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サンダーキャットの最新作『Drunk』の好評が続いている。本作は、盟友ケンドリック・ラマーや憧れのファレル・ウィリアムズ、ウィズ・カリファらを招き、大御所のマイケル・マクドナルドやケニー・ロギンスとのAORなコラボも披露した話題作だ。
そんな彼が、本人名義としては初めての来日公演を実現させた。4都市を廻るツアーをこなし、取材も殺到というハードスケジュールのなか、このインタビューおこなわれた。取材現場に登場したサンダーキャットは、「エナジードリンク」と「眠気覚ましドリンク」のカクテルを飲みまくり。さすが『Drunk(最新アルバム)』の作者らしい疲労回復法を見せながら、愛らしい表情で質問に答えてくれた。
本当の“初来日ステージ”は?
──今回、サンダーキャットの初来日公演が実現しました。
うん、嬉しいね。
──ただし「単独公演」として初めてであって、過去にも日本のステージに立ったことありますよね。じつは以前、あなたの “本当の初来日ステージ” を観ましたよ。あれは2002年の11月だから、もう15年ほど前の話ですが、リオン・ウェアの初来日公演(大阪/福岡)にバック・バンドの一員として参加したでしょ。
ワォ! マジかよ。あのステージを観てるんだ!
──当時のあなたは、まだ18歳になったばかりで。
うん、まだ若造だったねぇ(笑)。
──ちょうどスイサイダル・テンデンシーズ(注1)に参加し始めた頃ではないですか?
そうだね。あのときのショーに関して言うと、リオンは若いバンド・メンバーを探していて、自分や兄(ロナルド・ブルーナーJr.)、キャメロン・グレイヴスを誘ってくれたんだ。
当時の僕はリオンの曲を知らなくてさ(笑)、リハーサルのときに何でマーヴィン・ゲイの「I Want You」をやるのか不思議に思っていたら、じつはリオンが書いた曲だってことをあのとき知ったんだ。ライブではマーヴィンと一緒になれたような気持ちになったよ。あと、リオンのことを尊敬している日本人がたくさんいたのも驚いた。一般的にはマーヴィンとかモータウンが凄い! ってなるところを、日本では仕掛け人がリオンであることを理解して尊敬しているのが凄いな、と。
注1:Suicidal Tendencies/米西海岸の代表的なハードコア・バンドのひとつ。1982年に結成。
──リオンが亡くなった今となっては貴重な経験だったと思いますが、じつはその時のメンバーがヤング・ジャズ・ジャイアンツ(注2)を作って、それがウェスト・コースト・ゲット・ダウン(注3)に発展し、ケンドリック・ラマーやフライング・ロータスらとのコラボに繋がっていくあたりも、いま思うと痛快です。
まさにそうだよね。日本に行ったのも初めてだったし、リオンを通して日本を見ることができたと言ってもいい。本当に素敵な経験で、あれから僕の人生が変わったんだ。
注2:2004年リリースのアルバム『ヤング・ジャズ・ジャイアンツ(Young Jazz Giants)』。カマシ・ワシントンやキャメロン・グレイヴス、ロナルド・ブルーナー・Jrらと共に制作。
注3:米ロサンゼルスを拠点にする音楽家集団。
──その経験が、新作『Drunk』の収録曲「Tokyo」になった、と。
そう。リオンのライブでは東京に行かなかったけど、その後の15年間(エリカ・バドゥのライヴなど)で何度も日本に来て、渋谷に行ったりとか、そういう体験を凝縮したような曲だね。歌詞では「ガンダムカフェ」について歌っていたりするけど〈誰かを妊娠させてやろう〉っていうフレーズはリオンからの影響だよ(笑)。
ベースの師匠は…
──ドラマーであるお兄さんのロナルド・ブルーナーJr.も、少し前にソロ・デビュー作『Triumph』を出しましたね。
凄く誇りに思っているよ。アルバムのリリースが実現したこと自体が素晴らしいし、よく言われるようにファースト・アルバムはその人の人生のすべてで、それでジャッジされるわけだけど、勇気をもってやったと思う。
──一方、弟のジャミール“キンタロー”ブルーナーは、少し前までジ・インターネットに参加していた鍵盤奏者ですね。あなたが新作で披露した「Jameel’s Space Ride」というシンセ・ポップ風の短い曲は、弟さんと関係があるのでしょうか?
うん、自分はいつも弟のことを考えていて、彼からインスピレーションをたくさん貰っているんだ。弟のTwitterを見ていてもわかるけど、彼は常に自分が作った音楽をアップして、いろんなことを考えながら精力的に活動している。あのクリエイティブなプロセスを自分も理解したいと思っているほどだよ。
今のアメリカは若い黒人の命が軽んじられて厳しい状況にあるけど、そんな状況に立ち向かってクリエイティブであり続けている弟はタフだと思うし、敵に回したくない存在だ。
──お父さんも、昔エレクトラからフレッド・ウェズリーらがプロデュースしたアルバム(79年)を出していたカメレオンというバンドのドラマーでしたよね?
うちは音楽一家で、いろんなエモーションが混在していた。よその家族と比べるとかなり強烈な環境だったね。
父のグループに関してはあまり多くのことは知らないんだけど、確かに父にとって転機になったバンドだった。フレッド・ウェズリーと友達だったという話も聞いている。ただ、父は自分の音楽についてあまり話さなかったんだ。感情的になることを避けてたんだと思う。
カメレオンにはジェラルド・ブラウン(愛称はGet Down。マーヴィン・ゲイのアルバムにも参加)というベーシストがいて、父と仲が良かった。自分にとっても、まるで叔父さんみたいな感じだった。じつは俺、彼からベーシストとしていろいろ教わってたんだ。
6弦ベースを使う理由
──今回のライブではPファンクっぽいベースも飛び出しましたが、ジョージ・クリントンはあなたのことを「ブーツィ・コリンズの21世紀ヴァージョン」と評したとも聞いています。
美しくて素晴らしい褒め言葉だね(笑)。そこにはネガティブな意味合いもないはずだし、これは素直に嬉しいよ。
──あなたとフライング・ロータス、シャバズ・パラセズはWOKEというプロジェクトを立ち上げて、ジョージ・クリントンを招いた「The Lavishments Of Light Looking」という曲を発表していました。一方、ブレインフィーダーから出ると噂されているクリントンの新作はどうなっていますか?
そうだなぁ……やっぱり自分はリアリティ重視というか、アイディアはたくさんあるけど、それが実現するかどうかまだ分からないから、あまり口にできないんだ。いろいろな可能性やミステリアスな部分を残すことが自分は好きだし、音楽は常に作られていて、いまも動いているしね。
──では、出るまで楽しみにしています。ベースプレイの話に戻しますが、今回の来日公演でも、あなたは6弦ベースを使って広い音域をカバーしていた。ベーシストであってベーシストではない、多彩な表現者という印象を改めて受けました。
6弦のベースを使うと可能性が広がるんだよね。ベースというと普通は4弦で、それがベーシストだと思われがちだけど、本当のベーシストは(何弦だろうと)「単にベースを弾く人」だと思っている。ざっくりとした言い方だけど、自分にとってはニーズを満たしてくれるのが6弦のベースということなんだ。
──ライブでは激しいインタープレイも印象的で、ドラムのジャスティン・ブラウンの手数の多さや、鍵盤のデニス・ハムの機敏さにも目を奪われましたが、即興性が高いのに均整がとれているのがさすがだなと。
大事なのはメンバー同士のコミュニケーションだと思う。ライブをやってるときも互いに意思疎通を図って、誰かがソロをやっているときや即興をやっているときも相手の動きを見ながらお互いを理解し合ってプレイしていく。自分たちの場合は、ひとつの目的意識を持っていて同じところを目指しているので、そういった意思疎通は凄くとれていると思うね。
ジョージ・デュークの影響力
──ライブにしてもレコーディング音源にしても、あなたの音楽はジョージ・デューク的なプログレッシブ感覚やトリップ感がある。特に70年代前半~中期のMPS時代のデュークを強烈に連想させます。
ジョージ・デュークは父と共有した初めての音楽だったんだ。初めて聴いたレコードはスタンリー・クラークの『Journey To Love』(75年)だったけど、父は音楽に興味を持たせようと自分にいろんな音楽を聴かせてくれた。なかでもジョージ・デュークの『Faces In Reflection』(74年)を聴いたときに、もの凄く衝撃を受けたんだ。
──他にお気に入りの“ジョージ・デューク作品”を挙げるなら何?
彼の関わるものはすべてが素晴らしいよ。フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションで演奏していたときの音楽も強烈だった。その一方で彼の歌声はとてもライトだよね。だけど凄く心がこもっていて、偽りがなく、感じたままを歌っているんだなぁというのが伝わってくる。
何度も彼の音楽を聴いているけど、彼に代わる人は誰もいないというか、どんなポップ・ミュージックが出てこようと、どんなラッパーが出てこようと誰もジョージ・デュークにはなれないというか、それくらい僕の中では偉大なんだ。
──あなたの甘いハイトーン・ヴォイスは、マイケル・マクドナルドの歌い方を真似ていたとも聞いていましたが、それ以上にジョージ・デュークっぽいですよね。
んー!(親指でグッドサインをしてニンマリ)
※
休息を兼ねたインタビューもつかの間。このあと彼は帰国し“北米ツアー”と、世界各国のフェス出演が待ち受けている。その数、発表されているものだけで約50本。サンダーキャットの快進撃と睡眠不足はまだまだ続きそうだ。
取材・文/林 剛