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昨今、ジャズの作曲家がニューヨークに集まっているという。ニューヨークで今なにが起きているのか。現地を拠点に活躍する宮嶋みぎわ(作曲家/ピアニスト)がその状況を解説する。
続々と生まれる革新的な作曲家たち
現在の「ニューヨークのジャズ」を語るとき、もっとも活きのいいトピックのひとつが「ラージ・ジャズ・アンサンブル」だ。要するに「大編成で奏でるジャズ」のことで、ビッグバンド・ジャズや、ジャズ・オーケストラなどをまとめてそう呼んでいる(本稿では便宜上「ラージ・アンサンブル」とする)。
こうしたスタイルのジャズでよく知られているのは、スウィング・ジャズ隆盛期(1930年代前後)のカウント・ベイシーやデューク・エリントンの楽団だろう。当時の彼らの演奏にはダンス・ミュージックとしての機能性が求められていた。かつてはジャズに合わせて踊るのが最高にかっこいい娯楽だったのだ。
ところが1940年代に入ると、娯楽の多様化や第2次世界大戦の影響もありダンスホールは激減。踊るための音楽「だけ」を演奏していたバンドは解散に追い込まれていく。時代の流れを経て生き残ったのは、高度で緻密な楽曲を提供できる作曲者・編曲者が在籍していたバンドや、優れた演奏能力を持つバンド・リーダーの技芸が楽しめるバンドだった。カウント・ベイシーやデューク・エリントンは、このような時代の流れの中でビッグバンドをダンスのBGMから鑑賞音楽へ押し上げた立役者だった。
現在のラージ・アンサンブルはこうした歴史の上にあり、聴き応えのある楽曲がたくさん存在している。近年は特に革新的な作曲家やバンド・リーダーが続々と登場しており、ジャズファンの「これがビッグバンド・ジャズだ」という常識を良い意味で覆すバンド・楽曲がたくさん! ラージ・アンサンブルは「あたらしい音楽体験」ができるジャンルへといまも発展中で、その流れを育んできたのがニューヨークなのだ。
“サドメル時代”から連なる血統
昨今の「ニューヨークのラージ・アンサンブル」を語る上で、とくに重要なバンドのひとつが、ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ。彼らはジャズの聖地とも呼ばれるライブハウス“ヴィレッジ・ヴァンガード(注1)”に毎週月曜日に出演し、結成から50年経ったいまでも、毎週満員御礼の人気を博している。このバンドを観るために、一般の音楽ファンはもちろん、世界中の音楽家がニューヨークへやってくる。
注1:ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるジャズ・クラブ。1935年のオープン後、40年代後半からジャズのライヴをおこない、優れたライヴ録音を多く残した。
このヴァンガード・ジャズ・オーケストラの歴史上、もっとも重要な人物のひとりが、故ボブ・ブルックマイヤー(注2)だ。彼は、現グループの前身「サド・ジョーンズ=メル・ルイス楽団(以下、サドメル)」結成当初(1966年)からのメンバーで、のちに同楽団の音楽監督に就任。たくさんのオリジナル曲を提供し、その独創的な楽曲づくりが後進に大きな影響を与えた。
このボブ・ブルックマイヤーの系譜”にある作曲家たちが近年、大きな成果を上げているのだ。
注2:(1929-2011)米ミズーリ州カンザスシティ出身のトロンボーン奏者、ピアニスト、作曲家。50年代にスタン・ゲッツやジェリー・マリガンのバンド・メンバーとして活躍。68年以降の10年間を西海岸でスタジオ・ミュージシャンとして過ごし、79年にサド・ジョーンズ=メル・ルイス楽団の音楽監督に就任。
https://www.youtube.com/watch?v=DeNpZ9GEQRA
あのマリア・シュナイダーも、彼の弟子のひとりだ。彼女は90年代以降のラージ・アンサンブル界を牽引してきたスター的存在で、ジャズだけでなく、クラシックのオーケストラでもグラミー賞を獲得。また、デイヴィッド・ボウイとの共演や、映画音楽なども手がけてきた。彼女のコンサート会場はどこも、勉強熱心な若手音楽家でいっぱいになる。
ボブ・ブルックマイヤー門下生の中でも早くから頭角を現した人物といえば、ライアン・トゥルースデルだ。1980年生まれの彼は2002年ごろ、20台前半という若さでマリア・シュナイダーのアシスタント業をスタート、アルバム『スカイ・ブルー』(2007年)以降は、プロデューサーとして作品制作に関わるようになる(このとき26歳)など、天才ぶりを発揮。近年では“ギル・エヴァンス・プロジェクト”を率いており、このプロジェクト発足の経緯もすごい。
マリア・シュナイダーの紹介で故ギル・エヴァンス(注3)の家族に出会った彼は、ギルの書斎から未発表作品のスコアを発見。家族の許可を得て4000枚以上のギル直筆の楽譜をスキャン、これを浄書し、プロジェクトを発足したのだという。同プロジェクトはすでに2枚のアルバムをリリースし、毎年ニューヨークで行われるコンサートも好評を得ている。
注3:(1912−1988)カナダ出身のピアニスト・編曲者。ビッグバンドに革命をもたらした人物のひとりとして知られる。1948年にマイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンらと九重奏楽団を結成。以降、マイルス作品の多くに参画。
ボブに師事した作曲家のなかでも、ひときわ個性的な作風を発揮しているのがダーシー・ジェイムス・アーギューだ。1975年生まれ、カナダ出身の彼は2005年に18人編成のビッグバンド“シークレット・ソサエティ”を結成し、アルバム『インファーナル・マシーンズ』(2009年)を発表。以降3作のアルバムをリリースしており、すべてグラミー賞にノミネートされている。
世界中の作曲家が目指す「BMIW」って?
そんなヴァンガード・ジャズ・オーケストラには、じつはもうひとりのキーパーソンがいる。ほかでもない、同オーケストラ専属作曲家のジム・マクニーリー(注4)である。彼は現在のNYラージ・アンサンブルを語る上で欠かせられない人だ。
注4:1949年生まれ。米イリノイ州シカゴ出身のピアニスト・作曲家。1978年にサド・ジョーンズ/メル・ルイス楽団に参加。のちにスタン・ゲッツ・カルテット(81年〜)、フィル・ウッズ・クインテット(90年〜)を経て 再び(サドメル楽団を後継する)ヴァンガード・ジャズ・オーケストラに加入。1997年から2019年までに10のグラミー賞候補作を手がけ、2008年には同オーケストラでグラミーを獲得。
彼は現在、ヴァンガード〜の専属作曲家を勤めつつ、フランクフルト・ラジオ・ビッグバンド(独)の音楽監督も兼務。アメリカとドイツを行き来する多忙な身だが、もうひとつのライフワークである「教育」にも心血を注いできた。これまでニューヨーク近郊の複数の大学で教鞭をとり、現在に至るまで多様な機関でジャズ作曲を教示。そんな彼が関与してきた教育プログラムのなかで、特にめざましい成果を上げ、「一時代を作った」と言えるのがBMIジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ(注5/以下BMIW)だ。
注5:音楽著作権の管理会社であるBMIが後援する音楽講座。1988年に開設。発起人はメニー・アルバム(作曲家)、ボブ・ブルックマイヤー(作曲家/トロンボーン奏者)、バート・コーラル(作家)。9月〜5月の9か月間、毎週火曜日にニューヨークのBMIオフィスでワークショップを実施(中級と上級の2クラス)。資格は18歳以上のプロの音楽家であることで、参加費は無料。
BMIWはプロの作曲家に向けた「ジャズ・オーケストラ作曲法」のワークショップ。前出のジム・マクニーリーはこのプロジェクトの音楽監督(1991年〜2015年)として、方針決定と実際の授業を行ってきた。その実績を示しているのが、下の図版。これは現在のラージ・アンサンブル界で活躍する人物やバンドの相関図だが、登場するプレイヤーの多くがBMIWの卒業生なのである。
BMIWがスタートしたのは1988年。発足から約3年を経た1991年、ジム・マクニーリーが音楽監督・指導者に就任すると、あのジムに教えを請いたい、という作曲家たちが続々とBMIWの門戸を叩くようになった。彼に師事できることが話題になり、アメリカ全土から、そして世界の各地からNYに移住する者が現われた。
ジムの教え子には、作曲家・ピアニストで自身も教育者であるマイク・ホロバーがいる。彼はのちにBMIWの指導者となり、ジムとともに熱心に教育を続けた。マイクは伝統的なビッグバンド・サウンドに固執せず、「作曲家自身の個性をより強く出す」作曲プランを強く応援した。ビッグバンドの作法と楽器を使いながら“まったく新しい音づくり”は可能なのか? そんな問いに呼応するように、志を同じくする作曲家がBMIWに多数集結。結果、創意あふれる優れた作家を数多く輩出し、現在のラージ・アンサンブル界を活性化させることになった。ふたりは2015年に指導者を引退したが、彼らの方針や哲学は、現在でも多くの門下生によって引き継がれている。
多民族化で“何にも似ない”サウンドへ
「ヴァンガード・ジャズ・オーケストラ」や「BMIW」の人脈、なかでも特にボブ・ブルックマイヤーとジム・マクニーリーが、現在の「NYのラージ・アンサンブル・サウンド」に色濃く影響していることをお伝えした。さらにもうひとつ重要なファクターがニューヨークにはある。「ダイバーシティ(多様性)」だ。
ニューヨークのラージ・アンサンブル界は、多様な人種・民族によって支えられている。彼らは、これまでの“ビッグバンド・ジャズの様式”も熟知しながら、自身の民族性(に根ざした文化や思想まで)を、楽曲に反映させる。この事実は、ニューヨークのラージ・アンサンブルにさらなる豊穣をもたらしている。
その好例としてまず紹介したいのが、ペドロ・ジラウド。アルゼンチン出身の彼は、去年度(2018年)のラテン・グラミー賞のウィナー。また、同賞のノミニーであるエミリオ・ソラもアルゼンチン出身で、ラージ・アンサンブル界の注目株のひとり。両者は伝統的なタンゴなどを自曲に採り入れ、郷愁を誘うジャズ・オーケストラ・サウンドを発表し続けている。
こうした“ラテン勢”の活躍は顕著で、去年グラミーを獲得して大きな話題になったスパニッシュ・ハーレム・オーケストラ『アニヴァーサリー』は、サルサ&ラテン・ジャズ。同じくグラミー賞にノミネートされた、エリオ・ヴィジャフランカ『シンケ』はキューバ音楽を主体とした、カリビアンとジャズの融合だ。さらに変わり種では、韓国出身の若手作曲家、ジヘイ・リーがいる。彼女は韓国の伝統音楽とジャズの融合作品をYouTube上で発表して話題を呼んでいる。いずれも日本人の私にはとうてい真似できない領域の表現だ。
アバンギャルドあり、電子楽器あり、民族音楽との融合あり……手法やスタイルや出身国こそ違えど、彼らは皆、ラージ・アンサンブルという表現方法に可能性を感じ、「自分にしか作れない音を追求する」という点で共通している。
現在のNYラージ・ジャズ・アンサンブル界を担う個性的な作曲家・リーダーたちは、お互いの音楽を聴き、刺激を受け、励ましあいながら、今日も大人数でライブハウスに向かい、演奏を続けている。ニューヨークにお越しの際には、カウント・ベイシーやデューク・エリントンから続く「ジャズ・オーケストラの歴史」に思いを馳せつつ、ぜひ彼らの演奏を堪能してほしい。
ピアニスト/コンポーザー/プロデューサー。上智大学を卒業後、リクルートにて広告制作・IT・雑誌編集デスクを経験。2004年、30歳で音楽家に転身し、独学でプロの道へ。転身5年目にヴァンガード・ジャズ・オーケストラに見出され、2009から2018年まで日本ツアーをプロデュース。2011年、2014年には副プロデューサーとしてグラミー賞ノミネートを経験した。2012年、国費留学でニューヨークに移住。ミギー・オーギュメント・オーケストラを率いるほか、世界的なサックス奏者スティーヴ・ウィルソンなどへ楽曲提供もおこなう。2018年には日本人として初めてニューヨークの名門レーベル“アーティストシェア”に参加し、デビュー・アルバム『カラフル』を発表。2019年、期待の新進芸術家に贈られるジェロームヒル基金の一期生に選出され、音楽部門唯一のアジア人として注目を浴びる。音楽を通じた社会貢献に情熱を持ち、講演者・国際交流の推進者としても活躍している。 https://miggymigiwa.net