ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある小さなギター・ショップ「カーマイン・ストリート・ギター」。この店で扱っているのは、経営者リック・ケリーによる手作りのカスタム・ギターのみ。独学でギター作りの技術を身につけ、パソコンも携帯電話も持たず、黙々とギターを作るケリーの姿は、まさに昔気質の職人だ。
世界にひとつの古材ギター
彼の仕事を手伝っているのは、娘くらい歳が離れた見習いのシンディと、掃除と電話番を担当するリックの母親、ドロシー。そんな小さなギター・ショップには、ボブ・ディランやルー・リードなど名だたるギタリストたちが来店し、世界にひとつしかないギターを買い求めてきた。その人気の理由は何なのか。リックの人柄や彼が作るギターの魅力に迫ったのが、ドキュメンタリー映画『カーマイン・ストリート・ギター』(8月10日より全国順次ロードショー)だ。
リックのギターの特徴は、ニューヨークの古い建築物の廃材を材料に使っていること。木材の汚れや痛みもそのまま残して仕上げたギターには、ニューヨークの歴史が刻みこまれている。しかも、長い年月を経た木材は音の響きも最高なのだ。映画では、カーマイン・ストリート・ギターに訪れるさまざまな客とリックの会話を軸にして、各々のギターに対する熱い想いやリックの職人としての哲学を浮かび上がらせていく。
店を訪れる客は、ネルス・クライン(ウィルコ)、カーク・ダグラス(ザ・ルーツ)、ジム・ジャームッシュなどさまざま。ジャズ・ギタリストのビル・フリゼールもそのひとりだ。そんな彼に(今年6月にコンサート来日の折)、カーマイン・ストリート・ギターについて訊いた。彼にとって、リックの作るギターの魅力とはどんなところなのだろう。
「映画でも紹介されているけど、彼はギターの素材に古材を使うんだ。現在、市販されているギターは、きちんとシーズニングされていない木材を使っているものも多くて、そういうギターは使っているうちにどこか変形してきたりする。でも、ケリーのところで使われてる古材は、乾燥がしっかりと進んでいて決して変形しない。まず、そういうところに感心してギターをオーダーすることにしたんだ」
ビルがケリーに依頼したのは、パイン材のフェンダーのテレキャスター。材料に使われた廃材は、ニューヨークを代表する映画監督の家から出た廃材だった。
「ジム・ジャームッシュのロフトの梁に使われていたパイン材なんだ。レオ・フェンダーが最初に試作品のギターを作った時に使ったのも、パイン材だったらしい。大量生産されるようになってからは違う木を使うようになったみたいだけど。ケリーが集めた廃材には、いろんな歴史があるんだ。酒場のカウンターだったり、売春宿の床だったりね。ニューヨークの歴史が染み込んでいる木を使っているのも彼のギターの魅力だね」
じつはジム・ジャームッシュが自宅のロフトの木材を使ってギターを作ってもらおうと、ケリーのもとを訪れたのが「ニューヨークの建物の古材を使ってギターを作る」というアイデアが生まれたきっかけだったという。フリゼールは、その記念すべき古材でギターを作ったというわけだ。映画のなかでフリゼールは自分のギターのルーツは子供の頃に聴いたサーフ・ミュージックだと語り、ビーチ・ボーイズ「サーファー・ガール」をリックのギターで弾く。それは彼にとって忘れられない曲だった。
「僕はアメリカの内陸部、デンバー(コロラド州)で子供時代を過ごした。その頃に、サーフ・ミュージックが流行って、僕も夢中になったんだ。まわりに海なんて全然ない土地なのに、サーフボードを買おうとしたりしてね(笑)。そんな時にビーチ・ボーイズの音楽に出会って、その美しい歌声やハーモニーに憧れたんだ。そして、僕が最初に自分の小遣いで買ったシングル盤がビーチ・ボーイズの〈サーファー・ガール〉だった。子供の頃に聴いたヒットソングを、歳をとってから聴き直すとがっかりすることもあるけれど、〈サーファー・ガール〉はいま聴いても素晴らしい曲だと思う」
ニューヨークの街の記憶が染み付いたギターで、フリゼールの個人的な記憶が刻み込まれた曲を弾く。そう考えると、曲の聞こえ方もひと味違ってくる。サーフギターに憧れた少年は、いまやジャズ・ギターのマエストロ。無茶な質問とは知りながら、「これからギターをやりたいと思っている若者に、お薦めのアルバムを教えてください」とリクエストすると、彼は困ったような表情を浮かべた。
「とにかく、ギターほどサウンドにヴァリエーションのある楽器はないと思う。ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリクス、アンドレス・セゴビア、ウェス・モンゴメリ……。同じ楽器でチューニングも同じなのに、まったく違うサウンドだ。だから、アルバムを一枚を選ぶというのは私にはとてもできない。でも、何かアドヴァイスできるとしたら、自分に好きなものや心に響くものがあったら、それをずっと大切に持ち続けてほしい、ということかな。『これを好きだって言ったら恥ずかしいな』とか『バカにされるかも』なんて考えることはない。そういうものが自分を育てて前進させてくれるんだから」
フリゼールにとってギターを弾くことが、そして、ケリーにとってギターを作ることが「心に響くもの」を大切にすることだった。『カーマイン・ストリート・ギター』はギターに限らず、ずっと何かを大切にして、愛し続けることについての映画でもあるのだ。
取材協力:ブルーノート東京
8月10日(土)より 新宿シネマカリテ、シアター・イメージフォーラムほか、全国順次ロードショー
ビル・フリゼールが「スペシャル・ギター・クリニック」実施
『カーマイン・ストリート・ギター』
第75回ヴェネツィア国際映画祭 正式出品
第43回トロント国際映画祭 正式出品
第56回ニューヨーク映画祭 正式出品
監督・製作:ロン・マン(『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』)
扇動者:ジム・ジャームッシュ
編集:ロバート・ケネディ
出演:リック・ケリー、ジム・ジャームッシュ(スクワール)、ネルス・クライン(ウィルコ)、カーク・ダグラス(ザ・ルーツ)、ビル・フリゼール、マーク・リーボウ、チャーリー・セクストン(ボブ・ディラン・バンド)他
音楽:ザ・セイディーズ
原題:Carmine Street Guitars 2018 年/カナダ/80分
配給:ビターズ・エンド
©MMXVⅢ Sphinx Productions.
bitters.co.jp/carminestreertguitars