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日本を代表するプロデューサーの1人である沖野修也。DJやKyoto Jazz Massiveの活動はもちろん、MONDO GROSSO、SLEEP WALKERのプロデュース、さらに今年は自身の自伝『職業、DJ、25年』(DU BOOKS)の出版など、常に新しいプロジェクトを静かに、そして確実に立ち上げている人物としても知られている。今回、そんな彼が新たに立ち上げたのが、Kyoto Jazz Sextetだ。デビューアルバムが今年4月15日にリリースされ、さっそく話を聞いた。モダンジャズへのアプローチ法、音楽業界のこれから、京都についてと話は多岐に渡った。
「60年代のジャズに憧れながらも、そういう60年代のジャズと決別することによって自分たちの存在意義を認めてきた」
——今度の新譜は1960年代のジャズに、フォーカスしていらっしゃいますよね。
「そうです。1963年から66年までの3年間のジャズをカバーしています。『新主流派ど真ん中』ですね」
——マイルス・デイビスを中心としたグループ、マイルス・デイビス・クインテットでいえば、ハービー・ハンコックやトニー・ウィリアムスがメンバーとして所属していたころ。音がエレクトリックになる直前までですね。なぜその辺を扱ったのでしょうか?
「去年、Kyoto Jazz Massiveで弟とともに20周年としてクロスオーバーな作品を出しました。でも、2013年ごろから本格的なジャズのプロジェクトを出したいなと考えていたんです。そういえばMONDO GLOSSOでデビューして以来ずっと言われていたのが『あれはジャズじゃない』ということだった。打ち込みはジャズじゃないということですよね。それは確かにわかるんですよ。だったら、完全に『ジャズ』な音楽をやろうと思っていたんです。では、どうして1960年代のジャズだったかというと、それはモダンジャズの完成形であり、芸術として鑑賞するものとして昇華された作品だと個人的にはとらえているからです。マイルス・デイビス、ウェイン・ショーター、ジョン・コルトレーン…、社会もこういうジャズを芸術としてとらえていたと思うんです。で、クラブシーンではそこを避けていた。僕らが何によってアイデンティティーを確立したかというと、ジャズの王道や本道ではなくて、B級のジャズファンクとか70年代のフュージョンなんです。ダンスミュージックとして使えるジャズ。当然、ジャズ喫茶の愛好家や評論家からは『あんなのはジャズじゃない』となったわけです。僕らは、逆に60年代のジャズに憧れながらも、そういう60年代のジャズと決別することによって自分たちの存在意義を認めてきたわけです」
——何があったんですか?
「正統派のジャズに対してコンプレックスがあったんです。僕も好きだったのですが、畏れ多いのでカバーはおろか、語ることすらできなかったんです。正統派ジャズに対する羨望であり畏れですね。本格的なジャズ・アルバム・プロジェクトを企画するにあたり、改めて踊れるジャズのシーンを検証したのですが、僕がプロデュースしたSLEEP WALKERは、ファラオ・サンダースやマッコイ・タイナーの影響を受けていました。また、菊地成孔さんが『ビパップこそが踊れる音楽だ』とイべントをやったり、須永辰緒さんは、ヨーロッパのジャズをずっと紹介してこられた。となると見事に新主流派のジャズが空いていたんです。で、『ここを避けてジャズは語れへんな』と思ったんです。当然(有名な曲を)カバーするかどうかは迷っていました。今の時代にカバーする意味合いがあるものができるか。ただ当時のジャズを再現してもオリジナルを超えることはできない。そしてメンバーはハービー・ハンコックとかウェイン・ショーターとかマッコイ・タイナーなどと比較される。そのリスクを受け入れられるのか。そういう葛藤がありました。そこに、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)とのコラボレーションの話があり、本年度の展示の中にフランシス・ウルフ(Francis Wolff/ブルーノートレーベルのジャケット写真を撮ったカメラマン、またプロデューサーでもある)の写真展があるということで、この写真展と連動することをきっかけに腹をくくるしかないなという思いに至りました」
ーーカバーする曲はどうやって選ばれたんですか?
「『Speak No Evil』と『Melting Pot』以外は、写真展に展示されたアルバムの中から選んだんですよ」
——その2曲は初めから念頭にあったということですよね。
「僕の中の新主流派のトップ3枚は、ハービー・ハンコックの『処女航海』、ウェイン・ショーターの『Speak No Evil』、フレディー・ハバードの『Blue Spirits』なんですよ。ブルーノート音源でいえば。ハービー・ハンコックの『処女航海』は過去にDJ KAWASAKIがカバーしているので『Succotash』に入れ替えました」
——今年出版された自伝『職業、DJ、25年』の中でモダンジャズがなぜないんだろうと疑問を持っていました。
「ジャズは聴いてなかったわけではないんです。畏れ多い。これが本音。去年、インターナショナルジャズデイの日に大阪でハービー・ハンコックやウェイン・ショーターのスピーチを聴いたんです。で、『この人たちは間違いないな』と(笑)」
——「間違いない」というのはどういうことですか?
「単なる音楽家ではないんです、あの人たちは。社会のことを考えて音楽活動をしているんですよ。たとえば『ジャズは反権力だ』とスピーチをするんですよね。前述のフランシス・ウルフもBlue Note創始者のアルフレッド・ライオンもドイツでのナチスの迫害から逃れてアメリカに来る。これはジャズの存在意義をもう一度紐解くべきかなと。啓示とまでは言いませんが。僕はたまたま無宗教で彼らとはポリシーが違いますが、ジャズが世界平和に貢献するとか、思想や哲学があって音楽表現をしているんだなというところに感銘を受けて、音楽以外の部分でも彼らの過去の作品に立ち返ってみたんです。ウェイン・ショーターの新しい作品も聴きましたけど、やはり僕が好きな彼の作品は1960年代なんです。今の活動も評価していますが、良いのは『Speak No Evil』。たとえばハービー・ハンコックの1970年代の作品も好きですけれど、ファンクとかクロスオーバー、ディスコという枠組みでとらえているんで、ジャズミュージシャン、ハービー・ハンコックではないんです」
——いろいろ入り組んでますよね。
「そうなんですよ。いろんなことがモザイクのようになってるんです(笑)。去年がBlue Note 75周年だったんです。2013年にKyoto Jazz Sextetをやりたいと思った時に、Blue Noteから75周年記念の企画を出して欲しいというオファーを受けたんです。当然、Blue Noteのカバー企画も出しました。で、その時の担当者がお辞めになって、立ち消え、カバー企画はボツになった(笑)。ところが去年11月に、KYOTOGRAPHIEの主宰の方にこの話をしたら、フランシス・ウルフ写真展にぴったりですね、ということになったんです」
——今のお話で思ったのですが、映像やアートと音楽は、沖野さんの中では切り離されていないのではないですか? 2013年には、バーニーズニューヨーク(新宿店)でイラストレーション展を開催されましたよね。そういったことも含め、同じ1つのことをやっているのでは?
「僕はそうですね。アート、ファッション、音楽、文学、映画、どれも密接に関連しています。最近だと映画『BIRDMAN』のアントニオ・サンチェスですね。僕の中であれはジャズ映画です。単に音楽だけ、とは思ってないですね」
——むしろ「ハービー・ハンコックのファンク時代がすごい」と言われるのかと予想していたんですが…。
「好きですけどね。好きですけどあれは一般の人はジャズとはとらえにくい。言ってみればジャズの影響を受けたダンスミュージックです。先ほどのKYOTOGRAPHIEのレセプションで、ニューオーリンズ出身のアメリカ人に会ったんです。『今日、お前何かけるの?』と聞かれたので『1960年代のジャズです』と言ったら、『あんなのはジャズではない』と言われました。『ニューオーリンズのジャズしかジャズと認めない』と。ジャズ原理主義者みたいなことです(笑)。僕にとってのジャズの黄金期は1963年から66年ですね。異論反論はあるでしょうが」
「サンプリングとマッシュアップを人力でやっているのが今の僕のジャズなんです」
——沖野さんはリスナーのことをいつも考えていらっしゃいますよね?
「そうですね。DJでもラジオの時でもリスナーとの接点を探る作業です」
——今回は「踊れないジャズ」ですよね。今回のスタジオ録音、何テイクくらい録られたんですか?
「各テイク2テイクで、使ったのはすべてファーストテイク。8時間で録り終えました。リハーサルは4日間」
——それはすごいですね。
「2テイク目は、緊張感が無くなるのと、アイデアも無くなるんです(笑)」
——このジャズを聴く人たちは、どういう人たちだと想定していらっしゃるんですか?
「『アイツ、新主流派のカバーをやったんかい! どれどれ聴いてやろうか』という人と、沖野修也ファン、クラブジャズのファンですね。今までこういうトライはされていると思うんです。たとえば、ザ・ファイブ・コーナーズ・クインテット。来日した時にはライブにはご年配の方も少なくなかったんですが、彼らの演奏がジャズのファンを満足させたのかというと、それはどうかなと。彼らのやったことは評価しているんです。彼らの技術をもって、再現したという意味ですね。伝統主義的ジャズ。僕のは今のエッセンスが入っています」
——鳴っている音が1960年代の音ですね。
「そうです。楽器は当時のビンテージです。マイクもそうですし、オールアナログレコーディングで、1960年代的な手法を使ってますけど、60年代では絶対ありえないジャズなんです」
——それはどういうことでしょう?
「アルバムのアレンジをする時に、『ジャズとはなんぞや?』ということで文献も紐解き、考え直したんですよ。そして『ジャズとはコミュニケーションである』ということにたどり着いた。オーディエンスやミュージシャン同士の間でのコミュニケーション。インプロビゼーション(=アドリブ)が、ジャズの核というかキモなんですよ。どうして打ち込みのドラムの上にソリストを加えてもジャズと認められないかというと、それはドラムが何にも反応していないからです。機械は人間に反応できません。マイルス・デイビスがアルバム『Doo-Bop』でヒップホップを演奏してますが、あれはジャズじゃないんです。あれはマイルス・デイビスの音楽であり、マイルスもあれはジャズだと思ってないと僕は思う。ジャズは人間同士が共演して反応している音楽。それは共鳴ともいえるし、会話ともいえる。演奏する時に全部、生でやるという大前提があった。で、そこに今の時代のエッセンスを入れると考えた時に、現代の音楽制作の手法で重要なことは何かというと、サンプリング。つまり過去の楽曲のフレーズを抽出して、循環させ、その上に違う要素を乗せる。過去と現在の融合。ダフト・パンクも、ファレル・ウィリアムス、ブルーノ・マーズもそうです。それを人力でやればいい。こう考えたんです。たとえば、『Speak No Evil』のベースラインは、マイルスの『Footprints』のベースラインです。それをベーシストが人力でサンプリングしてループしている。リー・モーガンの曲では、ピアノが『My Favorite Things』のコードを引用している。『Melting Pot』ではアート・アンサンブル・オブ・シカゴの曲のベースラインを使っています。要するに、サンプリングとマッシュアップを人力でやっているのが今の僕のジャズなんです。この手法は60年代にはなかった。これで現代性が得られればなと思ってます。単にヒップホップのビートが入っているということではないんです」
——内側のほうからジャズを作り変えているということでしょうか?
「そうです。最新の楽器などのハードに頼らず、アイデアで新しさを表現するということをしたかったんです。サンプリングして、ループして、マッシュアップ、この発想が現代の影響なんです」
——これはLPでも出ました?
「出ました」
——むしろLPオンリーのほうがいいんじゃないですか?
「そうですね。コンピュータにも取り込んでませんし、データにも変換してないです。レコーディング、マスタリング、カッティングまで一切デジタルは使っていません。すべてアナログです。機材はあるんですよ。池袋にDadeというスタジオがあるんです。ドラムも当時のもの。磁気テープに録音しています。レコーディングの卓もそうです。しかも、トラブルが起こりまして(笑)」
——それは起こりますよ(笑)。
「実は「Speak No Evil」だけ3テイク録ってるんです。1テイク目は、再生時にテープがくっ付いてしまって、幻の1テイクになりました(笑)。オーブンにかけると剥がれるらしいんですが、スタジオにはオーブンが無かった(笑)」
——面白いですね。ということは、どこかにマスターテープが存在しているということですか?
「そうです(笑)。ただ僕が買わないと、そのテープは繰り返し使われてしまうんで、消されてしまうんですよ」
——それはレコーディングテープですね。想像がつかないのですが、そのテープはどのくらいの値段なんでしょうか。
「1本5万円とかですね。で、テープ1つに2曲は入らない。2テイクあるので。8本あるとしたら、40万円になりますよ。今の音楽業界では40万円は大変なんです(笑)」
「5千円出しても1万円出しても買う価値があると思われるアルバムを供給できているのかということ」
——このジャズの手法がもっと知られると、沖野さんのジャズに関心を持つ人はさらに増えるんじゃないでしょうか。で、今の話とも関連するのですが、これからの「音楽シーン」、あるいは5年後とか10年後の音楽はどういう形になると沖野さんは思われますか?
「僕は望まないんですけど、音楽はストリーミングの方向になってゆくんじゃないでしょうか。音楽のお金を払わない方向。究極的には、携帯の請求書に音楽料金を上乗せして聴き放題。そのほうがユーザーの負担が少なくなると思う。ただそれではもう音楽は作れなくなってくるんじゃないかという危機感もある。僕自身は買ってほしいんです、まだ」
——その辺は、スガシカオさんも言ってらっしゃいますね。椎名林檎さんはライブで「CDは売れないんでしょ? だったらキャバレーをやるわ」と。
「確かに、買うに値する作品がない。僕はリスナーの立場でもあるんです。『スティーヴィー・ワンダーやマイルス・デイビスと比べて、買うべきソウルとかジャズはあるのか』というのが正直なところです。iTunesは1曲だけでも曲を買えますよね。自分としては曲を10曲作った時に、どれもシングルカットされたい、マイケル・ジャクソンの『Off The Wall』みたいにしたいわけです。でも、本当に買ってもらえないんです。このアルバムは5千円出しても1万円出しても買う価値があると思われるアルバムを供給できているのかということです。それでは月額1千円でもしょうがないでしょう、と思いますね。僕は1万円で買ってくれるCDを作りたいです。10万円でも。そのかわり、いろいろオマケを付ける。シルクスクリーンとか、ポートレイトを付けるとか、短編小説が入っているとか。そして音楽販売は2極化するでしょうね。音楽業界自体が、一方では売れるものをやっていく人と、もう一方では愛情があって、1人でも多くの人に聴いてもらいたいと思う人に分かれていく。価格も2極化するんじゃないですか」
——たとえば、価格をユーザーが付けるということはありえますか?
「ありえますね。僕のほうが異なる価格帯の提案をすればいいと思うんです。iTunesなら1千円、CDなら2千円、トートバッグやダウンロードの権利が付いたものは1万円と提案して、ユーザーにチョイスしてもらうというのがありかと思います」
「沖野修也というアルバムが成立するのはクインシー・ジョーンズという先達者がいるから」
——沖野修也さんが尊敬している人は誰ですか?
「誰だろう…」
——自伝の中に出てくるジャイルス・ピーターソンとか、ザ・ブランニュー・ヘヴィーズの人たちと一緒に仕事をしていましたよね。こういう人みたいになりたいという人は?
「あえていうなら、クインシー・ジョーンズですね。彼みたいになりたいわけではないですが」
——去年来日していますよね。
「彼は、もともとジャズミュージシャンですがトランペットが吹けなくなってプロデューサーになりましたよね。クインシー・ジョーンズのアルバムでも彼は歌ってない。ボーカリストがいて、ミュージシャンがいて。彼の70年代後半から80年代の手法に影響を受けています。アルバムを作る時にミュージシャンを招集する。『沖野さんはステージでは何をやっているんですか?』と聞かれるんですが、MCをして効果音を出して、シェイカーを振って。『そんなんでいいんですか?』とも言われるんですが、『でもクインシー・ジョーンズはステージ上で踊ってるだけやでー』みたいな(笑)。彼のカリスマ性がないとステージは存在しないんですよ」
——去年そうでした。Blue Note Tokyoで彼は客席に座ってました。
「プロデューサーとしてのクインシー・ジョーンズは参考になっています。DJは楽器を弾かないし、歌わないですが、でも沖野修也というアルバムが成立するのはクインシー・ジョーンズという先達者がいるからという面はあります。彼自身は曲も書きませんしね」
——コピー&ペースト(以下コピペ)についてはどう思われますか?
「コピペも複数を合わせて組み合わせることもありえます。組み合わせで、他にないものができれば僕はいいと思うんです。僕も卒論を書きましたけど、『引用』としましたし、出典元も明記しました。あ、でも… 究極、コピペはダメですけど、自分の発言と思っているものも、なんらかの影響を受けているかもしれない……。それを自分の言葉で語れているかですね。マイルス・デイビスの『Footprints』のベースラインの場合、ベーシストは少しだけフレージングを変えているんです。ヒップホップの場合は引用元を書きますしね。オリジネーターに聴かせられるものならいいんじゃないでしょうか」
「プライドがある。権威に対する反権威主義みたいなスピリッツがある。そういう環境のなかで僕らは育ってきた」
——沖野さんの場合にどうしても気になるのは、京都との関係です。京都のご出身だと思うんですが、京都と東京、この違いをどう思われますか?
「京都にいた時から感じていたことですが『歴史がある』ということです。当たり前のことなんですが、歴史が日常生活に存在している独自性。違和感ではないんですが、過去と現在の対比、ということかな。それがいつもある。町家があるけど、60年代にできた京都タワーや国立京都国際会館があり、安藤忠雄の建築もある。昔の音楽も好きで、今の音楽も好き、という過去と現在の同居は日常の風景としてあるんです。一方、東京でも古い音楽を愛好している方はたくさんいるんですが、京都に比べると『古いものは古いもの』『新しいものは新しいもの』と棲み分けされてるかなと。『ハウスならハウス』『レアグルーヴならレアグルーヴ』『ジャズだったらジャズ』と区分けをしますね。現在と過去の混在が京都の特徴です。もう一つ、もともと京都は国際都市なんですよ。日常の風景のなかに外国人が多かった。外国人に対する親近感というか違和感の無さは、京都で培われたんです。いきなりロンドンの雑誌にチャートを書いてましたが、『京都と外国は直結している』そういう意識があるんです。これは他の都市と違うかもしれない。京都が都だったというのもあります。プライドがある。権威に対する反権威主義みたいなスピリッツがある。そういう環境のなかで僕らは育ってきた。それでMONDO GROSSOにしても、Fantastic Plastic Machineも海外志向が強かったです。それは京都のアーティストだからでしょうね」
——京都のことは意識されてますか?
「いや、人に言われて意識するようになりましたね。東京に出てきた1994年ごろからです。こうやって聞かれる前は気にしていなかったです。東京を飛び越えて、京都と海外が直結しているというのは」
——そのころレコードショップはあったのでしょうか? JETE SET Recordのような。
「まだなかったです。Riversideというレコードショップがあり、アシッド・ジャズは5枚くらいしかなかったんです。それで全部買い占めてました(笑)。東京に来て思ったのは、東京はいい意味でキッチュなんです。Pizzicato Fiveもそうですし、スチャダラパーもそうです。かっこ良くて、キッチュ。東京スカパラダイスオーケストラもそう。斜めに見ているというか、批評性も含めてひねっている。京都は直球で勝負するんです。海外と真剣勝負するぞ、というようなことです。東京のプライドと京都のプライドは違うよなと。Kyoto Jazz MassiveもMONDO GROSSOもそうです。あの屋敷豪太さんも京都出身ですね。メジャーなミュージシャンとやっている屋敷豪太さんは余裕を持って東京を楽しんでおられるなと。Jポップはそういう意味では非常に東京的なんです」