投稿日 : 2019.05.14 更新日 : 2019.12.03

市原ひかり─デビュー9作目に新趣向を続々投入! 多芸ゆえの葛藤も… 【Women In JAZZ/#9】

インタビュー/島田奈央子 構成/熊谷美広 撮影/山下直輝

市原ひかり インタビュー

女性ジャズミュージシャンの本音に迫るインタビューシリーズ。今回登場するのはトランペッターの市原ひかり。22歳でデビューし、9作目となる最新作『SINGS & PLAYS』では初めて本格的なボーカルも披露。同作ではCDジャケットのイラストやデザインも手がけるなど、多彩な手法で、自己の表現を試みる音楽家だ。

そんな彼女はいったいどんな意識で “トランペットと歌唱” に向き合っているのか? 聞き手は “女性奏者の気持ち” が最もわかるライター、島田奈央子。

趣味の絵画で個展も

インタビュー開始時、ちょうど出来上がったばかりの新作CDが、彼女に手渡された。

「わーっ、できた! かわゆい!! 今回初めて、ジャケットのデザインも全部自分でやらせてもらったんですよ」

──アートワークまで、すべて手がけたのは初めて?

「はい。絵を描いたりデザインすることが好きなので、地道に勉強もしていました。デザイン面では、レコード会社の規定もいろいろあって、それも踏まえてデザインしていると、なんだかプロになった気分で(笑)。とっても楽しかったです」

市原ひかり『SINGS & PLAYS』(ポニーキャニオン)

──作画やデザイン面では、どんなコンセプトを立てたのですか?

「とにかくシンプルでパッと目に付く、あまりジャズっぽくない、でも奇を衒わず自分なりのものを目指しました」

──絵は、おもにどんな手法で?

「普通のペンで、細かいところは水彩だったりアクリル絵の具でも描いてます。それで描き溜まったら、お世話になっているお店やギャラリーで個展をさせていただいたり。フリーダ・カーロ(注1)というメキシコの女性画家が大好きで、じつは彼女の構図からいただいたものもあって、そういう絵にはすべて“フリーダ・カーロに捧げる”って書いてます」

注1:メキシコの女流画家(1907-1954)。メキシコ現代絵画を代表する作家であり、民族芸術の第一人者としても知られる。数々の事故や病気に見舞われながらも、メキシコとネイティブ・アメリカンの文化的な影響下で、自己の体験に基づく心の底の痛みをえぐるようなシュルレアリズム的な絵画を制作した。

──趣味にしては、かなり本格的ですよね。

「きっかけは、ピアニストの松本茜ちゃんが教えてくれた“ゼンタングル(注2)“でした。ひたすら細かい絵を描いて自律神経を整えるというものなんですけど、それがすごく面白くて。電車の中とかで暇つぶしにノートに細かい絵を描いていたんです」

注2:Zentangle/アメリカ在住のリック・ロバーツとマリア・トーマスが考案した、簡単で細かなパターンを繰り返して描いていくアート・メソッド。「禅」と「tangle」(絡まる)を組み合わせた造語で、細かなパターンを描いていくうちに精神統一がなされ、ストレス解消や瞑想的効果などがあるといわれている。

──細かな絵を描くのは、逆に神経を使いそうですけど。

「細かすぎで自律神経が爆発しそうな感じですよね(笑)。でもワクワクしてポジティブになれる。電車で移動中、スマホでゲームをしたりSNSを見たりするよりも、自分には何千倍も有益な時間です。それを隣から覗き込むおばさんと仲良くなったり(笑)」

──そこから、個展を開くまでになったのもすごいですね。

「あるボイス・トレーナーの方と仲良くなって、私が描いた絵を見せたら、“私の旦那さんがギャラリーをやっているから、そこで個展をしませんか?”って言ってくださって」

日野皓正の一喝。土岐英史の依頼

──トランペット奏者でありながら、歌も唄って、絵も描いて。ひかりさんの頭の中って…。

「派手!!(笑)」

──デビュー当時は、そんなに派手な印象はかなったですよ。

「そうなんですよ。22歳でファースト・アルバムを出させていただいて、いろいろなレールを敷いていただいて。そこに乗ってスイスイと進んでました。けど、このままだと私はきっと音楽シーンからすぐにいなくなってしまうだろうな、って」

──自分の現状を冷静に見つめてみた。

「はい。ジャズ・トランペッターとしての実力はぜんぜん足りないけど、若い女の子だからCD出させてもらっているんだろうな…と。もちろん、そのことに感謝もしていますけど、『もっと頑張らなきゃ』って思っているうちに『女性だからって、バカにされたくない』とも思うようにりました」

──そう思うようになったのは、なぜ?

「『キミは女の子だから音が小さいんじゃないか?』とか『女の子だから高い音が出ないんじゃないか?』とか言われたことがあって。お客さんから言われたこともありました。でもいちばん悲しかったのは、ミュージシャンはそれを言わない、ってことでした」

──思っていても言わないんですね。

「そうなんです。別にどうでもいいって思っているか、もう会わないかも知れないから。それがいちばん悲しくて。始めて2〜3年の頃、ピンヒールの靴を履いて吹いていて、当時はガリガリだったから、日野皓正(注3)さんに『おまえはモデルになりたいのか、トランペッターになりたいのか、どっちだ?』ってムッチャ怒られて」

注3:1942年10月25日、東京生まれ。9歳からトランペットを始め、1964年に白木秀雄グループに参加して注目を集めた。1967年からはリーダーとしての活動も開始し、日本を代表するトランペッターに。1975年にアメリカに渡り、ニューヨークを拠点に世界各地で積極的に活動を繰り広げている。

──うわぁ…。

「トランペッターです!! って答えて、まずハイヒールをやめました。ペッタンコの靴の方が吹きやすいですし。そうこうしているうちに、オシャレをして派手な格好して目立ってしまうと “そんな時間があるなら練習しろ” って思われるんじゃないか。っていうマインドになったんですよね」

──迷いと葛藤にはまっていったんですね。

「他人からどう思われているか? とか、認められたいとか、気に入られたいとか、いろんな気持ちが相まって、結局 “とりあえず黒を着とこう” みたいな」

──そこから、どうやって今のマインドに変化したのですか?

「土岐英史(注4)さんのレギュラー・グループに誘っていただのが、きっかけでした。そこからいろんなバンドにも呼んでいただけるようになって」

注4:1950年2月1日生まれ。神戸市出身。大阪音楽大学卒。鈴木勲グループ、宮間利之とニューハード、日野皓正グループなどで活動し、1975年に初リーダー作『TOKI』をリリース。1979年に松岡直也ウィシングに参加。1985年に山岸潤史らと“CHICKEN SHACK”を結成して1991年まで活動。1989年には自己のグループ“TOKI & CRUISING”を結成。1986年から2011年まで山下達郎のツアーに参加。ジャズからポップスまで幅広く活動している。

──誰かに、必要とされた。

「そうなんです。サイドマンになってこそ、人から必要とされてこそのジャズマン。そう思っているので、自信とはちょっと違うけど “このままでがんばろう”って思えるようになっていきました。そして30歳に突入した途端に、なんか急に気が楽になったんですよ。女性に生まれたのは抗えないことだし、女性で得したこともいっぱいあるし、お母さんに感謝しようって。それと同時に、人生は1回かぎりだなってすごく思って。だったら、他人の目や評価を気にして、自分がやりたいことを押さえつけるのは良くないし、自分が自分を認めないと誰にも受け入れてもらえないって思いました。よし、じゃあ好きなことしよう、もっともっと好きな音楽をやって、髪もピンクにしよう、って一気に(笑)。なんだか、楽しくなりました」

──そうなると、周りも変わってきたりしますよね。

「昔から私のことを知ってくれているミュージシャンの人たちには『ひかりちゃん、トゲトゲしなくなったね』って言われます。何も言われたくないから、ピリピリしていたんでしょうね」

転機は岐阜のカラオケスナックで…

──歌も始めたのも「好きなことしよう!」の一環で?

「今までトランペットを吹いていたのに、急に歌い出したらまたなんか言われるんじゃないか…だったらやめとこう。って、10年前なら思っただろうし、実際、今回もちょっと思いました。たまに歌のライブをやると『トランペットを聴きたかったのに』って言う人もいるので。でも、100人いて100人に好かれることは絶対にないから、1人でも“いいな”とか“幸せだな”って思ってくれたらいいかな。そして残りの99人も不快な気持ちにさせなかったら、それでいいかなって」

──そんなご自身の歌唱を、今回の新作『SINGS & PLAYS』で初めてフィーチャーしたわけですが、前作でも自分の“声”は採用していますね。

「声というのはほとんどの人が持っているもので、共感しやすいものだし、小さい頃から歌を聴くのも好きだったんです。だから自分の音楽にも声を入れたいなと思って。前作『Dear Gatsby』では朗読を入れたんですけど、やはり今度は歌を入れたかった。歌いたいというより、自分の音楽の表現のツールのひとつとして歌を加えたいと思ったんです」

──そもそも歌を始めたのは、どんなきっかけで?

「毎年、岐阜県の瑞浪市で『土岐英史ざ・無礼講ジャズライブ』という、土岐バンドに日野皓正さんがゲスト参加するっていうライブをやってるんです。かつて土岐家は源氏側で、日野家は平家側。平安時代から敵対していたんだけど、あるとき “今日だけは楽しく飲みましょう” という日があって、それが “無礼講” という言葉の語源になったそうなんですね」

──へぇ〜!

「それで毎年ライブが終わったら、打ち上げで地元のスナックに連れて行かれるんですけど(笑)、やっぱりトランペッターの性質か、私がひたすらカラオケで渡辺真知子さんの曲とかを歌って、日野さんがひたすらマラカスを振る、みたいな状況になるんです(笑)」

──どんな状況!?(笑)

「そこで日野さんに『おまえはトランペットやってるよりも、歌のほうがいいじゃないか、歌をやれ』って言われまして」

──またしても、きっかけは日野さん!?

「そうなんです。それで日野さんが、アルフィー(東京・六本木のジャズ・クラブ)のママさんに『ひかりの歌がいいから、やらせてやれよ』って言ってくださって、歌のライブをやらせていただけることになりました。でも実際にやってみると、練習の時のように上手く歌えない。やっぱりちゃんと基礎から勉強しなきゃ、って思って、ボイトレを受け始めました」

──それがいつ頃?

「3年くらい前ですね。それでプロデューサーに“次のアルバムでは歌いたい”っていう話をして、歌のライブに来てもらったら、全然ダメって言われて(笑)。トランペッターの(余技としての)歌だったらなんとかなるかもしれないけど、歌だけで聴くとまだまだ、と。そこからまた2年くらいがんばって、ようやく今回のアルバムにたどり着きました」

トランペットは“自信と不安”を映し出す

──レコーディング時は、楽器とボーカルの移行が大変だったのでは?

「〈ハウ・マイ・ハート・シングス〉だけ曲中でスキャットしてて、じつは歌ってすぐにフリューゲルホーンでソロを取りたかったんですけど、フリューゲルの置き場所がマイクからちょっと遠くて、すぐに楽器を持てない。だったらスキャットするべ、みたいな臨場感(笑)」

──スキャットのフレーズって、トランペットのソロと同じ感覚だったりするのかしら?

「ほとんどそうですね。ただし、普段トランペットで吹けるのにスキャットはできない、ってことがあるんですよ。それって“本当は自分の頭の中で鳴ってもいない音”を、トランペットの手癖だけで吹いてしまっているんじゃないか? ってことにも気づかされましたね。だからそれは “省いてもいいもの” なのかもしれないな…と感じて、いまトランペットでは、極力ムダなフレーズを省く練習をしています。逆にスキャットでは、それこそインストゥルメンタルのアドリブをコピーしてスキャットでできるようにしようって、どんどん両方を寄せていっていますね」

──頭の切り替えもたいへんそうですね。

「“この楽器が自分のすべてだ”というミュージシャンはたくさんいらっしゃいます。それも素敵だと思うんですけど、私にとってのトランペットは、自分の音楽を皆さんにお送りするためのひとつのツールで、そこは歌も同じなんです。私のライブに来てくださって『ひかりさんのトランペットがもっと聴きたいな』って言ってくださる方もいらっしゃるんですけど、私の歌はトランペットと同じなんだよ、という気持ちです。だからメンタル的なところでは、そんなに切り替えは難しくないですね。技術的には難しいですけど」

──楽曲のアレンジは全部ひかりさんがやったんですか?

「全部自分でやりました」

──〈ライク・サムワン・イン・ラヴ〉のアレンジがすごくいいなって感じました。

「よかった。ありがとうございます。あの曲は、シンガーの紗理ちゃん(注5)のためにアレンジしたものなんです。ちょっと気に入っちゃったので、自分でもやってみました。自分が歌うことを想定したら、このアレンジにはならなかったと思います」

注5:神奈川県横浜市生まれ。洗足学園音楽大学ジャズ・ヴォーカル科を首席で卒業後、米バークリー音楽大学に留学。2013年にファースト・アルバム『The Sweetest Sounds』、2017年にセカンド・アルバム『AND I’LL SING ONCE MORE』(市原ひかり参加)をリリース。音楽活動のほか、ラジオのパーソナリティとしても活躍。父親はジャズ・サックス奏者の中村誠一。

──ひかりさんの楽器って、独特のカラーリングですよね。

「マジョーラ塗装という、見る角度や光によって色が変わる特殊な塗装で、もともとは車に使われているんです。10年くらい前、ピンク色の楽器が欲しくなって、楽器メーカーの方とペイント会社の方に相談したことがあって。でも、トランペットに普通に塗ったら楽器が全然鳴らなくて、それからいろいろと試作品も作っていただいて、足かけ8年かかってやっと音がちゃんと出る塗装ができました。かなり薄くペイントしないと音が出ないし、そのために楽器自体も薄いものを、新しく作っていただきました」

──見る角度によって色が変わるんですね。

「そうです。最初に見た瞬間、これは派手すぎて無理かなって思ったんですけど(笑)、使っていくうちにすごく気に入りました。照明次第で、見たこともないような色になったりするので」

──トランペットって、豪快なイメージもありますけど、じつは繊細な部分もありますよね。

「トランペットって、私の意見では9割がメンタルでできている楽器です。練習をいっぱいしても、その音が出ないかもしれない…って思った瞬間に、出なくなる。『次の音、出ないかも、外れるかも』って思った瞬間、本当にちょっとだけ力んで、外れるんですよ。絶対出るって思っていたら、パーッと出せて。面白い楽器なんです。だから、絶対に出るって自分を信じられるようになるまで練習し続けるんです。でもそれは歌もまったく一緒でした。歌とトランペットって、すごく似てます。自分よりも正直な自分、みたいな感じですよね」

市原ひかり『SINGS & PLAYS』(ポニーキャニオン)

市原ひかり ライブ情報
6月21日/大阪 Mister Kelly’s
6月22日/名古屋 Jazz Inn Lovely
6月23日/浜松 Hermit Dolphin
6月27日/横浜 Motion Blue

【市原ひかり オフィシャルHP】
http://www.hikari-ichihara.com/

市原ひかり/いちはら ひかり(写真右)
1982年12月22日生まれ。東京都出身。成蹊中学校入学と同時に吹奏楽部でトランペットを始め、高校卒業までの6年間、クラシック・トランペットを学ぶ。洗足学園音楽大学ジャズ・コースに進学し、卒業後の2005年に『一番の幸せ』でメジャー・デビュー。その後も、オリジナル曲を中心とした様々なフォーマットのアルバムをリリースして注目を集め、今回の『SINGS & PLAYS』が9作目となる。自己のグループでの活動のほか、土岐英史、山下達郎、竹内まりや、土岐麻子などのレコーディングやライブにも参加。また『トップ ランナー』『題名のない音楽会』『ミュージックフェア』『僕らの音楽』といったテレビ番組にも出演。

島田奈央子/しまだ なおこ
(インタビュアー/写真左)
音楽ライター/プロデューサー。音楽情報誌や日本経済新聞電子版など、ジャズを中心にコラムやインタビュー記事、レビューなどを執筆するほか、CDの解説を数多く手掛ける。自らプロデュースするジャズ・イベント「Something Jazzy」を開催しながら、新しいジャズの聴き方や楽しみ方を提案。2010年の 著書「Something Jazzy女子のための新しいジャズ・ガイド」により、“女子ジャズ”ブームの火付け役となる。その他、イベントの企画やCDの選曲・監修、プロデュース、TV、ラジオ出演など活動は多岐に渡る。

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