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面積は四国ほど(約2万200k㎡)で、人口は大阪府ほど(約870万人)という規模ながら、優秀な音楽家を数多く輩出し続けるイスラエル。近年では、グラフィック・アートやファッション、コンテンポラリーダンス、映画制作などでも世界的に高い注目を集めているようだ。
同時にIT先進国としても知られ、スタートアップ企業は約8000社あるとか。こうなってくると意味がわからない、普通の会社員はいないのか? いや、そもそもイスラエル人ってどんな人たちなのか? そんな素朴な疑問を解決すべく、イスラエル大使館に約30年勤める日本人、文化担当補佐官の内田由紀さんに話を訊いた。
イスラエルってどんな国?
ARBAN読者の多くは、「イスラエル」と聞いてアヴィシャイ・コーエン(b)やオメル・アヴィタル(b)、シャイ・マエストロ(p)などの名前を思い浮かべることだろう。2008年頃からじわじわと話題にのぼり始め、今ではすっかり浸透しているイスラエルのジャズ 。一方で、彼らの多くはニューヨークを拠点に活動していることもあり、イスラエル人といってもイスラエル本国とは切り離された存在のように感じる。
しかし、彼らが生まれ育ったのはあのイスラエルであり、音楽教育の基礎も本国でなされたものだ。では、「イスラエルってどんな国?」となるとよくわからない。「中東にある国」「紛争がよくおこる」「最新兵器の開発がすごいらしい」など、怖い話しか伝わってこない。これでは、芳醇なカルチャーが生まれている理由が見えてこない。
美しいビーチでバカンス!?
あらためて世界地図を見てみると、イスラエルという国は、西は地中海、南は紅海に面している。イスラエル第2の都市「テルアビブ」で画像検索をすると美しいビーチの写真が大量に出てきて、ユダヤ教の聖地として知られる『嘆きの壁』(エルサレム)のイメージとの違いに驚かされる。
「気候や食生活はイタリア、ギリシャ、トルコなどに似ていて、ガーリック、トマト、オリーブオイルという感じです。とはいえ、世界数十か国からユダヤ人が集まってできた国ですので、文化のバッググラウンドはさまざま。東ヨーロッパ風の食事もあれば中東風のものもあります」(イスラエル大使館・文化担当補佐官/内田由紀さん ※以下、発言はすべて同氏)
かつて砂漠だった土地だが、再生水の利用や、イスラエルが誇る海水淡水化技術などを用い、点滴灌漑や水耕栽培によって食料自給率は90%以上を誇る。また、さまざまな文化的背景を持つため、フュージョン系のメニューも豊富。ベジタリアンやヴィーガンも多い。なお、イスラエルといえば今話題のエルサレムが有名だが、食や音楽、アートといった現代文化の拠点はテルアビブにある。
「日本でいえば、エルサレムは歴史ある京都、テルアビブは国際都市東京というイメージです。エルサレムは観光地であり歴史の街。ただ京都と違うのは敬虔なユダヤ教徒が多いため、宗教色を前面に出した生活をしている点です。金曜の夕方から土曜の夕方にかけてはシャバット(安息日)なので、お店も交通機関もすべて休み。でも、テルアビブはそれほどではありません」
さまざまなルーツが絡み合う国
イスラエルの建国は1948年。今年70周年を迎えたばかりということもあり若い世代の活躍が目立つ。また、彼らのプロフィールを見ると、学生時代にどこかしらに留学をしている人が多い。話題のグループ、バターリング・トリオが結成されたのも、留学先のベルリンだった。欧米の最新文化がテルアビブに流入しているのは、そんな理由も大きいのだろうか。
「アーティストを志す人は、教育熱心、自由な考え方、また比較的に経済的余裕のある家庭で育った方が多いのかもしれません。でも、先ほどの話と同じく、彼らは世界中に親戚がいるのです。なので、留学がしやすい環境だとは言えます。余談ですが、イスラエル人は複数のパスポートを持っている人が珍しくない。国全体でも2か国以上話せる人がほとんどです」
イスラエルにおける地理的なルーツは中東音楽ということになるが、さまざまな国から戻ってきた人が多いため色彩豊か。ベーシストのアヴィシャイ・コーエンは中東らしさを洗練させたことで、欧米でもウケるスタイルを確立させた元祖といえる。同じくベース奏者のオメル・アヴィタルはモロッコ系ということもあり、ウードとかカヌーンといった中東楽器を取り入れることが多い。
また、サックス奏者のダニエル・ザミールは東ヨーロッパ系なので、クレズマー(東ヨーロッパから発祥したユダヤ人の音楽)らしさのある、熱狂的に踊るようなジャズを得意とする。こうした違いはやはり、それぞれのルーツに伴う家庭環境の違いによるものといえるだろう。
ジャズ、映画、ダンスが近年の成功例
「2000年前後から、世界的に成功したイスラエルの文化が3つあります。ひとつはジャズ、もうひとつがコンテンポラリーダンス、そして映画です。ハリウッドは昔からユダヤ人が多いことで知られていますが、いまはイスラエルの監督やプロデューサーが注目を集めています。彼らは名だたる映画祭で賞を獲っていることもあって、ヨーロッパを中心に出資が集まる。興行収入が見込めるということです。コンテンポラリーダンスのカンパニーもテルアビブ拠点のところが多く、世界ツアーに出かけて稼いでいます。内需が小さいですからね。一方、ジャズだけはニューヨークに行かないと話にならない」
これはジャズの特性でもあるが、ニューヨークのような本場でセッションを重ねながら、名実ともにレベルアップを図らねば世界で活躍することができないという実情もあるのだろう。
「歴史的にもユダヤ人は、クラシックを中心とした音楽教育が盛んでした。現代のイスラエルでも音楽方面を目指すなら、多くは2~3歳から楽器を始め、テルマ・イェリン国立芸術高校、ルービンアカデミーなど、高等教育も充実しています。18歳から男性は3年、女性は2年弱の徴兵がありますが、音楽の才能に優れた人には徴兵中でも英才コースが用意されています。ジャズに力を入れているカレッジで有名なのはリモン音楽学校ですが、ここは米国のバークリー音楽大学との単位交換ができます」
自由な発想、型破りな生き方を推奨
ユダヤ的な伝統の延長線として、クラシックの土壌があったイスラエルで、アメリカのジャズが広まったのは、米国人サックス奏者のアーニー・ローレンスの影響が大きい。彼はNYのニュースクール大学にジャズ&コンテンポラリーミュージック部門を創設する際に尽力したことで知られる。その後、妻がイスラエル人だったこともあり、1997年にイスラエルへ移住し、国際音楽センターを開設するなどジャズを中心とした音楽教育に力を入れた。
そしてもうひとり、アミット・ゴランなる人物がいる。彼はニュースクール大学を卒業後にイスラエルへ帰国。前述のテルマ・イェリン国立芸術高校で教鞭を執り、イスラエル音楽院にジャズ科を設置するなど母国にジャズを普及した。現在活躍しているイスラエルジャズマンの多くが、彼の影響を大きく受けているといわれる。
「アメリカ・イスラエル文化財団という財団があり、アメリカへ旅立つ若い才能に奨学金を支給する制度があるなど、海外で学ぶチャンスは多いと思います。JFK空港に降り立ったイスラエル人の若者は“それで、君は何の楽器を演奏するの?”と必ず問われる、というジョークがあるくらい」
世界中にユダヤ人ネットワークがあり、才能があれば教育や資金面などさまざまなサポートが受けられることがわかった。しかし、大阪府ほどの人口規模で、ジャズだけでもこれだけの才能が生まれているのは不思議としか言いようがない。
「それは教育の違いです。ユダヤ人の家庭では、小さい頃から”あなたは特別なの”、”あなたは例外なの”という育て方をするんです。なので、学校でも仕事場でも“自分の意見や個性がない人”は存在しないと同様。自由な発想、型破りな生き方・考え方が、とても奨励されるんです。日本とは真逆ですね。ジャズのスタンダードはあまり演奏されず、オリジナル曲が多いのもそんな理由があります」
場当たり的な対応に優れている
個性的で自由な発想は、デジタル革命期の現在において必要とされる要素ともいわれる。それらが育まれた背景には、紀元前から世界中に散らばり、それでもなおユダヤ人として生き続けてきた彼らにとって、家庭内で「あなたは特別なの」と教えることが重要だったことは想像に難くない。社会人になって突然「自由な発想でビジネスを勝ち抜け」などと説かれる日本人とは強度が違う。
「また、国民性のひとつとして”場当たり的な対応のうまさ”があります。これは私の勝手な想像ですが、長い流浪の歴史上、異邦人としてサバイバルする中で研ぎ澄まされてきた特殊能力なのではないかと。ヘブライ語で“イェヒエ・ベセデル(なんとかなるから心配しないで)”という言葉があるのですが、彼らは本能的に危機をうまく切り抜ける術に長けている。一緒に仕事をしていても、場当たり的な対応力はハンパないです。だからこそ、アドリブやインプロビゼーションに強いのだろうと思うんです」
長きに渡りイスラエル人と働いてきた内田さんならではの、実感のこもった話だ。国民性に関してもうひとつよく聞くのは、彼らが討論好きだということ。
「ディベートカルチャーはすごいですよ。喧嘩をしているのかと思うほどの大声で、自分の意見を主張している光景を職場でもよく見かけます(笑)。テルアビブに行くと、食事中に話をしていても、知らない人が横からいきなり会話に参加するとか。スーパーで商品を吟味していても、”それ美味しくないから買わないほうがいいよ”とか通りすがりに言ってくる。他人に対する敷居が低くて、すぐに話しかけてくるんです。しかもかなり本音で。ですから、大使館でも”君はどう思う?”と必ず尋ねられます。そういった関係性について、他の国の大使館員から羨ましがられることもあります。実際、こうやってインタビューも上司から許可が出ている。このような意見やコメントを公表して良いとする点は、非常に恵まれていると思います」
確かに、本国スタッフの同席なしで話が訊けているのはレアケースだ。とはいえ、毎日のように討論がなされ、知らない人がガンガン話しかけてくるなかで過ごすのは、日本人にとってきついかもしれない。今っぽい表現をすれば「クセが強い」のだろう。だからなのか、イスラエルジャズのバンドは、イスラエル人で固められていることが多い。
「それは私も疑問に思ったんですよ! だから、『イスラエル人にこだわっているの?』と聞いたことがあるんです。すると『そんなことは絶対にない! 情熱さえあればどこの国の人も構わない!!』と興奮気味に答えるんですけどね。でも、実際いつも似たようなメンバーですよね(笑)。これまた私の考えで恐縮ですが、イスラエル人同士のほうがコミュニケーションが取りやすいんだと思います。あと、彼らは結束力が強いんですよ。それに加えて、”あいつの兄貴とは同じ部隊だったんだ”とか、徴兵による熱いつながりもある。ニューヨークという異国の地で助け合いながら切磋琢磨しているので、つい集まっちゃうんでしょうね」
ヘクセルマンと東日本大震災がきっかけに!?
イスラエルでジャズが勃興した理由が少しずつだが理解できてきた。しかし、意地悪な目で見ると、「あの国は広報宣伝活動がうまいからな」という思いも浮かんでくる。実際、同国では世界各国の音楽関係者に向けて、自国のミュージシャンを紹介する『インターナショナル・エクスポージャー(ショーケース)』を毎年エルサレムとテルアビブで開催している。また、日本においても大使館がジャズミュージシャンをサポートしているケースは多い。そもそも、国または大使館がジャズシーンを意識するようになったのはいつからなのだろうか。
「私たちも2010年くらいまで、こんなにもジャズマンがいるとは知らなかったんです。大きなきっかけになったのは、2011年の東日本大震災。あのとき、ギラッド・ヘクセルマンが、水戸のライブハウスに向かう途中の常磐線で東日本大震災に遭遇しました。一緒にいたのはジョー・マーティンと、マーカス・ギルモアだったかな。大きな災害だったので大使館に連絡があって、そのときに初めてヘクセルマンを知ったんですよ。さらにプロモーターさんともつながった。もちろん当時は大使館も大騒ぎでしたから、実際にサポートするようになったのは時間が経ってからです。その間に、CDショップや音楽レーベルの方から、”イスラエルのジャズいいですよ”と話題になり始めていたことを知り、じゃあ大使館も応援しようということになりました」
イスラエルと聞くと、つい巨大な思惑があるかと思いがちだが、政府として文化輸出には力を入れているものの、何をサポートするかは各国の大使館に委ねられているようだ。
「インターナショナル・エクスポージャー(ショーケース)は、音楽に限らずいろいろなカテゴリーでやっているんです。ジャズよりも先に、日本人が多く訪れていたのはコンテンポラリーダンスの世界。国内の主要な大劇場、国際フェスティバル、NPO団体など、海外カンパニーを招聘できる規模の劇場関係者がたくさんいらしていましたね」
ダンサーとしての活動も注目される俳優の森山未來が、文化庁の文化交流使として留学したことで注目されたが、以前からコンテンポラリーダンスの重要拠点だったのである。身体の多様性や可能性を突き詰める表現手法なだけに、イスラエル人のマインドとフィットしたのだろう。
なお、観光客としてジャズを楽しみたいなら、イスラエルの最南端にある港湾都市エイラットにて、8月最後の週末に4日間おこなわれる『レッドシー・ジャズフェスティバル』がおすすめ。ここは紅海に面しており、ヨーロッパからチャーター便が直接乗り付けるような高級リゾート地。サンゴ礁も多く、ダイバーの聖地といわれるほど美しい海が広がっている。演奏は夜8時から始まり、ビーチで星空を見ながら、モーニンググローのなか、ジャズセッションが楽しめるという。なお、2011年からは1月にも屋内で冬季フェスを開催している。
テルアビブは“中東の2丁目”としての顔も
イスラエルはなぜジャズが強いのかを追いかけたが、その副産物として同国が予想以上に自由な国であることが判明した。音楽やカルチャーを愛するノンポリ人間にとっては、一度は訪れたい場所ともいえる。
「皆さんが思っている以上に自由な国です。とくにテルアビブは24時間眠らない街ともいえるほど。ミレニアム世代が新しいムーブメントを次々と発信しています。プライドパレード(LGBTのイベント)も開催されていますしね。中東の多くはイスラム教国なので同性愛は基本NG。一方イスラエルでは、政府のバックアップもあり、いまやテルアビブは、そういう流れの中心地になっています」
いうなれば、中東の(新宿)2丁目! 僕らはあまりにもイスラエルについて知らなすぎたようだ。最後に治安について聞いてみた。
「自宅から通う徴兵の子も多く、銃を持ったまま出歩いていて、ジャズクラブや劇場にもそのまま来るんです。それが良いか悪いかは別として、街の治安は世界の平均ぐらいと感じます。また、スーツケースやバッグを置き忘れても、盗まれるどころか、爆弾処理班が取り囲んでいたこともあったと聞いたことがあります(笑)」
あははは。イスラエル、さすがはクセが強い!
内田由紀
イスラエル大使館 文化担当補佐官
東京藝大美術学部、同大学院美学研究室卒業。バックパックで中東を旅した縁で、1990年に大使館に就職。以来、文化担当補佐官として活躍している。
取材・文/富山英三郎