投稿日 : 2015.08.10 更新日 : 2020.11.16
【カマシ・ワシントン/インタビュー】LAのジャズ遺産とヒップホップをつなぐ、話題のサックス奏者を直撃
取材・文/バルーチャ・ハシム、原雅明 写真/バルーチャ・ハシム 構成/原雅明
——最新アルバム『The Epic』には、スピリチュアルなジャズの要素もあれば、ストレート・アヘッドなジャズ、アフロ・ジャズ、あるいはソウル、R&Bの要素もあります。これらを見事に、ひとつのアルバムにまとめ上げていますね。
このアルバムに含まれてる音楽的要素は、すべて俺の一部なんだ。俺たちのありのままの姿を表現した結果で、吸収してきたさまざまな音楽スタイルとメンバーの個性が、このサウンドを作りあげている。過去は未来を作り、未来は過去によって生み出されるんだ。
〈Brainfeeder〉からアルバムを出すことが決まったとき、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンのメンバーと一緒に1か月とじこもってレコーディングすることにした。毎日レコーディングしたから、45曲も出来上がったよ。で、このレコーディングと同時に、アルバムの方向性を決定づける夢を見たんだ。
——夢というのは、リリース・コンサートであなたが語っていたアルバムのコンセプトとなった物語?
そうなんだ。その45曲をフライング・ロータスに聴かせたら「そこからアルバムに使う曲を決めたら教えて」と言われて。それで17曲選んで、アルバムに仕上げるつもりだったけど、ストリングスとコーラスを追加したくなった。で、まずは “Change of the Guard”という曲の、ストリングス・パートを作曲したんだよ。何度も何度も曲を聴き返しながらね。
すると、そのあとに夢を見たんだ。門を守るゲートキーパー(門番)の夢だ。山の頂上に門にあって、門番がそれを守ってるんだ。門番には家族もいなくて、ひたすら門を見張っている。その山の麓には村があって、村人の中には門番を倒すために修行をしている連中がいるんだ。何人かの若い修行者が門番と戦うためにやってきて、彼(門番)は一人の村人に倒されるんだけど、彼はそれが夢だったということに気づくんだ。
すごく不思議な夢だったけど、また次の日も同じ夢を見た。その記憶が明確に残ってたから、ストーリーを事細かに書き留めたんだ。そこからさらに、他の曲にまつわる夢も見るようになった。こうして壮大なストーリーが生まれたんだよ。結局、俺はストーリーを書き留めることに夢中になって、ストリングスのアレンジメントが二の次になっちゃったんだ(笑)。
ストリングスのレコーディングとアルバムのミックスが終わった頃には、長編の壮大なストーリーができあがっていた。そこで、これはひとつの作品にすべきだと思ったんだ。フライング・ロータスにまたアルバムを聴かせたときに、俺は彼に、このアルバムは3枚組にして、ストーリーを伝えたいと説明したんだ。彼は笑ってたけど、17曲を聴いたときに、それを短くできないと納得してくれた。そのままの形でリリースしようということになったんだ。
——リリース・コンサートでは、何十人ものプレイヤーが一緒にステージに立っていましたが、このコンセプトは?
アルバム・レコーディングの状況をコンサートで再現したかったんだ。ステージに立ったミュージシャンのほとんどはアルバムに参加した人だった。35人をコントロールするのは難しかったけど、素晴らしいライブで感慨深かったし、とてもパワフルだった。バンドではいつも即興で新しいものを作り出しているけど、ストリングスとコーラスでそれをやったのは初めてだった。ミゲルが、マーカーボードに即興で譜面を書いて演奏させたり、ストリングス奏者が即興で演奏することもあった。または、他の曲の譜面をストリングスに演奏させることもあった。とてもクリエイティブなコンサートだったよ。
——リリース・コンサートにはダディ・ケヴやガスランプ・キラーも出演してましたが、ロサンゼルスのビート・ミュージックからも影響を受けている?
ビート・ミュージックは今のロサンゼルスの音楽シーンで最もインスパイアされる音楽のひとつだね。特にガスランプ・キラーは好きだよ。この間、Low End Theory(注3)に行ったときに、ガスランプのDJセットがすごく良かったよ。あらゆるジャンルをミックスしてるところが好きなんだ。彼は世界中からいろいろなレコードを掘り起こしてるからね。彼をライブでフィーチャーしたのは、そのストーリーを伝えたかったから。例のゲートキーパー(門番)のストーリーを表現しようとしてたんだ。ラス・Gが最初にライブに出演したけど、彼がゲートキーパーを象徴してたし、出演者はそれぞれ、ストーリーの登場人物を象徴してたんだ。
注3:2006年、ロサンゼルスで始まったパーティー。西海岸のビートシーンを牽引する重要イベントとして機能していた。
——あなたのバンド “ザ・ネクスト・ステップ”について教えてください。
昔から一緒に演奏してた仲間の10人がザ・ネクスト・ステップとして演奏してるけど、実際は15人から20人のミュージシャンが昔から一緒に演奏しながら育った。その仲間と、あるクラブでライブをやったときにザ・ネクスト・ステップが誕生した。一緒に育ったミュージシャンが作る音楽が素晴らしいと信じているし、俺たちが作った音楽を無駄にしちゃいけないと思うんだ。俺の父やその仲間を見ていて、素晴らしい音楽を作ったのに、世の中に発表されないものがほとんどだったから、それを繰り返したくなかった。
俺は仲間のミュージシャンに「自分たちの音楽を発表して次のレベルに進まないといけない」といつも言ってるんだ。サンダーキャットのアルバムがリリースされて注目されたときに、俺はそうなると予測してた。彼がデビューして話題になったとき、俺は20年前から彼がそういう演奏をしているのを見ていたから、不思議だったよ。ザ・ネクスト・ステップには、“俺たちの才能をもっと高いレベルで世界と分かち合いたい”というメッセージが込められてるんだ。
——ロサンゼルスのジャズ・シーンの特徴を教えてください。そして現在の状況はどうですか?
素晴らしいシーンだと思うよ。ロサンゼルスの音楽シーン全体と溶け込んでるからいいと思うんだ。ロサンゼルスのアフリカ系アメリカ人のジャズ・シーンは、基本的にラマート・パーク(西海岸のハーレムと呼ばれる地区)だけで起きていたんだけど、いまはロサンゼルス中で演奏してるよ。俺たちはLow End Theoryでも演奏したことがあるし、ロック・クラブとか、いろいろな場所で演奏してきた。ロサンゼルスは音楽のるつぼだから、いろいろなタイプの人が聴いてくれるんだ。大きな街だから、それぞれのシーンが隔絶してるように思えるときもあるけど、繋がっていることがわかるんだ。
俺たちより上の世代のジャズ・ミュージシャンとの繋がりもある。ロサンゼルスのジャズ・シーンはお互いにサポートし合ってるんだ。先輩のジャズ・ミュージシャンは、アドバイスしてくれたり、俺たちの成功を喜んでくれるし、同じ過ちを犯さないように指導もしてくれる。俺たちも先輩たちのことを忘れてないし、尊敬してる。俺たちは数々の偉大なミュージシャンを見て育ってきたけど、彼らの多くは脚光を浴びなかった。成功するだけの才能をもっていたのに、世間一般からは評価されなかっただけなんだ。
——ロサンゼルスの先輩ミュージシャンで誰に影響されましたか?
ホレス・タプスコット、ジェラルド・ウィルソン、アーサー・ブライスなどには影響されたよ。彼らは有名だったけど、その功績を考えれば、もっと有名になってもよかったと思う。ホレス・タプスコットと演奏できる前に彼は亡くなったけど、子供の頃に彼の演奏をよく見た。彼が亡くなってからも、彼が作り上げたパン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラは続いたんだ。俺もそのメンバーとして演奏したことがあるよ。
——ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』への参加の経緯は?
テラス・マーティンに俺のアルバムを聴かせたら「ケンドリック・ラマーのアルバムに参加させたい」と言ったんだよ。もともと、俺はケンドリックのアルバムの最後の曲 “Mortal Man” で演奏することになってたんだけどね。あの曲で、ケンドリックは2パックをインタビューしてるんだ。あのトラックを聴かせてもらったとき、2パックの声も入っていて衝撃を受けたよ。彼らから、曲の意味を教えてもらったんだけど、そのときにアルバム全体を3、4回聴かせてもらったんだ。
そうやって曲を聴かせてもらってるうちに「他にも演奏してほしい曲がある」って話になって、3、4曲に参加することになったんだ。テラス・マーティンはケンドリックのアルバムにプロデューサーとして参加してるけど、素晴らしいサックス奏者でもある。テラスもマルチスクール・ジャズ・バンドのメンバーだったし、ザ・ウェスト・コースト・ゲット・ダウンのメンバーでもあるんだ。俺は彼と育ったんだ。テラスの新作アルバム『Velvet Portraits』(※2015年末にリリース予定)にも俺は参加しているよ。