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NYの最重要ジャズクラブ「Smalls」創業者が語った “ハーレム復興の野望”

Smalls

ニューヨーク・マンハッタンの西部、グリニッチ・ヴィレッジの一角にあるジャズクラブ=スモールズ(Smalls)。1994年にオープンしたこの店は、カート・ローゼンウィンケルやロバート・グラスパーなど、現在のジャズ界を賑わす数々のミュージシャンが名もなき時代を過ごした場所だ。そんな“名店”スモールズの創業者、ミッチ・ボーデンは言う。

「この街はミュージシャンの数もレベルも圧倒的。外国人だけでなくアメリカのジャズマンにとっても、ニューヨークは憧れの地です。ヨーロッパやアジアなど、自国で成功したミュージシャンでさえ本場ニューヨークで腕を磨きたいという人は後を絶たない。たとえ生活が苦しくても、高いレベルに身を置ける。それがこの街の魅力なのでしょう」

そんな世界的なジャズの中心地で、スモールズは「最重要クラブのひとつ」との呼び声も高い。とは言え、その名のとおり“小さな”お店。お世辞にも“綺麗なお店”とは言い難いし、他の老舗ジャズクラブと比べて歴史も浅い。そんな店が、どうしてNYジャズの重要拠点になり得たのか。いかにして有能ジャズマンたちの心を掴み、耳の肥えたオーディエンスを惹きつけてきたのか。創業者のミッチ・ボーデン氏と、奥様の理恵さんが語ってくれた。

「子供の頃のNY」を取り戻すために

——まずは、スモールズを開店した当時のことを教えてください。どんな経緯で創業したのでしょうか?

ミッチ 私はニュージャージー(ニューヨークの隣州)生まれで、子供の頃からニューヨークのいろんなショーを観てきた。その頃はチケット代も安かったからね。その後、カリフォルニアに移住して90年代前半にニューヨークに戻ってきたんだけど、ファット・チューズデイ(注1)というジャズクラブに行った際、その価格の高さに驚いたんだ。それで「こんなのはおかしい。子供の頃のようなジャズクラブを復興させたい」と強く思った。それが、スモールズ創業のきっかけ。

注1:Fat Tuesday/グリニッチ・ヴィレッジのジャズ・クラブ。過去にはディジー・ガレスピー、ロン・カーター、ビル・エヴァンスなど多くのジャズマンが出演。現在は閉店。

——開店(1994年)当時のスモールズはどんな様子だったんですか。

ミッチ はじめの頃は、いまよりもっと薄汚れた雰囲気だったね。当時は酒類販売の許可もない状態だったけど、誰でも10ドル/10時間でジャズを楽しめる場所としてスタートした。フリーフードを出して、みんなでセッションしたりね。そんな場を提供していたんだ。

同時に、若くて生活が苦しいミュージシャンもケアしていた。そしたら15人くらい住みついてしまって(笑) まるで家族のようだったよ。最初の2~3年はマイナス続きだったけど、出演者のギャラはしっかり払った。こうした活動を続けるうちに、徐々に信頼を集め、人も集まってきた感じかな。

理恵 ミッチは彼らの食事や健康を心配をしたり、お父さんのような存在でもあったんですよ。

——有名ミュージシャンも大勢いたとか。

理恵 いまでは有名になったブラッド・メルドーや、ジュリアン・ラージ。最近亡くなったローレンス・レザーズ。あと、ロバート・グラスパーなんかもよく出入りしていましたね。カート・ローゼンウィンケルは、ミッチをすごく慕っていて「Hommage A Mitch(ミッチに捧ぐ)」という曲まで書いてくれたんですよ。

——そんな有名人たちが…。

理恵 そもそもスモールズに出演する人たちは、ニューヨークでも一目置かれるようなプレーヤーです。いまでも「Late Night(夜の部)」のラインナップを見れば、誰がニューヨークで注目されているかが分かる。スモールズで演奏すれば、彼らのステータスにもなるし、他のクラブで演奏する機会も増えます。そういったステップアップの場でもあるんです。

——出演者は、どんな基準で選んでいたのですか?

理恵 才能があるのにチャンスに恵まれない若いミュージシャンです。例えば、ブルーノートやバードランドのような老舗は、知名度がないと出演できませんが、スモールズでは無名ミュージシャンにもチャンスがあって、同時に、彼らの育成の場所でもあるんです。

——出演料は?

理恵 出演料はだいたい1万円前後。大きな額ではないですが、スモールズで演奏することで他のクラブへのアピールにもなるし、メリットは大きい。最近はライブのストリーミング配信もしていますからね。

3店で朝までセッション! ファンと演者の社交場に

数ある“ニューヨークのジャズ箱”のなかで、スモールズが傑出する理由がなんとなくわかってきた。まずは、オーナーはじめスタッフの「音楽に対する情熱」。さらに、“目利き”とでもいうべき「若手ミュージシャンの才覚を見抜く能力」と、彼らに対する「面倒見の良さ」。そして、彼らのパフォーマンスを存分に引き出すための「環境づくり」だ。

こうした環境づくりは、スモールズと意を同じくする他店でも展開され、相乗効果を生んでいる。たとえば近隣にある姉妹店、メッツロウ(Mezzrow)だ。

ミッチ メッツロウは、ピアノ・トリオやデュオなどにフォーカスした店で、ピアノバーみたいな雰囲気。このコンセプトは、相方のスパイク・ウィルナー(スモールズの現マネージャー)の発案で、いまはなきブラッドリーズ(注2)みたいなピアノバーを作りたいと。ちなみに店名はメズ・メッツロウ(注3)が由来。

注2:Bradley’s/ピアノとベースのデュオを基本としたグリニッチ・ビレッジのジャズクラブ。1996年に閉店。
注3:シカゴ出身のクラリネット/サックス奏者(1899年〜1972年)。

——ほかにも系列店はありますか?

理恵 ファット・キャット・ビリヤーズ(Fat Cat Billiards)というお店があります。場所はスモールズやメッツロウの1ブロック先。ここは、お酒とビリヤードを楽しみながら音楽が聴けるホールになっています。

——近隣に3店舗あることで、相乗効果も?

理恵 そうですね。3店舗でそれぞれ朝までジャム・セッションがおこなわれているので、エリア自体がミュージシャンたちの社交場になっている感じ。キャリアも年齢も関係なく、いろんなミュージシャンが集まってきます。ロイ・ハーグローヴのような有名人でさえ参加していたくらいですから。

——創業からおよそ25年を経た現在、ニューヨークのジャズシーンに変化を感じますか?

ミッチ 若手は頑張っているし、シーンはどんどん面白くなっているよ。彼らはロックやヒップホップなどの影響も受けていて、昔のミュージシャンたちにはない洞察を持っている。

——そうした状況を受けて、現在のスモールズはどんな役割を担っていると思う?

ミッチ スモールズではベテランも出演して、昔ながらのスタイルの演奏も行われるけど、それだけでは音楽は発展しないと思う。若手が新しい音楽を披露できて、オーディエンスもそれを発見できる。そういった実験と発見の場を提供することもスモールズの重要な役割だと思っているよ。

理恵 それに加えて、コミュニティ全体も若手をサポートしています。ニューヨークは若手とベテランが交わるチャンスの多い街だし、そもそもジャズ自体、こうした背景から発展してきた歴史があります。それは昔も今も変わらないですよね。

ジャム主体のジャズ・スクールが生まれる!?

創業から25年。スモールズのオーナーを務めたミッチ氏は、今年で引退を決意した。そして現在、彼は理恵さんとともに「ミュージシャン育成のための教育プログラム」を発足するために奔走している。もちろん、そこにはスモールズで培ったノウハウを反映させるつもりだ。

ミッチ いま活躍している(ジャズ)ミュージシャンのほとんどは、学校で専門的な教育を受けているよね。その一方で、独学のプレーヤーもいる。そういった人たちが「教育面で足りていないものは何か」を、25年のクラブ経営の中でずっと考えていたんだ。それで、スモールズが長年取り組んできた“ジャム・セッション”にフォーカスした学校を作りたいと考えた。

——いわば「現場実践型」の教育プログラムみたいなもの?

ミッチ ずっと昔、伝説的なジャズマンたちが活躍した時代は、誰もが教育を受けられたわけじゃなかった。その頃の若手たちは、ジャム・セッションの場でベテランの技を見て、聴いて、一緒に演奏しながら、何かを掴み取った。ジャム・セッションは貴重な学びの場として機能していたんだ。

そういったジャム・セッションの環境づくりは、我々の得意分野だし、書物から理論を学ぶのではなく、ミュージシャン同士が実践プレーで学び合うような場所を、若い世代に提供してあげたい。スモールズがそうであったように、このスクールも既存の学校とは違うユニークなものにしたいんだ。

——そのプログラムは、いまどんな段階で進んでいるのですか?

理恵 セッション・スペースが併設された学校にしたいので、そういった物件を探しています。いま見ているのはハーレム地区なんですが、ここはミュージシャンもたくさん住んでいるので都合がいい。

——ハーレムは「ジャズの中心地」だった場所ですね。

理恵 現在は昔ほどの活気はないですが、また復興させたいんです。この辺りに住む、人種的マイノリティの子供たちに、音楽教育の場を提供したいという想いもあります。これらを実現するにはハーレムがいちばん理想的なんです。

——そうした教育プログラムには、行政(ニューヨーク市)側から支援も得られるのですか?

理恵 もちろん、このプログラムに興味を示す政治家もいて、一緒に話を進めています。物件を確保するには億単位のお金が動く話になってしまいますから、そうした方たちの支援は不可欠です。話がうまく進めば、無料で教育を提供することも可能になります。

——ぜひ実現してほしいです。そのプログラムの実行も踏まえて、たとえば10年後のニューヨークのジャズシーンは、どうなっていると思いますか?

ミッチ すでに現在、特に黒人の若者たちは、自分のルーツであるジャズに対して非常に強く惹きつけられている。それはプレーヤーやバンドの数を見ても明らかで、今後もその状況は続くと思うよ。

理恵 聴いたことのないリズムやフレーバー、インターナショナルな影響を受けた新しいジャズも生まれています。ヒップホップを取り込んだサウンドも、ロイ・ハーグローヴが発端となった時代よりも、さらに盛んになっている印象を受けます。いまの20代が30代になったとき、どんな音楽を作っているか想像もつかない。面白い何かが生まれる雰囲気をひしひしと感じています。

理恵さんとミッチ・ボーデンさん。結婚した2012年に撮影。

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