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パリを拠点に世界的な活躍を繰り広げる音楽家、三宅純。自身のライフワークとも語っていたアルバム「Lost Memory Theatre」三部作を完結させる『Lost Memory Theatre act-3』を、昨年11月に発表し、同じタイミングで「モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン2017」に出演。以来、1年ぶりとなる日本公演を直前に控え、また、話題の映画や舞台音楽でも多忙の本人をインタビュー。近況を聞いた。
ベートーヴェンの激情
──まずはお仕事の近況を教えてください。
「去年の8月から関わっているフランス映画がありまして。本来なら去年いっぱいで終わっているはずでしたが、年を跨いで2月に延び、6月に延び、9月に延び…いまだ編集が終わらないんですよ。それを一旦放置した状態で、いま(日本に)帰ってきてます」
──この帰国中には、どんなことを?
「まず『No.9 −不滅の旋律−』というベートーヴェンの半生を描いた舞台作品の音楽監督を努めます。3年前に初演があって、今回は再演ですが、演出が白井晃さんで、主演は稲垣吾郎さん。相手役が剛力彩芽さん。その後、自分のコンサートが控えています」
──その作品の性質上、 “ベートーヴェンの音楽”と向き合うことになりますよね。それなりの苦労もあったかと思うのですが。
「そうですね。自分は義務教育で習うような音楽には背を向けてきたので、かなり遠い存在だったんですね。ただ、初演のときにも感じたんですけど、一定の期間、浸ってるとやっぱり影響を受けるんです。いいとこあるなぁーとか(笑)」
──敬遠してたけど、意外といいじゃないか、と(笑)。
「古典だから当然なのですが、ハーモニーが前時代的というか、いわゆる近代のハーモニーじゃないんですよね、そこにいつもひっかかりはするんですが、でも彼は当時最先端だったわけで、あれだけの情熱量というか、限りなく高潔でロマンチックかと思えば、突如訪れる粗野な激情の炸裂みたいな。やっぱり打ちのめす力があるんですよね」
──おっしゃるとおり、ベートーヴェンの音楽って、三宅さんの対極にあるものだと思います。演出の白井晃さんも、そのことは分かっていたはず。白井さんが三宅さんに何を求めたのか、そんな話をしたことはありましたか?
「あります。っていうか、今回ご指名は白井さんからじゃなかったんです。プロデューサーの方が、白井さんと僕のコンビを想定して企画されたんですね。白井さんとは、他にも『ジャンヌ・ダルク』『9days Queen 〜九日間の女王〜』、『Woyzeck』、『中国の不思議な役人』、『三文オペラ』など、いろいろ共作しているからか、白井さんと僕がセットになっていたみたい。最初の打ち合わせをしたときに白井さんが『三宅さん、怒ってないですよね?』って、それが開口いちばんでした。怒るどころか、光栄なことですけど、じゃあ僕に何ができるのか? って悩みましたね」
──相当の苦労があったのですか?
「まず決めたのは、楽聖の領域に立ち入らないこと。つまり彼の楽曲には手を加えない。当初はピアノ工房で採取したアンビエント音だけのシュールな音世界を考えたんですが、脚本読んだらそれだけでは成立しないのがわかって、3人のピアニストに生演奏でベートーヴェンの脳内を表現してもらうことにしました。考えてみると、彼ら3人は若い頃からどっぷりベートーヴェンをやってるわけですよ。そんな人たちから見たら『この人が音楽監督って、どういうこと?』って思うだろうなって思って。もう最初からベートーヴェン世界への傾倒という意味では完敗を認めた状態から入って、でもこの舞台にとって音楽はどうあるべきか、という視点に揺り戻すにはそれなりの苦労がありました。ちなみに再演ではピアニストが2人に変わります」
映画音楽の作法
──他にはどんなお仕事を?
「あとは2年前にスコアを手がけたハリウッド映画があって、その日本公開が10月27日になったので、微力ながらプロモーションのお手伝いもしています。じつはその映画のタイトルが、ぼくが関わってから4回目くらい変わってるんですけど、最初は『オッペンハイマー・ストラテジー』で、次は『ノーマン』っていうシンプルなタイトルになって、その次は…結構長いからもう言いませんけど(笑)、邦題はなぜか『嘘はフィクサーのはじまり』。作品自体、僕も大好きな映画です。他に現在進行中の仕事として、日本のTVドラマと映画、アーティスト・プロデュースなどがあります」
──三宅さんは以前に、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)の音楽も手がけています。あの作品では、三宅さんの音楽が強烈なインパクトとともに画面内に存在していた印象ですが、今回の『嘘はフィクサーのはじまり』では、フィルムに寄り添うような、ともすれば映画を見ている間は音楽が気にならないくらい、自然に溶け込んでいたという印象を受けました。
「だとしたら映画音楽としては成功なんです。その印象を覆すかもしれませんけど、今回は音楽としてメロディーが突出してもいいと言われました。いわゆる背景音楽にはしたくない、音楽も1人の役者として動いてほしい、と。そもそも映画って、音楽がそこまで前に出てきちゃいけないジャンルだとは思うんです。中学生の頃に、初めて“映画音楽”を意識して聴いてみたことがあって。そのときに『こんなつまらないものを作るのだけはやめとこう』と思った。なぜかというと、主体がそこになかったんですね。ただしそれは、映画として見ればむしろ望ましい。主体はあくまで映像の中にあり、それをどの角度からか補佐するのが音楽。その場の空気を設定する場合もあるし、深層心理を裏で表してる場合もあるでしょうし、いろんな角度と距離感があると思うんですね」
「最近のサントラの傾向として、あくまで背景音楽に徹しているものと、こけ脅し系のものが多くて、それこそ昔のフェリーニとか『ひまわり』みたいな、メロディーがドッカーン! みたいなやつって、あまりないですよね。そんな中では今回の映画は音がフロントに来ている方だと思います。例に挙げていただいた『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』は映画というより、ダンスと音楽という、言語中枢を介さない表現のぶつかりを描いた作品だったので、音楽のあり方、許される存在感も違ったのだと思います」
──確かに。ちなみに今回の『嘘はフィクサーのはじまり』は、どんな過程を経て音楽をつけていったのですか?
「今回は、依頼があった時点ですでに(フィルムの)編集は固まっていて、最初にもうビデオファイルがきた。脚本すら読む必要がなかったんですよ。ちなみに“ハリウッドもの”は作曲家のコンペティションの場合が多くて、ある程度のところまでは予算をつけてやらせるんですよ。で、プロデューサーにプレゼンして…っていう流れなんですけど、今回は完全に指名でした。例えば、ダニー・エルフマンとハンス・ジマーと三宅純が候補に並んでるとします。プロデューサーにしてみれば、最初の2人はよく名前聞くけど、3人目は誰だって?じゃ耳馴染みのある2人のうちどちらかで決めよう、みたいになりがちな世界なんです」
──なるほど。今回は監督のご指名だったんですね。
「まず届いたフィルムには仮の音楽が付いているんですけど、なんでこんなの付けるのかな? ってのが多かった中で、クルト・ヴァイルの『三文オペラ』(注1)が付いてる場面があって、そこはしっくりきてるなって思ったんですね」
注1:ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトと、作曲家のクルト・ヴァイルによる戯曲。初演は1928年。
──どんなシーンでしたか?
「リチャード・ギアがシャルロット・ゲンズブールに最後通告みたいなことされて、逃げ場なしっていう場面。そこに付いてたのが、『三文オペラ』の死刑台に至るシーンの音楽で「あそこがいちばんしっくりきました」って監督に言ったら『じつは僕もそうなんだ』と。これは終わってから聞いた話なんですけど、音楽プロデューサーのハル・ウィルナー(注2)が、監督から『作曲家は誰がいいかな? クルト・ヴァイルの精神を現代に映せるような人がいいんだけど』っていう相談を受けたらしいんですね。そのときハルが『パリに一人だけいるな。日本人だけどね』と答えたらしいです」
注2:1957年生まれ。アメリカの音楽プロデューサー。映画やテレビ番組の音楽監修をはじめ、トリビュート・ライブやアルバムの企画・制作・プロデュースも数多く手がける。
──その「日本人だけど」という発言は、この映画が「ユダヤ人社会を描いた作品である」 という背景があってのことですね。
「そうです、描かれているだけでなく、この作品の制作チームすべてユダヤ人。クルト・ヴァイルもユダヤ人だし、各国から集結した、いろんなユダヤ人が全面的に関わっている映画で、僕だけ違うんです。常々“ユダヤ人の音楽は気になる、好きだ”ってあちこちで言ってきてたんで、それはすごく嬉しかったです」
──三宅さんの音楽のなかには、確かにクルト・ヴァイル的な要素はずっとあったと思うんですけど、それはパレットのなかの一要素ですよね。でも今回はその要素だけで映画全体を押し通したのでしょうか?
「全体を通して聴くと、全部がクルト・ヴァイル的なわけではないんです。曲を書きながら、ユダヤ人の知人、全員のことを思い浮かべていたら、ひとつのカラーだけでは収まらなくなった。前半と後半でもトーンは変わってきますし。中には、エリック・ドルフィー的な要素を入れてみたりした曲も」
──エンドロールで流れるフリューゲルホルン・ソロも印象的でした。あれは何回もテイクを重ねたのでしょうか?
「あれは一発なんですよ。本当は最後まであそこに入る予定はなくて、パリに帰ってから監督が『あれ? 君、(今回の作品で)演奏した?』っていうから『演奏はしてませんよ。演奏しろなんて言わなかったじゃん』と。それでも彼は『なんかやってよ』って言うから『でも、どのシーン? もう無理ですよ』って答えたら、『エンドロールがあるじゃん』って(笑)」
──あの演奏は本当に圧巻でしたよ。試写を観ながら、あのエンドロールでいちばん熱くなったくらい。
「お恥ずかしい…。ぶっちぎり感だけはあるかもしれないですけど」
記憶が流入する劇場…
──三宅さんの近年の活動や作品の中で、昨年秋に発表したアルバム『Lost Memory Theatre act-3』も非常に重要です。これは三部作の完結編ということですが、こうして三作を並べると、その内容やアートワークに至るまで、完全にトータルプロデュースされた大作であることがわかります。1枚目ですでに「act-1」となっていますが、これは当初から3連作にする予定で作られたのですか?
「じつはその前に出した『Stolen from Strangers』(2008年)をLMTの序章と捉えているんです。今にして思えばなんですけどね。そう考えると4部作になります」
「なぜ『Stolen~』の段階で『Lost Memory Theatre』って言えなかったかっていうと、当時まだそのタイトルを音にできる自信がなかったんです。でも、録り終わってみて、思い描いていたような“記憶が流入する劇場”を音で表現できるかもしれないという感触をつかむことができた。それが『Stolen〜』だったんですね。それなりに達成感もあったので、これを超えることができるのか、という不安もありましたけど。act-1を録り始めた段階で、何十年も温め続けた『Lost Memory Theatre』の構想を、1枚で語り尽くさなくても良いのではないか、という思いも頭をもたげました。おそらく何部作かにはなるだろうと」
──三部作を聴いていると『act-2』だけちょっと異質に感じるんですよ。なぜそう感じるのか、何回も聴いて考えたんですけど、よくわからない。ひとつ思ったのは、『act-2』だけ明確になにかの映画や映像をイメージして音をはめていったのかな、と。
「『act-2』をつくり始めたときに、明確に演劇の第2幕っぽいものを作ろうとは思いました。第2幕ってなんか特殊じゃないですか。プレゼンテーションの大きいものが〈第1幕〉としてあって、どんでん返しみたいな〈第2幕〉があって、〈第3幕〉で大団円に至る…、そういうなかで『act-2』は内的な世界に沈んでくような全体像。歌もなるべく減らして…という、大まかにそういうイメージだったんですね」
「ちなみに、“劇場”って、特に古い劇場はそうですけど、謎の小部屋みたいのがあって、そこには役者さんたち、ダンサーたち、歌手たちのいろんな記憶や残像が染みついている。そういう個室感というか秘密の小部屋っぽいイメージが、『act-2』の骨になっている。ピアノを主体とした曲は、すでにある舞台作品のために書いてた曲なんです。舞台音楽って、その場にいるお客さんしか聴けないし、基本的には“そのまま忘れられていってしまうもの”なんですね。そのこと自体『Lost Memory Theatre』と言えるかもしれないと」
──なるほど。ボーカルが少ないのは、そういう理由があったんですね。
「結果的なのかもしれないですけど、ここにたくさんの歌はいらないなって最初から思いました」
──前半はずっとインストで、そこに急に挿し込まれる「que sera sera」がすごく強烈でもあります。しかもあんまりハッピーに聞こえないですね。それこそデヴィッド・リンチ作品のなかで出てくるフィフティーズのアメリカの曲みたいな、ちょっとした異質感がある。
「子供の頃から自分は異分子だと思っていたことにも関係しますかね? いずれにしても『act-2』はやはり、他のactとちょっと立ち位置が違うかもしれませんね。3枚作り終えて、振り返ってもまだやり尽くせていなくて、言ってた通りライフワークになりそうです。このタイトルのもとにはもうこれ以上引っ張るつもりはないですけど、僕自身まだその劇場内に生き続けているような感じがあるんです」
──『act-1』の1曲目「Assimetrica」と、『act-3』の〈エピローグ〉のあとに置かれた曲「Older Charms」は同じ曲だけど、歌手が違い歌詞も違うっていう、なんかすごく不思議な感じでした。いま三宅さんご自身が「まだその劇場内に生き続けているような感じ」とおっしゃいましたが、私もまさにそんな感覚で、本当にこの「Lost Memory Theatre」っていう劇場が存在して、もう演目が終わって出てきたけど、“客の去った劇場”ではいまだ何かが続いている。そんな感覚になるんです。
「以前に、パリに(筆者が)いらしたとき、まだ制作途上だったact-3を曲順通りにすべて聴いていただいて、最後の曲までいったときに、すぐそのことに気付いていただきましたよね。あれは嬉しかった」
「音楽」が生まれるとき
──以前に三宅さんが「散歩しながら頭に浮かんだメロディーを鼻歌で録音して、そこから曲が生まれたりする」みたいなことをおっしゃっていて、あんな複雑な作品が鼻歌から生まれることに驚いたんですが、曲のタネを思いついて、あとから“こういう要素も付け足していこう”みたいな感じで、試行錯誤しながら完成に向かうのか。あるいは、思いついた時にはすでに完成形が頭の中にあるのか、どちらなのでしょう?
「後者に近いですね。日本でCM(の作曲)を始めた頃は、様々な実験が許してもらえる時期で、その頃に付け焼き刃でいろいろ重ねてきたものが、レイヤーになって自分の中に蓄積されてて。ひとつメロディーが響くと、そのカウンターラインとして別の要素がいくつか同時に鳴ってるんだと思います。そんなZIPファイル状のものが聞こえてきたあとで、解凍作業に入るんですが、『そうか、こういうのも聞こえてたな』って気がつくものもあれば『聞こえてたけど、うまくいかないや』って取捨選択するのもある、そんな感じですね」
──それは“アルバム単位”のような、大きなものの全体像をイメージする場合も?
「それはないですね。1曲ごとです。結局、アルバムのキャラクターは、曲順で変わりますから。ライブだとそれをさらに組み直すので、そこらへんがまた面白いところでもあり、難しいところでもあるんですけど」
──あるとき、三部作の全体像が、頭の中で鳴ったのかと思いましたよ。
「いやいや、それはない。そこはジャズマンですから出たとこ勝負で(笑)」
──1曲ずつ作っていって、それを並べていって、たまにはボツ曲もあったり。
「もちろんあります。このアルバムには不適格だけど、次作ではど真ん中みたいなのもありますしね。最後まで残すかどうかは寝かせて聴いて慎重に選びます」
──三宅さんの作品に登場するシンガーは、リサ・パピノーやアート・リンゼイ、ブルガリアン・ヴォイスなど、ファミリー的な常連組もいれば、ワンショットで入ってくる人もいます。こうしたシンガーの選出には、なにか基準みたいなものはあるのでしょうか?
「大きな要素としては、自分の心理の中にあるものを代弁できる人。自分自身の楽器とかでは表現できない領域の人で、声に個性がある人。それが大きなポイントかな。デヴィッド・バーンとかはちょっと特殊な例で、ハル・ウィルナーが作ったディズニーのヴィンテージの曲を錚々たるメンツで構成した『Stay Awake』というアルバムがあって、そのライブ版を、ロンドンとニューヨークで上演したんですね。そこにデヴィッド・バーンやグレース・ジョーンズが参加していて、ハルから『この曲をデヴィッドのためにアレンジしてみて』って言われて。その時のアレンジが自分でも気に入ったので、いつか何かに入れたいなって思ったんです。デヴィッドも、いいよって言ってくれて。そういうケースもあります。あとはニナ・ハーゲンの曲は、本当はグレース・ジョーンズに書いたんですけど、途中で音信不通なっちゃって。アルバムリリースの時期も近づいてきたので、グレースと同じぐらいの存在感のある人は誰かな、と思って思いついたのが、ニナ・ハーゲンでした」
──三宅さんのキャリアの中でハル・ウィルナーってすごく重要な人物だと思うんですけど、ハル・ウィルナーにとっても三宅さんはすごく大切な存在なんだと思います。
「ハルはですね、アメリカ音楽界の隠れた重鎮というか『サタデー・ナイト・ライブ』の音楽プロデューサーをかれこれ40年くらい、いや、もっとやってるかもしれないな。そこでアメリカだけでなく世界中の主要な音楽家とは直接接点がある人なんですね。同時に、NBC(放送局)の音楽ライブラリーをほぼ私物化して、あらゆる音源を掘り起こしたりしていて、知識量もすごい。僕といつも至近距離にいるわけじゃないんですけど、何年か周期で、これやってみない? っていうのを振ってきてくれるんです。思えば、僕から持ちかけたのは『星ノ玉ノ緒』(1993)の共同プロデュースだけです。その時は自分から強烈にアプローチして実現させました。その後は彼の方からいろいろ提案してくれるんですけど、ああいう、純然たるオタクというか、正しい意味でマニアックな人が仕事として音楽をやっていける環境がある、彼のことをちゃんとみんな大事に認めてあげる、そんな国のあり方も、周りの人々の理解もすごいと思う。それに応える彼もすごいんですけどね」
──嗅覚がすごいっていうことですよね。
「はい、そしてセンスと知識ですね。新しいものもチェックしているし」
──そういう意味では、三宅さんもすごくいろいろチェックされてるじゃないですか。
「一時期に比べるとそうも言えなくなってきましたけどね」
──例えばブルーノ・カピナンなんて、三宅さんから教えてもらってビックリしたし、あとストリートで歌ってた…。
「イグナシオ・ゴメス(注3)。あれはたまたま散歩してて橋の上で見つけただけですよ(笑)」
注3:三宅が「ジョアン・ジルベルトの再来」と賞賛した流浪のシンガー。2016年には三宅純の日本公演にも帯同した。
──でも常にアンテナを張ってるから見つけられた。
「それを心がけていた年数は長かったから、まだ習性として残ってるかもしれませんけど、ある時期から周りをキョロキョロ見回しているばかりで、自分の主体はどこなんだ? 残りの人生それでいいのかな? って思うようになってからは先端なんてどうでもよくなりました」
──ちなみにその“先端”を探し続けてたのは、いつ頃のことですか?
「CMやってた時代はずっとですね。なんとなく、みなさんそれを要求してきますから」
──日本に住まわれてた頃?
「そうですね」
──ヨーロッパに住まれて、新たに開かれた扉みたいなものありますか?
「開かれた扉というわけじゃないですけど、横並び意識というのはまったくなくてOKということで、開放感はあります。他には北アフリカ諸国の微妙な音楽の違いとか、東ヨーロッパ諸国の微妙な音楽の違いとか、地理的に近い国同士でもいろんなグラデーションがあるのがより認識できるようになった。いわゆるヨーロッパの音楽という括りじゃなくて、民族ごとにいろんなグラデーションがあるなと感じます」
ふたたび“あの劇場”の扉が開く
──昨年『Lost Memory Theatre act-3』が出たばかりのタイミングで、モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンに出演し、2ステージたっぷり2時間超えのライブを披露しました。これを経て、今年11月にKAAT神奈川芸術劇場とブルーノート東京でコンサートを実施します。どんな内容になるのでしょうか?
「モントルーでは、思い切って新曲を増やして、リリースされたばかりの『act-3』の曲をダイナミックに導入したライブをやらせていただきました。そこから大きく変わるわけじゃないけど、個々のメンバーの中でLost Memory Theatreというものを一回噛み砕く時間があったのではないかと思っています。先ほども言いましたけど、曲順で印象っていうのはすごく変わっていくので、風景が移っていくように、聞いたことある曲が意味を変えて登場するみたいなことがあるかもしれないです。KAATに関しては、白井さんが空間構成、照明、美術などを監修してくださる予定なので自分でもすごく楽しみにしてます」
──先ほども言ったように、ずっとどこかでLost Memory Theatreが続いている感覚は、リスナーの僕でさえそうなので、おそらく演奏家の方たちはもっとリアルに感じていて、こうして1年経ってそこに戻っていくのがとても興味深いです。
「やっぱりメンバーも、年に1度『あの劇場の扉が開く』みたいな印象を持っくれているみたいですね」
──こうして個々の中には「Lost Memory Theatre」がずっと続いていますが、三宅さんの制作物としては、三部作をもって一応の完結を迎えました。これを踏まえて、今後の創作活動についてお聞きしたいのですが。
「今は積極的に自分を見失ってる感じもありまして、Lost Memory Theatreみたいに『はい、これです』って言えるコンセプトというか、キーワードはまだないです。ちなみに『Lost Memory Theatre』って、言葉にすることは簡単でも、それを音にするのがすごく難しかったんですね。その『Lost Memory Theatre』が完結してしまったという寂寞感の中に、一種自由になれた開放感もあります。またいつかは同じ劇場に帰ってくるような気はしますけど、今はちょっとニュートラルな状態を楽しもうかなと思っています」
【イベント情報】
日時:2018年11月5日(月)
場所:晴れたら空に豆まいて
詳細:http://haremame.com/schedule/63647/
【コンサート情報】
日時:2018年11月23日(金)
場所:KAAT神奈川芸術劇場
詳細:http://www.kaat.jp/d/LMTconcert
日時:2018年11月24日(土)、25日(日)
場所:ブルーノート東京
詳細:http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/jun-miyake/