ヴィブラフォンの奏法みならず、近代ジャズを刷新し続けてきたリヴィング・レジェンド、ゲイリー・バートンのインタビュー。
引退を前に、これまでのキャリアを振り返ったインタビュー前編に引き続き、後編は“最後の日本ツアー”のテーマでもある「デュオ」という、彼の代名詞的フォーマットに対する持論。そして、引退の花道を飾る“デュオの相方”小曽根真との交流について。
最初は乗り気じゃなかった?
デュオ・プロジェクト裏話
——それまでほとんど誰も手を付けていなかったデュオというフォーマットにあなたが注目したのはなぜだったのですか?
「きっかけはドイツのフェスティバルでした。『クリスタル・サイレンス』(1972年11月収録)を制作する少し前に出演したフェスで、主催側と『なにをしようか?』と話し合っているうちに、話の流れで『チック・コリアと2人だけで演奏するのはどうだろう』というアイデアが持ち上がったのです。やってみるとオーディエンスにとても好評で、チックが当時所属していたレコード会社(ECM)の関係者から『デュオとして作品を残すべきだ』と提案されたのです。じつは、私自身はデュオというフォーマットにぜんぜん乗り気じゃなくて、そのプログラムも成功するのか半信半疑だったんですよ(笑)。ましてやアルバムとして残すなんて考えられなかったので気が進まなかったのですが、周囲に説得され、ジャズ・フェスの2~3か月後にレコーディングが決まったんです。まさかその作品も評価されるなんて思ってもいませんでしたが、発売するとすぐに話題となって、ジャズ界でもデュオが珍しくないフォーマットのひとつになり、チック・コリアと私は現在に至るまでたびたびデュオでプレイすることになった、というわけです」
——『クリスタル・サイレンス』の収録にあたっては、どんなアプローチをしようと考えていたのですか?
「じつは、チックの曲を演奏するという以外、ほとんど何も決めていなかった。だから、まさに“偶然の産物”ですね。ただ、あの日のスタジオでは、2人それぞれのプレイというピースが“在るべき場所”にスッと収まって、カタチになっていく感覚を味わうことができました。その後も彼とデュオをするたびに新たな“化学反応”を起こし続けて、私にあのときと同じような感覚を味わわせてくれます」
——その後、ベースのスティーヴ・スワロウや、ギターのラルフ・タウナーとのデュオにチャレンジしたり、さらにチック・コリアとは何度もデュオを繰り返すことになります。デュオを続けようと思った理由と、繰り返すことができた理由を教えてください。
「デュオという演奏形態は、ほかのフォーマットでは味わえない喜びを私にもたらしてくれます。2人という最少人数の組み合わせは、より直接的な音楽的コミュニケーションをとることができるのです。人数が多いセッションでは、そこから生まれる音楽的な経験をプレイヤーの頭数で割らなければならないわけですが、デュオなら最大値でシェアができますからね。まさに、無二の親友と一対一で会話しているような感覚が相互に影響を及ぼし、さらに音楽的な可能性を広げてくれるのです」
——チック・コリアとの『クリスタル・サイレンス』がリイシュー(1990年)されるとともに、ポール・ブレイとのデュオ・アルバム『ライト・プレイス、ライト・タイム』(1990年)が制作されました。チック・コリアとポール・ブレイではかなりピアノのスタイルが異なりますが、そのことはデュオにどんな影響を与えたのでしょうか?
「ポール・ブレイとのレコーディングもほかのデュオと同じように、特に大きな目論見があって計画されたことではありませんでした。コペンハーゲンのジャズ・フェスティバルに出演したときにパッと閃いて、次の日にスタジオでレコーディングしたのが『ライト・プレイス、ライト・タイム』です。デュオの場合は特にそうなのですが、相手に寄り添いながら演奏することを強く意識していないとうまくいきません。演奏者が2人しかいないので、お互いが違うことを考えていては1つの曲を作ることは難しいのです。それは、相手がポール・ブレイであれチック・コリアであれ、マコ ト(小曽根真)であっても同じです。重要なのは、デュオごとにアイデアを変えるのではなく、デュオの相手と強いラポート(親密な信頼関係)を築くことなのです」
——ヴィブラフォンとピアノという楽器の違いや類似性がデュオに影響していることはありますか?
「音色は違いますが、ヴィブラフォンもピアノも基本的に鍵盤楽器です。なので、どちらのプレイヤーの頭のなかを覗いてみても、音やハーモニーの描き方は同じだと感じます。だから、音色の違いはあるものの、ピアノの連弾と同じような状況がヴィブラフォンとピアノのデュオでも起きているのではないでしょうか」
——ヴィブラフォンとピアノのヴォイシング(音の積み重ね)に対する考え方の違いは関係しませんか?
「私はヴィブラフォンとピアノにそんなに大きなヴォイシングに対する考え方の違いがあるとは思っていません。ただし、音域はヴィブラフォンよりもピアノのほうが広いし、同時に出せる音も、ヴィブラフォンは最高で4音(マレット4本分)に対して、ピアノは10本の指を使うことができるというハンディキャップはありますけどね(笑)」
——あなたの発明したマレット・ダンプニングというテクニック無しには、ピアノとのデュオは成立しなかったと思いますか?
「そのことに関しては、おそらくそうでしょう。マレット・ダンプニングというテクニックは、ソロやデュオに対応できるような柔軟性をヴィブラフォンに与えてくれたと思います」
師弟を超えた絆で結ばれた
歴史的デュオによる“締め括り”
——今回(2017年6月)の来日は、バークリー音楽大学での教え子である小曽根真とのデュオで企画されています。彼がバークリーに留学した1980年当時のことで、覚えていることがあれば教えてください。
「入学してきた生徒たちのコンサートで、マコトが弾いている姿を観たのが最初ですね。テクニックのすばらしさに感動したことを記憶しています。その次の機会に、彼がただ単にテクニックに優れただけのプレイヤーではないことに気づきました。そして、真の在学中から一緒にセッションを繰り返すようになり、彼が卒業するときには、私のバンドに来ないかと誘うまでになっていたのです。それ以来、彼との共演歴は更新され続けています」
——アルバム『Face to Face』(1995年)で小曽根真をデュオの相手に選んでいますね。
「マコトとは、それまでもライブなどでデュオを披露していたし、一緒にアルバムを作ることになるのは自然な流れだったと思います。彼はさまざまなジャンルのエッセンスを習得していて、テクニックも表現力も豊かなプレイヤーですから、チック・コリアとはまた違ったサウンドになると思っていたし、実際にそうなりましたね」
——その後、2002年には小曽根真の『トレジャー』にあなたがゲスト参加し、2003年にはデュオ・アルバム『ヴァーチュオーシ』を制作。彼との関係性や、デュオに関するアイデアなどに変化はありましたか?
「クラシックに対する演奏経験を積むようになってから、彼は音楽家としてより進化し、成長し続けています。彼は常に“サムシング・ニュー”と“音楽的好奇心”を盛り込もうとしているのですよ」
——今回、3年ぶりに小曽根真とのデュオで9か所の日本ツアーが予定されています。また、それをもってあなたは引退を表明されていますが、いま率直にどんなことを感じていますか?
「日本で予定しているマコトとの“ファイナル・ツアー”は、その名のとおり、私が引退する前の最後のパフォーマンスになります。だから私にとっても、観に来てくださるみなさんにとっても、非常に感慨深いものになるに違いありません。思い返せば、私が日本で初めて演奏したのは1963年。それ以来、何度も定期的に日本へ戻ってきて演奏旅行を行うことができました。日本のオーディエンスはとてもすばらしく、いつも私とそのメンバーを温かく迎え入れてくれたことが、いい想い出になっています。なによりも、35年ものあいだ友人であり、かけがえのない音楽仲間でもあり続けたマコトと一緒に、日本での最後のパフォーマンスをできるということは、本当に嬉しいかぎりです。ありがとう!」