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7月8日、箭内健一はDJ HIKARUとの共作によるアルバム『Easy Listening?』をHIKARU meets KENICHI YANAI名義でリリースする。2000年代、Soul Source Production名義でジャクソン5のリミックスアルバムを大ヒットさせ、その後もメジャーレーベルからオリジナルアルバムや、ヒット作となるコンピレーションアルバムを数多く発表してきた箭内。そんな彼は今、自身のレーベル<SMR>からHIKARU meets KENICHI YANAI名義、Dunk Shot Brothers名義の作品をリリースするなど、静かにそして着実に新たな歩みを進めている。さらに加えると、今彼が作り出す音楽は、当時彼が発表してきた音楽とはどこか違って聴こえる。現在、活動をともにしているDJ HIKARUとの出会いが、彼をどのように変えたのだろう。
「HIKARUくんの客観性は間違いないと感じているし、DJとしてというかリスナーとしてものすごく信頼している」
——2000年代のSoul Source Production名義を知っている人たちにとっては意外な組み合わせだったと思うのですが、DJ HIKARUさんとどのように出会ったのですか?
「不思議がられますよね。5年くらい前に、湘南の海の家でDJをやったときに一緒になったんです。たまたま最近、そのイベントにブッキングしてくれた女の子と会って『よくあんなブッキングをしたね~』なんて話をしたくらい意外な組み合わせで(笑)。そのときは、もちろんHIKARUくんとは“はじめまして”だったので、意気投合ということには当然ならず(笑)。その日はサクッと解散しまして。当時、僕はあまりHIKARUくんのことを知らなかったんですが、彼の作品やミックスCDを聴いたりしていくうちに、気にはなっていて。連絡先は知っていたので、久しぶりに連絡してみようと思って、僕の方から声をかけたんです。ナンパしたって感じですね(笑)。そのときに、『何かやらない?』という話をして、少しずつ距離を近づけていったという。彼の音楽に対する距離感やスタイルからすると、僕は珍しいタイプだったと思うんですよ。彼はたぶん、フレンドシップとミュージシャンシップが一緒になっているなかで生活しているけど、僕はきちんと仕事としても音楽をしようよっていう人で。だから、長い時間一緒にいたりいろんなことを話し合いながら制作を進めていったんです。もともとアルバムを作ろうとは思っていなかったんですが、曲がどんどん仕上がっていくうちに、彼が『もうアルバムになるね』なんて言って。あ、そういう気持ちはあるんだって思ってました」
——一緒にアルバムをリリースするくらいなので、昔から仲が良くて長い関係なのかと思っていました。
「作品を作り始めてからは、なんだかんだ長かったですけどね。もう4年くらいやっていますから」
——このHIKARU meets KENICHI YANAI名義では、7inchシングルの『nanmin』が最初のリリースかと思うのですが、まずは2人で作品を出してみようというところから始まったんでしょうか?
「じつは、2人の作品を出す前に、僕がフランス人の友人と一緒に作ったレーベル<SMR>からHIKARUくんがミックスCD『High Psy』を出したんです。HIKARUくんの好きな曲の権利関係をクリアにして、初めてオフィシャルという形で。流通を<ULTRA-VYBE, INC.>が担当していたんですが、そのとき<ULTRA-VYBE, INC.>の方から『もしよかったらオリジナル曲も1曲入ると嬉しいな』と言われて、そのことを本人に話したら『じゃあ、何かやってみるか』ということになったんです。それでHIKARU meets KENICHI YANAI名義でオリジナルの楽曲を1曲作ってみたのが最初ですね」
——レーベルのお話も出ましたが、一緒に作っているというよりは箭内さんがプロデュースされているという形なのでしょうか?
「お互いがお互いをプロデュースしてるような感じなんです。すごく不思議な作り方をしているんですけど、まずタタキ台を僕が作ってみて、それを聴かせるんです。それで、『どうだった?』って聞くと、すごいいろんなことを言われるんです(笑)。根本的なこととか、リズムがつまらないとか(笑)。そこそこ僕も楽曲制作を長くやってきているので、他の人に言われるとすごく嫌なんですけど、この人に言われるんだったらいいかな~っていう信頼感がすごいあるんです。彼の客観性は間違いないと感じているし、DJとしてというかリスナーとしてものすごく信頼しているので。そもそも、彼はすごく忙しい男だし、なかなかスケジュールが合うことがないので、たまたま合ったときには一緒に作業をしますけど、基本的に僕が作ったものを聴かせて、仕上げていくっていう流れが多いですね。そうすると、どんどんでき上がるものが、最初にプレゼンしたものと全く違ったものになるので、そういうことも含めて楽しむ。曲によっては、作ったラフデータを沖縄に送って、沖縄で作業してもらって返してもらったり、作り方のパターンは変わってきますね」
——HIKARU meets KENICHI YANAIの作品は、今まで箭内さんがリリースされてきた作品とテイストが違うと感じました。アーティストとしてお互いがどのように歩み寄っていったのでしょうか?
「DJを一緒にやったときに思ったんですけど、共感できるところがたくさんあったんですよ。まず、好きな曲がすごく合う」
——音の好みが近いっていうのがあるんですね。
「すごく好みが近いですね。ストライクゾーンがわりと似てるのかな。それがあるから一緒にやっていられるんじゃないですかね。彼の方がもちろんレンジは広いですけどね。あと、基本的にポップなものが好きなので彼は。あまり難しいものよりも、まあ僕が勝手に思ってるだけなんですけど。本人にもよく、『わかりやすいものが好きだよね?』って言いますけどね。彼がいいと思うものであればそれこそEDMであろうが、レゲエであろうが、テクノであろうが、なんでもいくみたいなところがあるのかなと思いますね」
——今回のアルバムにもポップさを感じました。なかでも、ベースラインがすごく際立っているのが印象的で。ベースに元犬式 a.k.a Dogggy styleの石黒祥司さんが参加しているとのことですが、どういった経緯で参加することとなったのでしょうか。
「吉祥寺のBar CheekyでDJすることが何度かあって、そこで石黒さんのライブを拝見したんですが、それがもう素晴らしかったんです。そのときも、『こんにちは』って話しかけて、『仕事しませんか?』って(笑)。自分が話しかけないと誰も話しかけてくれませんからね(笑)。もともと、ベースは生の音にしたいと思ってたら、HIKARUくんも石黒さんと昔から知り合いで、結局繋がっていたんです。なんでもそうで、全部出会いが繋がっていくんですよ」
——生の音にこだわってらっしゃるというのも曲を聴いているとすごく納得できます。ストリングスの音にしてもドラムの音にしてもベースの音にしても、バンドが演奏するような生音っぽさやオーガニックさがありました。
「仮想バンドのイメージがあって。たとえば、低予算のライブとかに呼ばれるとする。そういうときに、バンドとしてステージ上で実際にできることを想定して作ってるんです。そうすると必然的にあまりトレンドのハウスミュージックみたいな構造にならないというか。キーコードに依存しないという。打ち込みのプロダクション音楽にありがちな、困ったら全部キーボードで説明するようなことはやりたくないなと思っていたので」
——バンドのイメージというと、基本的にバラで録ったものを集めて一つの曲にしていくのでしょうか?
「そう、本当にバンドみたいですよ。最初にリズムがあって、ギター入れてもらって、それを編集してというような」
——ボーカルものは曲ができ上がってから歌を乗せるんですか?
「そうです、そうです。実はHIKARU meets KENICHI YANAIの2枚目のシングル「Under the Daylight」は僕が歌ってるんですよ(笑)。歌っていると言っても友人のオーストラリア人とユニゾンで合唱してるだけなんですけど(笑)。そういうこともやっていますね」
——なぜこんなにも気持ちのいいアルバムができるのでしょうか? 音としての心地よさもありますし、アルバムとして統一感もある。お互いに好きな音が明確に見えているのかなと感じました。
「やっぱりHIKARUくんだからじゃないですかね。自分の欲しいものや自分の中で決まっているものがはっきりしているんだと思います。必要ない音は悲しいくらい取っていくんですよ。一生懸命作ったベースも、ピアノも(笑)。最初は『えー!』って言ってたんですけど、慣れてくるとどんどん気持ちよくなっていくんです(笑)。目からウロコというか。何が必要ないのかがどんどんわかってきて、作るスピードも上がっていく。それでもきちんと成立するんですよね。それが新鮮だったし、そこから仕事をするのが病みつきになりましたね。聴き方はもちろん、今までの音楽に対する感覚が全部変わりますから。さらに言うと、HIKARUくんは沖縄出身で、南国育ちじゃないですか。そういう彼の色は絶対キープしようと意識していたし、その色をきちんと音で表現できればなんでもいいやっていうのがあって。だから冬に作るのが辛いんですよね(笑)」
——確かにそうですね(笑)。このアルバムから冬は全くイメージできないです。
「雪の降っている時期に作業するのがすごく辛いんです。僕は沖縄じゃなくて東京で作っていたりするので、寒い日に作業なんかすると最悪ですね(笑)」
——箭内さんのご出身は仙台ですよね?
「仙台と郡山なんです。海のあるところで育ってきてなくて(笑)」
——いつごろ東京へ出てこられたのですか?
「僕は30歳のときに出てきました。もう16年目になりますね。いい大人になってから出てきたので、なんかいまだに東京の人っていう意識がなくて」
——Soul Source Productionという名義はもともと仙台でやられていたレコードショップの名前からきたんですよね?
「そうですそうです。仙台で“Soul Source”というレコードショップを経営していたので、そこからですね」
——仙台にいたときに大沢伸一さんと出会ったとお聞きしました。
「そうなんです。大沢さんに呼ばれて東京へ出てきたんですよ」
——どういった経緯で呼ばれたんですか?
「もともと仙台でクラブのプロデュースをやっていまして、そのクラブに大沢さんをゲストとして何度かお呼びしていて。そのとき、とあるきっかけで『東京にそろそろ出てきたら? もう仙台もいいだろう?』みたいなことを言われまして(笑)。それから上京してきたんですよ」
——そのときは今のように楽曲を作ることを考えていたのでしょうか?
「DJはやっていましたけど、作曲するなんて全然考えてなかったです。そのときMonday満ちるさんが同じ事務所に所属していて。そのうちMonday満ちるさんの音楽を担当するようになって、一緒に制作したり、ディレクター的なこともやったり、現場制作なんかも事務所でやったりしていましたね。その後、彼女が結婚してNYに住むことになったので時間ができたんですよ。だから自分の好きなことをやってみようと思って。当時ユニバーサルミュージックの方とよく仕事をしてたから、ユニバーサルの人にジャクソン5のリミキシーズの企画をプレゼンしたらトントン拍子で進んで、それが当たっちゃって。当たるとなんかいろんなことができるようになって。そのうち今度はアルバムに入れる曲が足りなくなってくるんです。すごくいい時代だったんですよ。お金はあるけど曲が足りないみたいな。じゃあ僕が作りますみたいな流れになっていきましたね。それまで散々現場に行ってたから、どういう風にやれば曲が作れるっていうのが分かっていたので」
——では、現場で作曲の方法を学んだり?
「そうですね。あとはミュージシャンやエンジニアの方とも仲良くさせてもらっていたので、こうやれば作れるっていうのをその人たちからたくさん吸収して」
「Soul Source Productionで出していたような歌モノハウスには戻れないというのは明確にある」
——Soul Source Productionではいろいろなアーティストをフィーチャーされていましたよね。そういったアーティストと一緒にやるきっかけは何だったのでしょうか?
「本当にやってほしいアーティストに自分から連絡してましたね」
——ドイツの名門レーベル<Compost Records>からもリリースしているヤナー・ヴァルデヴィット(Yannah Valdevit)もフィーチャーしていましたよね。
「ヤナーは確か沖野修也さんから紹介していただいたと思うんですよ。沖野さんが『箭内くんのリミックス企画で、ヤナーがお金はいらないから参加したいって言ってるよ』って教えてくれて。もちろんお支払いしましたけど(笑)。天才と言っていいほどに彼女はすごい才能の持ち主なので、それならと思いすぐに連絡してみたんです。それからレギュラーでやってもらえるようになりました。最近ではないんですが、Soul Source Productionの作品やほかのカバー企画などで参加してもらった、ハリー・チューチュー・ロメロ(Harry ‘Choo Choo’ Romero)のレーベルに所属していたレスリー・カーター(Leslie Carter)というNYの黒人シンガーが本当に好きで。<P-VINE RECORDS>から自分のコンピレーションアルバムを出させていただくときに、ライセンスでその彼女の曲を使いたいから連絡先だけ教えていただいて自ら連絡しました。最初に連絡した時のレスリーの拒否反応がすごくて。『はじめまして、こんにちは』って言ったときの、お前誰だよという感じ(笑)。すごく冷たかったんですよ。だから細かく噛み砕いて説明をして、好きな音楽の話もたくさんして、そうしたらあとはもう何もなかったかのように、今ではすごくいいお友達ですね」
——先ほどのお話に出てきた沖野さんのように、日本のクラブJAZZシーンで活躍している方との繋がりもあるのですか?U.F.O.の松浦俊夫さんもコンピに参加していたりしますよね。
「全部仙台で出会っているんです。あの頃はゲストとしてお呼びしていたんですが、今は一緒に地方へDJしに行ったりもしますからね。3~4ヶ月に1回くらいは地方に呼んでいただいて。昔自分がプロデュースしていたお店を友達が買ってDJバーをやっているので、そこで定期的にDJをやったり。先月、松浦さんと一緒にそこへ行ってきたんですよ。感慨深いものがありますよね、人の人生ってのは不思議なものです」
——仙台での出会いが、東京で大きな意味をなしているわけですね。
「そうですね。だから東京へ来たからといって特に変わったこともしていないですし。曲を作るのもすごく作りたかったからってわけでもないですし。必然性があって作って、そのうち独立して曲を作っていかないと生活ができないっていう環境になり、なんとなく現在に至るという感じなので」
——ちなみに、Soul Source Productionと今のKENICHI YANAIとしてのプロジェクトに何か違いはあるのでしょうか?
「なんでしょうね。ただ、Soul Source Productionで出していたような歌モノハウスには戻れないというのは明確にあって。それだったら自分の名前を使って、これからはやりたいことをやっていこうかなと思ってるんです」
——それは今のシーンを見ていて感じたことですか?
「そうですね。だって、びっくりなのが当時あったJ-CLUBというコーナーが今はもうないんですよ(笑)。あのタワーレコードにもそんなコーナーは存在しないんですって。J-JAZZというコーナーはあるんですけどね」
——たしかに、今J-CLUBと言われてもいまいちピンとこないですよね。
「そうなんです。当時J-CLUBにカテゴライズされていた音楽が今は出てないし、いろんな音楽がよりクロスオーバーされているこんな時代だから、クラブミュージックというのがどんどん分からなくなってきてるんでしょうね」
——昔のようにオムニバスアルバムやミックスCDというのが売れにくい時代ではあるのかもしれません。
「今はなかなか難しいでしょうね。今、ミックスだったらネットに上がっているもので素晴らしいものがいっぱいあるし。お金を出すものじゃなくなってきていますしね」
——メジャーでやられていたときと今とでは意識の違いなどあるのでしょうか?
「まったくないですね。だって、メジャーなときでもある程度インディーズ魂溢れるメジャーの人と仕事をしてましたし、母体が儲かってるからこういうことができるという話で僕らみたいな人たちは呼んでもらっていたので。こういう時代になってくると、なかなかメジャーで出すことは難しいのかもしれないですけど、あまりそういうことにも今は興味がないんです。期待に応えられる気もまったくしないし、編成会議を通るようなものを作れる自信がまったくないですね(笑)。変わったことといえば作業するスタジオが小さくなったことくらいですかね(笑)。今こうやって続けられていることに本当に感謝ですよ」
——そういう今のシーンを踏まえて、箭内さんが今やりたいことは一体何なのでしょうか?
「生活にどんどん密着したものというか。僕は子供がいるんですけど、子供と一緒に聴けるものとか優しいものとか、より頑張らなくてもできるものとかを作りたい。それが今の時代の流れにフィットするのかなって思います。あとは、素敵な人と出会えば。素晴らしいギタリストやベーシスト、ドラマーとか、そういう人たちとの出会いを大切にしたいです。HIKARUくんと仕事をするようになってから、いろんな人を紹介してもらえるようになって、メニューが増えたというか」
——今まで自分のフィールドにはいなかった人たちと知り合うことができたと。
「そうそうそう。はじめましての人とお会いしても、『あの箭内さんね!』『HIKARUとやってるやつね』みたいなことがよくあって。何かやるにしても、『HIKARUとやってるんだったら全然いいよ、やろうぜ』ってなるので、それが本当にありがたくて」
——HIKARUさんの存在がすごく大きいんですね。
「本当にそうなんです。だから顔を潰さないようにしなきゃいけないって思ってるし。そうじゃなきゃこんな素晴らしいアルバムにならないと思うので」
——ちなみに普段はどのような音楽を聞かれるのですか?
「古い音楽を聴いたり、DJもするので12inchを買っていますね。作曲のためのネタを一生懸命探すということも含めて」
——HIKARU meets KENICHI YANAIで発表した2枚のシングルも7inchでリリースされていますよね。やはりレコードへのこだわりは強くあるのでしょうか?
「結局CDだと売れないじゃないですか、今の時代。夢も希望もなくなってきてるから(笑)。あと、DJの人たちがレコードを買ってる姿が大好きなんですよ。レコードって一枚一枚がすごく高いのに、一生懸命聴いて、探して、地方にいても通販で買って。そういう人たちのひたむきな姿勢がすごく好きで。HIKARUくんと一緒にやるようになったり、Dunk Shot Brothersをやるようになってから、今まで自分が作ったものを買ってくれる人はどこにいるんだろうって思いながら仕事していたんですけど、『買いました』とか『聴いてます』って言ってくれる人にすごく出会うんですよ。全体のマーケットが下がってるにもかかわらず、メジャーで出していたときよりもそういう人たちに会う確率が今までの何倍も上がって。事務所もないし、誰も褒めてくれないし、1人でいろんなことをやっているから、そういう声が届くと嬉しいんですよ。レコードマーケットがプチバブルになっているというのもあるし、自分の運や時代の流れもあるのかなとは思いますけどね。ただデジタルのマーケットが広がれば広がるほど、デジタルでのDJスタイルがどんどん認知されたり、ハードがどんどん進化して使い勝手がよくなればなるほど、逆のところにもフォーカスされていくから、それはそれでいいのかもしれないですね」
——今でも定期的にDJされているんですか?
「してますよ。地方にも呼んでいただいたり。福島のプロバスケットボールチーム『福島ファイヤーボンズ』の音楽プロデュースをやっていて、10月になるとシーズンがスタートするので、翌年の5月まで2週間に1回DJをしに行きますね。以前、福島で箭内道彦さんがやられてる『風とロックFES』にも呼んでいただいて、バスケットチームの話もそれがきっかけなんです。その後も何度かフェスに呼んでもらったりして。今は道彦さんと2人で、今年の年末に出る『THE BLUE HEARTS(ザ・ブルー・ハーツ)30周年記念アルバム』のプロデュースもしているんです。僕も道彦さんと一緒に、箭内ブラザーズ名義で1曲やるんですよ(笑)」
——箭内ブラザーズですか? これからの活動に期待ですね(笑)。
「同じ苗字だから、本当に兄弟だと思ってる人もいるんですよ。TOKYO No.1 SOUL SETの川辺ヒロシさんも『あれ? 兄弟じゃないの?』とおっしゃっていたり。誤解している人はきっとたくさんいますね(笑)」
– Release Information –
アーティスト:
HIKARU meets KENICHI YANAI
タイトル:
Easy Listening?
レーベル:
SMR
発売日:
2015年7月8日
価格:
2,300円(税別)