投稿日 : 2017.02.28 更新日 : 2020.09.05
【メガプテラス】5人の精鋭による強力ユニット ついにデビュー作を発表
取材・文/楠元伸哉 撮影/藤森勇気
「僕ら、飲み会からスタートしたバンドですから……」。ステージ上の黒田卓也が自嘲気味に語り、客を沸かせる。
この日、メガプテラスの5人はデビューアルバム『フル・スロットル』が完成して初めてのステージに立っていた。メンバーは、黒田卓也(tp)、西口明宏(ts,ss)、宮川純(p,key)、中林薫平(b)、柴田亮(ds)。
デビューと言っても “手練れ”の5人によるプロジェクト。ステージ上の彼らのプレイに、微塵の拙劣さもない。そんな最高のライブが始まる直前、このインタビューはおこなわれた。
——まずは、このプロジェクトの発端を教えてください。
西口 スタートしたのは2011年。僕と黒田さんのリーダーバンドみたいな感じで始まったんですけど、まあ、年に2回くらい集まってやる程度で。
——黒田さんはその頃からニューヨーク暮らしですよね。
黒田 そうですね。だから、正月とか夏に集まるんですよ。メンバーはみんな関西出身なので、帰省のついでに会う感じでした。
西口 それで、4年前くらいかな……「これは名前つけた方がええんちゃうか?」ってなって。メガプテラスになりました。
——「名前をつけた方がいい」っていうのは、つまり「グループとしての方向性が見えた」ってことですか?
黒田 はい。その時はまだ“なんとなく”ですけどね。
——そもそも、黒田さんと西口さんと中林さんは、古くからの知り合いだったわけですよね。
黒田 そうです。もう25年くらいの付き合いですかね。僕だけひとつ先輩ですけど、中学も高校も同じなので。そのあと僕はニューヨーク(ニュースクール大学)に行って、西口はボストン(バークリー音楽大学)だったので、向こうでもたまに会ってましたよ。
——そんな西口さんがバークリー時代にドラムの柴田さんと出会って、柴田さんの紹介でキーボードの宮川さんが合流した、と。
柴田 そうですね。そんな流れで5人が集まったんですけど、この二人(黒田と西口)のことはね、僕は昔から知ってましたよ。何しろ関西のローカルシーンで、デカい顔してましたから。
西口 お前の方がデカい顔してたわ。
黒田 めちゃめちゃデカかったよオマエ。
柴田 うるさいわ。黙れ!
——はい、ちょっといいですかー! インタビュー開始2分で喧嘩って(笑)どういうことですか!? えーと、つまり十代の頃からお互いの存在だけは知ってた、と。
黒田 はい。でも、純(宮川)だけ知らなかった。彼は名古屋だったので。のちに柴やん(柴田)に紹介してもらって、そのときが初めてですね。ちょうど、グループとしてのビジョンがようやく見えはじめた頃だったかな。僕ら4人で酒飲んでて「これはいよいよキーボードが必要や」って話になった。で、柴やんが「気になる男がいる」って言い出して。そこで純の名前が挙がった。
——柴田さんはそのとき、なぜ「宮川純が必要だ」と感じたんですか?
柴田 全部の条件を満たしてたから。
——条件とは?
柴田 まず、彼が素晴らしいプレーヤーだということ。それから“フレッシュな人材”であったこと。あと、人間的にもね、僕らのこの、どうしようもない“濃い関西のノリ”をわかってくれる人がよくて。しかも、名古屋だから距離も近いな(笑)と。
——宮川さんは、この話が来た時はどう思いました?
宮川 嬉しかったです。僕も名古屋にいながら関西でもよくプレイしてたので、西口さんや黒田さんの存在も知っていたし。そんな西口さんがアメリカから帰ってきた、って話も人づてに聞いていて。たしか、そのタイミングでメガプテラスの話が本格的に動き始めたんですよね。
西口 うん、そうだった。
宮川 しかも、ちょうど卓也さんが最初のアルバム『Bitter and High』を出したタイミングでもあって。それを聴いてもいたので、会ったことはなかったけど、とにかく「薫平さんと西口さんと卓也さんは、すごい人たち」っていう認識が最初からあった。
柴田 最初に会ったのは八ヶ岳のジャズフェスだったかな。
宮川 そうですね。そのときは違うバンドで出演していて。
柴田 そのときが事実上の顔合わせみたいな感じで。「そうか、キミが宮川くんか」と。
西口 なんでそんな偉そうやねん。
柴田 別に偉そうちゃうわ。
——はいそこ、喧嘩しないでくださいねー。