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2006年、19歳のときにベーシストのアヴィシャイ・コーエンのトリオに招かれ、2010年には自身のトリオを結成してデビューを飾ったシャイ・マエストロは(2018年)現在31歳。いまではニューヨークで活躍するイスラエル出身のジャズ・ピアニストを代表する存在となっている。
ドイツのレーベル「ECM」から初リリースとなるトリオ作『The Dream Thief』を発表したばかりの彼は、ECMレーベル・オーナーのマンフレート・アイヒャーがいかに特別な存在であり、子供の頃に聴いたキース・ジャレットの『The Köln Concert』が決定的な影響を与えたかという、既にメディアに登場している話も丁寧に説明してくれた。
と同時に、この作品に静かに、しかし強く表現されていた「いまの時代や状況に対する想い」そして、謎に包まれているイスラエルの音楽教育の実態までを率直に語ってくれた。このインタビューは後者の話を中心にしたものである。
これが自分の役目だから…
──最新アルバム『The Dream Thief』のラストに収められた「What Else Needs to Happen?」には、オバマ前大統領が2016年に涙ながらにおこなった銃規制強化のスピーチが登場します。まずは、この曲のことから訊かせてください。
この曲には個人的に悲しい物語がある。コネチカット州のサンディフックという小学校での銃乱射事件(2012年12月。教員含め26人が死亡、当時20歳だった犯人も自殺)があって、その被害者のひとりが、友人のサックス奏者の子供だった。僕はイスラエルの電車の中で新聞を読んで彼女の写真を見つけ、衝撃を受けた…。
いまのアメリカは本当に酷い状況で、銃がスーパーマーケットで売られ、しかも犯罪歴があっても簡単に銃を買える。そんな状況は変わらなければならない。いまトランプが言っている“国外からの脅威”よりも、よっぽど(国内に流通する)銃で亡くなったり、銃による犯罪が増えているという事実を受け入れ、その状況を変える必要がある。そういうメッセージは出さないといけないし、自分がやるべきことだと思ったんだ。
それから、もう一つ伝えたいのは、この記事を読むミュージシャンにも声を上げてほしい、ということ。みんなが声を上げないといけない。それが自分たちの役目だから。
──あなたはすでに10年以上もアメリカに住んでいますが、その間に、社会状況の悪化を感じることもあった?
すごく複雑で簡単に答えられることではないが、ひとつ言えるのは、いまアメリカにレイシストが増えてきた…というよりも、いままで隠れていたレイシストが堂々と発言する余裕がこの社会にできてしまった。それ自体は絶対に許してはいけないことだ。
ただし、その状況は“敵が見えるようになった”と捉えることもできる。これによって、いろんな人が声を上げることができるのは素晴らしいことだ。みんながオープンに意見を言えるようになった。これは良くも悪くも、近年の大きな変化だと思う。
──最新アルバム『The Dream Thief』は、あなたのこれまでの作品の中で最も“静的な部分と動的な部分のダイナミズムや、複雑さがある表現”に感じました。それは、やはり現在の状況が後押ししたこともありますか?
もちろん、それはある。自分の音楽は自分を映し出す鏡みたいなもので、特に今回の作品に関しては、真っさらな鏡のような作品になったと思う。
これはもう堂々と言うけれど、これまでの作品は、みんなに「すごい音楽だ」と言ってもらいたい、自分のことを気に入ってもらいたい、愛してもらいたいという気持ちがどこかにあって作ってきた。コンサートをやると、みんな僕の音楽をとても気に入ってくれて拍手喝采だったし、ミスすることもなく完璧に自分が望むように演奏できたし、CDも売れてお金を稼ぐこともできた。それでも、家に帰ってくると、なにか空っぽで、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになることがすごく多かったんだ。
そこから、もっと自分自身を、パーソナルな部分を表現しようと思ったら、音楽自体がちょっと複雑なものになってきた。人間はみな複雑なものを持っていて、だからこそ今回聴いてもらったように、静けさがありながら、熱い部分があったり、強さや弱さだったり、いろいろなものが表現できた。聴く人もそれを感じてもらえたと思う。
“従軍しない”という選択肢
──あなたをはじめ、多くの有能なジャズ・ミュージシャンを輩出しているイスラエルの教育システムに興味があります。
一般的なイスラエルの教育は、(小・中学校を経て)高校を出たら、まず軍に行き、それから大学という流れ。僕が卒業したテルマ・イェリン国立芸術教育学校(注1)は高校に当たる。自分はそこを出てから、軍には行かずに、大学にも行かずにミュージシャンとしての活動を始めた。
注1:イギリスとイスラエルで活動したチェロ奏者テルマ・イェリンの名を冠した学校。シャイ・マエストロのほか、トランペッターのアヴィシャイ・コーエンやピアニストのオメル・クラインなど多くのジャズ・ミュージシャンを輩出。また、バターリング・トリオのプロデューサーであるリジョイサーも同校で学んだ。ちなみにリジョイサーの曾祖母がテルマ・イェリンである。
──つまり、ミュージシャンになることで、軍に行かないという選択もできるのですか?
そういうことでもない。僕が軍に行かなかったことについては、複雑で長い経緯があって、簡単には説明できない。最終的には、軍の人に握手されて「イスラエルのステージで演奏するときに会いましょう」と言ってもらえた。という状況になっただけで、本来であれば、軍には行かなければならない。ただ、自分はたまたま行かない選択をすることになった、ということだ。
“軍に行かない”という事例は他にもさまざまあって、たとえば、宗教に強く関わっている者もその対象になる場合がある。また、個々で“行かないようにする方法”を見つける者もいるだろう。ただし、「行く」とか「行かない」とか、「行かなくていい」なんて、本来はそんな選択肢などない。
──テルマ・イェリン国立芸術教育学校はジャズ・ミュージシャンから、バターリング・トリオのメンバーなども輩出していますね。その音楽教育にはどんな特徴があるのでしょうか?
学校に、ジャズ教育が普通にある。これはイスラエルの素晴らしいところだと思う。特に自分の学校では、教員にアミット・ゴラン(ジャズ・ピアニスト)がいて、彼はジャズの歴史も教えてくれた。残念ながら彼は、学校で生徒とバスケットボールをやっているときに心臓発作で倒れ、55歳で亡くなったんだけど、本当に心から音楽を愛していて、特に40年代から60年代にかけてのビバップ、ハードバップを授業中に聴かせてくれたんだ。
僕が在学していた当時はFacebookもYouTubeもない時代だから、14歳くらいの子たちがイスラエルで“ジャズ”にアクセスすることは困難だった。でも、そういった授業があることで、僕はソニー・ロリンズ、ソニー・クラーク、クリフォード・ブラウン、エロル・ガーナー、アート・テイタムなど、さまざまなミュージシャンの音楽を実際に耳にすることができた。しかも、音楽を本当に愛している人が教えてくれる。そういう環境の中でジャズを知ることができたのは、自分の中でもすごく大きなことだった。そのときに聴いた、バリー・ハリスが弾く「Polka Dots And Moonbeams」は涙するくらいに感動して、いまでも自分にとって大事な曲のひとつだよ。
──そこから、さらにアメリカへ留学する道筋も?
そうだね。たとえばイスラエルの学校が、アメリカのバークリー音楽大学と提携して、留学システムも充実してきたという現状はある。こうした動きと連動して、ミュージシャンも行ったり来たりして、先輩が後輩にアメリカの新しい音楽を教えたり、逆にイスラエルの音楽をアメリカの学校にもたらしたり。そういったサイクルが、音楽家を育てる波のようになっていった。
イスラエルに戻りたい。けれど…
──現在のあなたの活動拠点であるニューヨークのジャズシーンについてはどう感じていますか?
正直言って、ニューヨーク自体は本当に嫌いだ。すごく寒いし、“キャリア重視”の人たちも多いし。僕は自然豊かな森の近くで育ったので、本当はイスラエルに戻って自然に囲まれて過ごしたいとも思うよ。だけど……ニューヨークの“音楽的環境”が素晴らしすぎて、離れられない。
みんなが次々とクリエイトして、自分自身をどんどん追い込んで、新しいものを作ろうとしている。そういう人たちに囲まれていると、自分にもいろいろなアイディアが生まれてきて、それをみんなでシェアすることによってさらに発展する。そういう環境があるから、どうしても離れられない。先日も、20人くらいのミュージシャンが集まって曲を作ったりしたんだよ。
──それは、超クリエイティブなワークショップみたいな感じ?
まず、そこに集まったメンバーのひとりが宿題を出すんだ。「こういうテーマの曲を30小節作ってきてくれ」とか、そういう感じ。で、各自がその課題に沿った曲を作って、次の週までに全員がDropboxに投げ入れてシェアして、それについて語り合う。そうやってみんなでアイディアを分け合い、一緒に作っていくことによって成長していく。これはコミュニティというより、大きなファミリーみたいな存在だね。
──次はどんなプランがありますか?
あまりにもプランが多すぎて困るよ。ソロの予定もあるし、デュオ、カルテット、オーケストラでもやりたい。最近、ジョシュア・レッドマンともやったばかりだが、クリス・ポッターともやるよ。あと、いまは実験をしている段階で、Logicを使って、楽器を直接繋げて面白い別の音を出すことなどもやっているところだ。ソロも出したいけど、いまはインスピレーションを受け取って、吸収する段階だね。
取材・文/原 雅明