投稿日 : 2017.04.26 更新日 : 2019.02.12

【マイルス・エレクトリック・バンド】マイルス・デイヴィス門下生たちが語った…知られざるマイルス伝説

撮影/Masanori Naruse 小泉 健悟

バスケの試合会場に行った理由

小川 ダリルは? マイルスから何を受け取った?

ダリル 俺は「聴く」ことを学んだね。マイルスと一緒にやり始めて3、4か月くらい経った頃、シンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」を覚えろって言われたんだ。俺は「マジかよ、マイルスは俺たちにポップソングをプレイさせる気なんだ……」って動揺したんだけど(笑)、リハーサルをはじめたとき、彼がメロディを口ずさみながら「この部分を弾き続けろ」って。それからまた別のメロを口ずさんで「この部分になったら一気に盛り上げるぞ」って言うんだ。それに対して俺は「16小節でいくべき? 32小節でいくべき?」って訊いたんだ。すると、知るかテメェーこのボケが!って勢いで「俺が盛り上げたらお前も盛り上げればいい。それだけだ」って。俺は若かったし「そ、そ、そうか、わかったよ……」って、シュンとしちゃってな(笑)。で、それ以来、彼の意図を感じながらついていく、とでも言うのかな。ステージで彼が演奏しながら行ったり来たりしてるのを見ながら「やるべきこと」に備えた。聴いている以上のことをしたのさ。彼の向かおうとしている場所を察知し、彼の意図を理解するためにな。この感覚は、俺の音楽キャリアで経験した全ての状況で役立っている。もしその方法を学んでなかったら、今のように成功はしていなかったと思うよ。よく自分の生徒に言ってるよ。「ここには俺よりも優れたミュージシャンがいるかもしれない。でも俺ほど“聴く”ことができる奴はいないはずだ」って。

ヴィンス 俺はやっぱり状況が違うよな。彼の甥であるわけだから。いつも彼を喜ばそうと頑張っていたし、そうしなきゃという思いに苛まれていたことは事実だ。彼はドラマーには厳しかったとは言いたくないけど……。

ダリル いや、厳しかったよ。ものすごく。マイルスはお前だけじゃなくて、トニー(ウィリアムス)にも同じだったし、アル・フォスターや、リッキー・ウェルマンにも厳しかった。まるで彼自身が“叩かないドラマー”みたいだったな。プレイしながら盛り上がってくると、マイルスは「俺の頭に流れているチューンをやれるか試してみよう」ってモードになるんだ。当然、うまくいかないこともあるんだよ。

ロバート 彼はある程度、俺たちを拘束していた部分もあって、実際に痛めつけられたこともあった。かなり厳しく「自分自身の伴奏をするな」とか「バンドは即興するな」とか。ブルースをやるときに「オクタトニック・スケールはプレイするな」って言われたこともあるよ。ブルースでその音を使わないってのはありえないんだよ。でも「他の方法を考えろ」って。制限を与えることで音を作っていったんだ。ただし、ドラムの場合は、ドラマーに制限を与えすぎると問題が発生する。ドラマー全員が不満を言ってたよ(笑)。以前、マイルスがTVのインタビュー番組『60 Minutes』で、こう訊かれたんだ。「レイカーズ(バスケ)の試合会場でよく見かけるけど、ファンなんですか?」って。するとマイルスはこう答えた。「ゲームを観に来てるんじゃない。リズムを聴きに来てる」。彼はどんなものにも常にリズムを感じていた。それをそのままドラマーに再現させようとしたんだ。アル・フォスターがイタリアのポンペイでのショーで、いきなり叩くのをやめた日があった。

ダリル ああ。あの夜のことは覚えてるよ。

ヴィンス プレイするのをやめて、ただドラムセットに座り込んでた。マイルスにいちいち指示されるのにウンザリしたんだ(笑)。観客は1万人ぐらいか? みんな茫然としてたよ。ステージがシーンとなって、マイルスが言った。「アル、頼むよ」って(笑)。

一同 (爆笑)

ヴィンス あれ以来、アルには必ずソロの時間が与えられることになった(笑)。マイルス自体が常に欲求不満のドラマーみたいなもんだったよ。

伝承者たちに課せられた責務

小川 マイルスは叔父としてはどんな存在でしたか?

ヴィンス 俺にとって? とても過保護だったよ。甥としてはすごく大切にしてもらった。それは間違いない。マイルスと一緒にしたことやバンドでの経験は、いま俺がやっていることの準備期間だったと思っている。彼から言われたんだ。「俺がこの世を去ったら、甥のお前が引き継ぐんだ」って。だからいま、それをやってる。しかも、ひとりじゃないんだ。このブラザーたちと一緒にやってる。俺は一人っ子だから、このふたりが俺にとっては兄弟なんだ。マイルスは今でも俺たちのそばにいる。このふたりと一緒にいると、マイルスの存在を感じるんだ。感じ過ぎて眠れない時もある。特にツアーでマイルスの曲を演奏するってときは、彼の存在を感じるのさ。「おまえ、やっとわかってくれたんだな」って言ってる気がするよ。ダリルに教えたこと、ボビーに教えたこと、3人一緒にちゃんとわかってやってる、って。俺たちはいまでも、マイルスと初めてプレイした時と同じような感覚のままさ。俺たちの中には熱いものが残ってる。メンバーの中にはマイルスが生きていた時代にまだ生まれてない者もたくさんいる。それでも一緒にやれるということは、俺たちがやってることは間違いないってことさ。いまは一緒にやってないメンバーもいるが、いまでも連中のことを俺は大好きだし、彼らも俺を慕ってくれてる。ダリルだってそうさ。いまは一緒にやってなくても、みんなと連絡を取り合ってる。ゲイリー・バーツも俺たちとプレイしたがってたんだぜ。

ダリル ゲイリーはサンフランシスコに引っ越して、先週サンフランシスコでプレイしたときに会ったよ。みんな一緒にプレイしたいと言ってくれるんだけど、タイミング、スケジュールがなかなか合わなくてね。エディ・ヘンダーソンもそうだし、テレンス・ブランチャードもそう。これまでたくさんの人たちに連絡したけど、みんな一緒にやりたいって言ってくれた。それもクールだよね。

小川 ところで、映画『Miles Ahead』(ヴィンスがエグゼクティヴ・プロデューサーを務める)が公開されましたよね。お二人も観ていると思いますが、感想を教えてください。

ヴィンス おいダリル、言ってやれよ(笑)。

ダリル いいのか?(笑) これは俺の個人的な意見だが、あの映画は、誰もが納得いくように完成させるのは不可能だと思うよ。マイルスは本当に不思議な人物だったから、そもそも「彼のような人を、俳優が演じるなんて」って思ってたんだ。そういう意味では、ドン・チードルの演技には本当に感銘を受けたよ。彼は本当に素晴らしい俳優だと思う。

ロバート 俺にとっては、写実的ではなく印象的に描かれたものだと思っている。つまり、観念的な本質を感じ取ることができても、鮮明な現実を観ることはできない。だからまず、あの映画は内容のほとんどは脚色されているってことを明確にしておきたい。それを理解して受け入れることができれば、楽しむことができる。でも実際に起こったことがありのままに表現されているシーンはフラッシュバックのように頭に甦ったよ。例えば冒頭のシーン。最初の30分は、俺たちが実際にいたときのことだ。あのシーンを観ていて「あぁ、覚えてる」と過去に戻った感覚だった。ただ、やっぱり現実的ではなかったよ。

小川 彼らのコメントを聞いてどうですか?

ヴィンス 俺も正直、脚本を読んで、ちょっと待ってくれよ、って思うところもあったわけさ。ドン、マジかよ!? って(笑)。マイルスをマーケティングする奴が現れて、マイルスを部屋に缶詰にするなんて、そんなことができる奴はいないからね。でも、俺自身がドンと会って、ドンを選んで、ドンに演じてもらいたいと思ったんだ。脚本に関しては、完成させるまでにいくつかの障害があることは予想できていた。家族の中に、意見する人もいるだろうということも。でも、俺個人としては、成功した作品だと思っている。ドンがこの作品のために自分自身を注ぎ込んだことに、本当に感銘を受けているんだ。監督デビューな上に、マイルスを演じるんだぜ。元々はアントワーン・フークアが監督で、スコアはハービー(ハンコック)で、ドンが演じることになってたんだ。

小川 途中で制作プランが変わった?

ヴィンス いろいろ調整がつかなかったり、バジェットの問題もあったからね。だから、ドンが脚本も書いて、あれもこれもやって……。それで、俺がドンをサポートしなきゃと思ったのさ。正直に言って、最初の頃のスクリーニング(試写)は見てて辛かったよ。さっきロバートも言ってたように、信じられる部分とそうでない部分がある。つまり、フィクションなわけだ。マイルスのキャリアを1本の映画で許される時間に収めるなんて、所詮は無理な話。だから俺はただ(マイルスの)映画が存在する、それだけで満足なのさ。じつはいま、ドキュメンタリーとして彼の生涯をまとめているんだ。映画でカバーできてない部分をまとめるんだよ。インディ映画で自分で監督できる。そうできるってだけでちゃんと夜眠ることができる。俺は自分がやったことに誇りを持ってる。だってさ、ハリウッドが相手だろ? 映画を作るのは本当に大変なんだ。制作会社に売り込みに行ったときも、思わず退席して「ドン、俺にはできない」って言ったくらいだ。

ダリル あれの4、5倍の長さがなきゃ無理さ。

ヴィンス だよな。続編があるべきなんだ。他にたくさんのミュージシャンから、いろいろな意見を聞いたよ。レニー・ホワイトが連絡してきて「あれ一体どうなってるんだよ」とかな(笑)。でも俺に言えるのは「これは映画だから」ってことだけだ。まぁ、俺はあの映画のエグゼクティヴ・プロデューサーだからさ。すっごく気に入ってるよ。映画は映画だ。

小川 ドキュメンタリーでなくて。脚色された部分もあるわけで。

ヴィンス そう。エンターテイメントだから。あれとは別に、ちゃんとしたドキュメンタリーを出そう。それだけだ。

小川 いまでもたくさんの人たちがマイルス・デイヴィスと彼の音楽を愛していますからね。それがいちばん重要なこと。

ヴィンス その通りだ。例えばあの音楽(サントラ)は、マイルスのものに間違いない。それがグラミー賞を獲ったんだ。最高だよ。彼の音楽がいまでも人の心に響くということがわかったわけだから、素晴らしいよね。彼が亡くなったのが91年だから、もう28年? それでも愛され続けている。それが重要なことなんだ。そして俺たちはそれぞれ別のバンドにいたり、違う仕事をやっていたとしても、こうして腹を割って話ができる。俺たちは永遠にマイルスで繋がってるんだ。

ダリル そのことを誇りに思ってるぜ。

ロバート ああ。俺も同じ気持ちだ。

ヴィンス 俺たちは“マイルス・デイヴィス学校”の卒業生だからな。そのことは本当に誇りに思うよ。

協力:ビルボードライブ東京 http://www.billboard-live.com/

 

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