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【パット・マルティーノ|インタビュー 】記憶をなくした天才ギタリスト… “あの噂”について本人を直撃

“モダン”と冠されるジャズを育んだ1960年代。当時から活躍し続けるレジェンドたちが近年次々と逝ってしまうなか、いまだ衰えぬイマジネーションとテクニックを披露し続けているのがパット・マルティーノだ。

ジャズファンはもちろん、プロのミュージシャンからも格好のお手本として崇められるギタリスト。しかも、かつて記憶喪失で全てをなくし、約10年の空白期間を経ながら見事に復活。その後も数々の名演を繰り広げるという、まさに破天荒の音楽家である。

コルトレーンはまるでマセラティ

——あなたがプロとして活動を始めたのは1959年。故郷のフィラデルフィアだったそうですね。

そのとおり。

——1950年代のフィラデルフィアといえば、マイルス・デイヴィスのバンドに参加していたジョン・コルトレーンが、ときどきニューヨークから戻ってきて、地元ミュージシャンたちと交流していたと聞いています。当時15歳の、デビューしたてのあなたにとっても、ジョン・コルトレーンは特別な存在でしたか?

私がコルトレーンを見ていて衝撃を受けたのは、彼の“献身的な姿勢”だ。彼は自分自身の作品だけでなく、すべての音楽や芸術という大きな存在に対しても、分け隔てなく“自分の身を捧げている”という印象だった。そのことには大きな衝撃を受けたよ。

——あなたがプロのギタリストとして成長していく1960年代前半、コルトレーンから受けた影響は大きかったと思いますか?

その質問に答えるのは難しいね。というのは、ミュージシャンの活動というものはそれぞれの個性が優先されるべきもので、影響がどのくらいあるかを計っても意味がない。

個性という点でジョン・コルトレーンを見れば、彼は自動車のマセラティのような存在だと思うよ。フォルクスワーゲンでも同じように道路を走ることはできるが、どのように走るのかという点ではまったく異なる。こういう答えでわかってもらえるかな(笑)。

“奇跡の復活”にまつわる噂の真相

——1976年にあなたは脳動脈瘤で倒れ、その後の手術は成功するも、過去の記憶をすべて失うというアクシデントにも見舞われました。そのリハビリのために、過去の自分のアルバムを聴いて練習をしていたという噂を聞きましたが、それは本当ですか?

その噂はちょっと違っているね(笑)。1980年、手術をするためにロサンゼルスからイーストコーストへと運ばれた私は、空港から病院へ直行するような状態だった。そのときの手術の影響で、私は記憶が失われた状態になり、療養のために両親のいる実家で過ごしていたんだ。そこで、過去の自分の作品を聴いて過ごしていた。確かにそれは事実だ。

ただし、自分からそうしたわけではなく、父親がどういうつもりか私のレコードをリビングルームで繰り返してかけていて、それが2階の私の部屋まで聞こえていたんだよ。父親は、よかれと思ってやっていたのかもしれないが、当時の私はとてもウンザリしていたことを覚えているよ(笑)。

——ちょうど同じころ、日本ではジャズに関係する多くのギタリストが『エグジット』(1977)に収録されている「ブルーボッサ」を採譜して研究していたと言われています。あなたもリハビリのため、同じようなことをしていたのかと思っていたのですが……。

ノーノー! それはないよ(笑)。自分の演奏を真似て弾くようなことは、したことがない。

——復帰のための練習に“自分の過去作品”を使ったことはない?

ないね。あのときの私にとって、レコードで残された自分の演奏はただの “過去”でしかない。音楽とはその瞬間に湧き出るものこそがリアルであって、決して過去に拠るべきではないと思うんだ。もちろん、演奏しているときに過去のイメージが蘇ってくることはあるけど、それを意図的に用いるのではなく、あくまでも有機的に、その瞬間のイメージと融合させていく。そこが重要だと思う。

効率を追求して生まれた即興理論

——あなたが提唱しているマイナー・コンバージョンという即興理論について教えてください。まず、この理論を考案したきっかけは?

楽器を自由に弾こうとするとき、なにがしかの“拠り所”が必要になるわけだけど、それは、その人にとっていちばん弾きやすいものが効率的だよね。私にとっていちばん弾きやすかったのが「音程のインターバル(距離)をマイナーに縮めたストラクチャー(構造・手法)」だった。

メジャー・インターバルよりもマイナー・インターバルのほうが、自分でも不思議なぐらい流れるように自然に弾くことができたんだよ。だったら、自分にとって効率的なこのフレーズについて、ひたすら追求してみようと思って始めたのがマイナー・コンバージョンだ。

しかも幸いなことに、そこから生まれるフレーズの関係性が、バラバラではなく「じつはすべてが繋がっているものだった」ということにたどり着くことができたんだ。

——その理論を、初心者にもわかるように簡単に説明することは可能ですか?

それは難題だな(笑)。一口で言うとしたら、マイナーとメジャーは物事の「陰と陽」と同じで(手で円形の太極図を描きながら)互いにつながっていて、相反するものではないということ。

だから音楽も、始まりがあって終わりがあるのではなく、じつは円を描いているところに、たまたま自分がいずれかのタイミングで入っていくだけ、ということなんだ。そこに、あるインターバルを使えば、すべてがフィットして途切れることなく続けることができる、というわけさ。う~ん、もっと簡単に説明したいけど、これが精一杯だね(笑)。

——その理論に加えて、あなたの代名詞でもある“マシンガンのようなピッキング”に憧れるギタリストも多いと思います。運指のためにやるべきエクササイズがあれば、教えていただけますか?

おもしろい質問だね(笑)。ただ、私は、自分とは違う存在になりたくて何かをしよう、と思ったことはないんだよ。例えばそれが、上達のための練習であってもね。

私がギターを弾くのは“楽しいから“であって、それ以外の理由はない。とはいえ、ゆったりと叙情的に弾くときも、速く弾くときも、正確性にこだわって奏法を追求しているよ。そのなかで「正確性を楽しんでいる」というのが私のスタイルなんだ。

だからリハビリのときも「以前の自分のように弾かなければ」という思いではなく、ひたすら正確に弾くことを楽しんでいた。子どものような無垢な気持ちで、楽しんでやっていたらこうなった、としか言いようがないよ(笑)。

——最後にもうひとつ“噂”の検証を。次のアルバムが完成間近というのは本当ですか?

ああ、本当だよ。今回のアルバムはトリオを含むクインテット編成で、非常にパワフルな内容だ。じつは、さらに次の作品にも着手しているんだよ。そっちはフルオーケストラとギターの共演になる。まだ全体像を話すことはできないけどね、時が来たら詳細を発表するよ。

取材・文/富澤えいち 撮影/米田泰久

 

取材協力:COTTON CLUB

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