちのほうが強かったりしますから」
ユーモアのない音楽はつまらない
——慶一さんのインタビューで「幸宏さんと一緒にやっていて引き出されるものは何か?」と尋ねたら、「喜怒哀楽の中では“哀しみ”」だとおっしゃってました。幸宏さんはいかがですか?
「それはお互い様ですね(笑)。哀しみと、もうひとつは“バカ”。徹底した、凝ったバカさ加減というか、センス・オブ・ヒューモアですね。ユーモアがない音楽ってつまんないじゃないですか。あのジョージ(・ハリソン)でさえそうだったんだから」
——ジョージといえばモンティ・パイソンとも仲良かったですもんね。確かにTHE BEATNIKSには英国風のヒネくれたユーモアを感じさせます。YMOもユーモアを大切にしたグループでしたけど。
「特に僕と細野さんは笑いが大好きでしたからね。とくに細野さんは徹底的に笑いを研究してたから。細野さんがステージに出るときにやる火星歩行、あれができるのは世界中で細野さんと僕しかいない(笑)。YMOの頃、教授もやってたことがあるけどちょっと違うんです。照れが入るのかな。でも、今だったら何でもやりますよ、きっと。そういえば教授は植木等が大好きだった。慶一は由利徹が好きだし」
——「シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya」ではトニー谷のギャグをやってますね。
「あれ、すごいこと言ってるよね(笑)」
——THE BEATNIKSの曲について感じることのひとつに、ある時期から〈死〉を意識した曲が出て来たことです。お二人が死をどう感じているかのドキュメントみたいなところもあって、そういったシリアスな曲と笑いが隣り合わせになっている。それが近年のビートニクスの醍醐味のような気がします。
「確かにね。死というテーマはだんだん強くなってきてます。あまりにも身近なことだから。若い頃は死ってある種のロマンだったけど、最近はリアリティを持っちゃってる。今回も〈Speckled Bandages〉っていう重い曲をやってて、二人とも心が折れそうになった(笑)」
——慶一さんは、幸宏さんを驚かそうと思ってああいう詩を書いたとおしゃってました。
「いや、そんなことないと思います。いろいろ考えて書いたんじゃないかな。最初は“これ、やる必要あるの?”って思ったんです。この歌詞を歌う必要があるのかなって。でも最近、“ある”と思うようになりました。さりげなく歌ってるところがすごいなと。しかも、きれいな曲として」
「死んだら…どうするつもり?」
——こういう死とか老いを題材にした曲を歌うのは、幸宏さんが関わっているもののなかではTHE BEATNIKSだけですよね。
「まあ、ポップ・ミュージックで扱う題材じゃないからね(笑)。慶一は、唯一そういう話をできる相手ですね。そして、それを曲にできる。大切だな。それって。そういえば昔、『慶一はいろんな音楽作って来たけど、死んだらどうするつもり?』って訊いたら『できれば全部捨ててほしい』って言ってた。『ほんとに残さなくていいの?』って訊いたら『何も残したくない』って。たぶん若気の至りだと思うけど、今はどう思ってるのか訊いてみたいですね」
——確かに訊いてみたいですね。ちなみに幸宏さんは?
「残った皆さんが自由にしてくれればいいです。死んじゃえば無になると思ってるんで。でも、もし、あの世があるのなら、そこから自分の作品がどんなふうに評価されるのか見てみたい気もしますけどね。“悪口言ってるなあ”とか“それは出してほしくなかったな”とか(笑)」
——未発表デモ音源集とか(笑)。最後に、BETTER DAYSレーベル(注3)について伺います。今回の新作は、BETTER DAYSの再始動第一弾となる作品ですが、BETTER DAYSに関して何か思い出はありますか。
「当時、教授のレコーディングを見に行ったり、あとは『KYLYN』(渡辺香津美が79年に発表したアルバム。高橋はドラムで参加)かな。教授に誘われたんです。コンピュータと一緒にやるから幸宏と合うんじゃないかって」
注3:1977年に日本コロムビア内に発足した音楽レーベル。坂本龍一のソロデビュー・アルバム『千のナイフ』や、渡辺香津美の諸作品など、ジャズ・フュージョン/クロスオーバー作品を多数リリースしてきた伝説的レーベル。
——教授の『千のナイフ』(1978年)には参加はされていない?
「アルバムジャケットのスタイリングをしただけです。あと、〈東京ジョー〉(注4)でヴォーカル指導っていうのをしましたね。ブライアン・フェリーの歌い方を(渡辺香津美に)アドバイスするっていう(笑)。ブライアン・フェリーと一緒にツアーをまわって、生で歌っているを見ていましたから。それはもう、ヌメヌメと歌ってました(笑)」
注4:渡辺香津美が79年に発表したシングル曲で、ブライアン・フェリーのカバー。坂本龍一がプロデュースを手掛け、高橋はドラムで参加した。
——新生BETTER DAYSは、今後、幸宏さんの新たな拠点になるかもしれない。
「そうさせてもらえるのなら、お願いしたいですね。今後このレーベルには友達がどんどん集まってきそうなので。ソロのことも考えなきゃいけないしね」
——THE BEATNIKSをきっかけに次々とプロジェクトが。
「死ぬまでにやらなきゃいけないことがいろいろとね(笑)。とりあえず、今は病気を治してTHE BEATNIKSを頑張ります」