クラシックからテクノまでを操る若手ピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。彼は1981年、ルクセンブルクに生まれ、1998年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学して修士学位を取得。2004年には2年に1回フランスで開かれる現代音楽のコンクール「オルレアン20世紀音楽国際ピアノ・コンクール」で優勝を果たす。いっぽうではデトロイト・テクノを代表するカール・クレイグやミニマル・テクノのオリジネーター、モーリッツ・フォン・オズワルドとも共演している。その彼が新しく率いるトリオがカリフェ・シューマッハ・トリスターノだ。 カリフェ・シューマッハ・トリスターノは、ルクセンブルクを代表するヴィブラフォン奏者のパスカル・シューマッハ、レバノン出身のパーカッショニスト、バシャール・カリフェ、そしてフランチェスコ・トリスターノによるもの。「ELBJAZZ FESTIVAL 2015」をはじめ、ヨーロッパ中のフェスティバルやイベント出演で話題となっている。今回12月4日(金)にCAY(東京都港区)で来日公演を前にフランチェスコ・トリスターノに話を聞いた。
——初めてピアノを弾いた時のことを覚えていますか?
「“弾いた”とは言えないかもしれないけど、鍵盤の上を歩いている幼いころの写真があるんだ(笑)。おそらく4、5歳の頃だと思うよ」
——他の楽器への興味はありましたか?
「いつもドラムを叩きたい願望を持っていたけれど、自然とピアノに引き寄せられた。でもピアノも打楽器だと気付いて、鍵盤をパーカッションのように演奏しだしたんだ。あと、管楽器も学びたかったからクラリネットも習っていたよ。僕は幼児期から作曲を始めて即興演奏を志していたよ。パリの音楽大学に通って、その後ニューヨークに留学した。そしてその街ですべてが解明し始めてきた。その頃は僕の成長期でもあり、ニューヨークでエレクトロニック・ミュージックを発見したんだ。あらゆる音楽に遭遇してきたけど、僕にとって最重要な音楽ジャンルのひとつであり、自身の音楽的見解を目覚めさせてくれたスタイルだよ」
——その前にエレクトロニック・ミュージックに興味はなかったのでしょうか?
「15歳くらいの頃に1970年代と1980年代のエレクトロニック・ミュージックも含めてあらゆる音楽を聴いていたけれど、デトロイト・テクノには触れていなかった。おそらくその種の音楽を聴くには、まだ幼すぎたのかもしれないね。しかしニューヨークに留学した頃に、エレクトロニック、ダンス・ミュージックへ完全なる転換を成し遂げたよ」
——ニューヨークのクラブで、その音楽に出会ったのでしょうか?
「出会い自体はニューヨークに行く前に住んでいたパリだね。ある夜、DJとミュージシャンがライブ・セッションを繰り広げていたイベントに行ったんだけど、そのセッションがこの音楽カルチャーに目覚めたきっかけだね。アメリカのクラブには21歳未満の入場規制があるから、僕は当時入れなかった。でも唯一、酒類販売許可証を所得していないVINYLってクラブがあったんだ。このクラブでは毎週金曜日にダニー・テナグリアがレジデントDJを務めていたパーティー『Be Yourself』をやっていて、当時18歳だったけど通い始めたんだ。1999、2000年の頃、ダニー・テナグリアはデトロイト・テクノやソウルフルなスタイルとか、いろいろなトラックをプレイしていた。彼のプレイを聴きに行った後、何がかかっていたのかをレコード屋に行き探すのが、すごく楽しかったんだ」
——あなたはDJもするのでしょうか?
「今はDJもしないし、長い間レコードを買っていないね。最近XLR8R誌のポッドキャスト用にDJミックスを録ったくらいだよ。ターンテーブル、DJ機材を持っているけど、僕がメインにおこなうべきは、ステージに立ちライブをすること。素晴らしいDJは多くいるし、僕はライブをする方が好きだから、それに集中しているよ」
——さまざまな音楽ジャンルを演奏していますよね? 大変ではありませんか?
「僕にとって音楽は普遍だから困難ではないんだ。どの音楽スタイルにもリズム、ハーモニー、メロディーとか同じ要素が含まれているからね。僕のファンはピアノ・リサイタルにも来てくれたり、クラブでのライブにも来てくれたりもする。それがすごくクールだと思っているよ」
——その傾向はヨーロッパでのことなのでしょうか?
「どこにで言えるね、日本でも同じだよ。ファンの多くは、僕の非クラシカルなコンサート・スケジュールを公表するのも待ち遠しくしてくれている。なぜなら彼らは僕がどの形態でも演奏しようが気にせず、行きたい意欲を持ってくれている。僕がいろいろなことをすることで混乱しているファンもいると思う。でもファンを混乱させることはいいと思うんだ。いつもファンを安心させたくないよ。“安心させる”のか“混乱させる”のか選択しなければならないなら、“混乱させる”を選ぶよ」
——カリフェ・シューマッハ・トリスターノがどのように結成されたのかを教えて下さい。
「パスカルと僕は、お互いに長年の付き合いで、ルクセンブルクのコンセンヴァトワールでともに育ったんだ。以前から僕らは、いろいろなところで公演をおこなっていた。ある時、このプロジェクトにもう一人入れようと思い、バシャールに加入してほしいと思いついたんだ。この3人によるピアノ、パーカッション、ヴィブラフォンの組み合わせで、独特の音色を放つことを僕らは目指したんだ。しかし、このトリオの活動は開始した頃には、特別なものだった。1年に100公演も演奏するようなことはしたくはなかったんだ。条件が良い公演を選びステージに立つ。そして楽しみたかった。結果的に『Afrodiziak』(2015年)のアルバムをレコーディングし発表したことを境に多くのライブをやり始めた。3人での共演自体少ないから演奏する時はすごくスペシャルなものになるんだ」
——最後にいつ演奏しましたか?
「先月、ポルトガルとドイツでライブを行なったよ。今年は15から20公演くらいやったかな」
——カリフェ・シューマッハ・トリスターノは、ジャズとエレクトロニック・ミュージックを融合させるのが目的なのですか? それともまったく新しい音楽を創造しようとしているのでしょうか?
「このプロジェクトは、使用されている楽器が放つ音色にすごく決定づけられていると思う。僕らは単にジャズだけ、ワールド・ミュージックだけ、エレクトロニック・ミュージックだけのグループとしての活動を控えている。そのジャンルの要素を含みつつ、またそれ以上を披露する、真に多文化が混合しているグループなんだ。ヴィブラフォン奏者のパスカルの音楽言語はジャズに感化されている。僕はエレクトリックに感化されたミニマルでループっぽいグルーヴィーな演奏をシンセでする。パーカッションのバシャールはレバノン出身だから、少なからず中近東の感覚を提示しているし、彼はこのトリオを統合するリズム・マシーンなんだ。ライブの構造はいつも即興的に演奏しているよ。自由奔放に演奏する方が好きなんだ。その瞬間を僕らがどう感じているかによるし、常にお互いを刺激し合い、驚かせようと心がけている。公演ごとにまったく違うパフォーマンスになるんだ。僕らは特定な提案をこのプロジェクトに注入しようとしていない。一人一人個々に、そしてグループとして、僕らは力を合わせて音楽を創造している。僕らが演奏している音楽は、言葉では言い表せられない。でも聴けば音色が独特だとわかるよ」
——カリフェ・シューマッハ・トリスターノとして初の日本公演では何を期待していますか?
「じつは、みんなが何を思おうと気にならない。必ずみんなは楽しむと思っているから。僕らがどんな演奏を披露するかは、その場の状況で決めていく。観客とコミュニケーションを取ることによって決まってくるから、もし観客が生き生きとした反応をみせてくれたら、エネルギッシュな演奏になると思う。固唾を呑んで観られていたら緊張感を保った演奏をすると思う。みんなが発するヴァイブに乗り、僕らは演奏するよ」