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【発見!シティポップな海外バンド】エヂ・モッタ from.ブラジル

Foto: Stefano Martini

70〜80年代の日本産シティポップが、いま海外でも注目されている。そんななか、シティポップの“サウンド的な流儀”を継承する、海外ミュージシャンも登場しはじめた。彼らは一体どんな感覚で“昔の日本のポップス”を聴き、自分たちの音楽に採り入れているのか?

シティポップDJとしても話題

ブラジリアン・ソウルの雄、チン・マイアを叔父にもつエヂ・モッタ(Ed Motta)は、リオデジャネイロ出身の47歳。1988年にエヂ・モッタ&コネクシオン・ジャペリとしてデビュー後、モンド・グロッソ、坂本龍一、松浦俊夫など、日本のアーティストとのコラボもたびたび行っている。そんなエヂは2013年の来日公演で山下達郎「Windy Lady」(1976)のカヴァーを披露したほか、2016年には音楽誌『Wax Poetics』の企画でシティポップのミックスを発表。和物ディガーとしてすっかりおなじみとなった。

アンケートによると、シティポップとの出会いは松下誠『First Light』(1981)とのこと。エヂはこれを「ドナルド・フェイゲン『Nightfly』(1982)へのシティポップからの回答」と評している。


最初の日本音楽はロンドンで買ったんだ

Q1. シティポップと呼ばれる、日本の70~80年代の音楽をいつどこで知りましたか?

僕は90年代中頃から日本のジャズを掘っていて、最初に出会ったシティポップは松下誠の1981年の傑作『First Light』だった。この作品の構成力や彼の音楽家としての高いレベル、汚れのないプロダクションには長いこと影響を受けたよ。僕にとってこのアルバムは、ドナルド・フェイゲンの『Nightfly』へのシティポップからの回答だね。

Q2. どこに魅力を感じましたか?

日本(の音楽)はすごく精密で、すごく特殊。白木秀雄の初期作からゲルニカまで、素晴らしく訓練されたプロダクションと知性を感じる。この聡明でユニークな発想は手塚治虫にも似ていて、多くの日本人ミュージシャンから感じることができる。

Q3. お気に入りのアーティスト名および作品を教えてください

ひとつに絞るのは難しいからリストを作成したよ。

ーシティポップー
山下達郎/南佳孝/濱田金吾/大貫妙子/藤丸バンド/芳野藤丸/ブレッド&バター/村田和人/安部恭弘
ージャズー
三木敏悟/鈴木宏昌/日野皓正/市川秀男/板橋文夫/森山威男/向井滋春/古澤良治郎/峰厚介


Ed Motta/エヂ・モッタ
ブラジル(リオデジャネイロ)出身。1988年に「エヂ・モッタ&コネクシオン・ジャペリ」でデビュー。1990年以降もオリジナル・アルバムやライヴ盤などを連発し、90年代のMPBを代表するシンガーとして認知される。近年は、アルバム『AOR』(2013)、『パーペチュアル・ゲートウェイズ』(2016)、『クライテリオン・オブ・ザ・センシズ』(2018)と、AOR路線のポップアルバムで注目されている。

Q4. それらの音源はどのように入手しましたか? または現在どうやって入手していますか?

最初の日本音楽はロンドンで買ったんだ。三木敏悟や日野皓正、中本マリが最初だね。初めて山下達郎の『Spacy』(1977)を買ったときは、「彼のコンプリート・コレクションが必要だ!」と思ったよ。彼は本当に天才だね。

Q5. あなたたち以外にも、日本のシティポップ周辺を聞いている人たちは国内に多いですか? それはどういうタイプの人たちですか?

海外のレコードを集めるコレクターは常にいる。そして、サンパウロは世界でも最大の日本人コミュニティがあるからね。いろんな漫画や手塚作品、寿司ネタもたくさんある街だから。

Q6. 日本のシティポップがあなたの音楽制作に影響を及ぼしているとしたら、どんなところでしょうか?

トラックのミックス手法に多大な影響を受けている。このサウンドが好きなんだ。


エヂ・モッタ『Criterion of the Senses』
2013年の『AOR』から続くアーバン・コンテンポラリー路線を継承する、2018年9月リリースの最新作。ダニー・ハザウェイ・マナーの「Sweetest Berry」、キャリア初期の作品にも通じる80’sディスコ調「Your Satisfaction Is Mine」、TOTOにも通じるポップ・ロック「Shoulder Pads」など、コンパクトながら実に多彩な内容。

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