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【キース・ジャレット】現代最高峰のピアノ・トリオが挑んだジャズのルーツ /ライブ盤で聴くモントルー Vol.10

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

ピアノ・トリオというジャズにおける最もポピュラーなフォーマットで、最大のポピュラリティと芸術性を合わせて達成し続けているのが、キース・ジャレットのスタンダーズ・トリオである。ときに“ザ・トリオ”と称されるそのコンボで、キースは2001年のモントルー・ジャズ・フェスティバルに登場した。自身「最初にして唯一」と語ったチャレンジングなステージの記録は、2枚組のアルバムとして残された。

スタンダーズ・トリオの作品中最大の異色作

「express」の訳語を「表現」としたのは、明治期日本人の卓見であったと思う。圧力(press)が加えられることによって、何ものかが否応なく外部に(ex)表出することがすなわち「express」なのであれば、「表に現わす」と当てるのは極めて適切だったと言うべきである。しかし、表現における「圧力」の重要性までを短い単語に組み入れることはさすがに難しかった。

芸術のジャンルがそれぞれにもつ形式やルール、生まれの不幸、経済的もしくは身体的不如意──。そういった圧力が、つまり何らかの「不自由さ」がなければ表出もない。だから一流の表現者は、ときに自ら不自由さの中に身を置き、圧の力を高めることで表現の強度を増そうとする。

1983年にいわゆる“スタンダーズ・トリオ”(注1)の最初のアルバムをレコーディングしたとき、キース・ジャレットがやろうとしたのはそういうことではなかっただろうか。バンドとしては最少の編成で、スタンダードという過去に数多くのリファレンスがある素材に取り組むことは、すなわち演奏の条件を自ら絞り込み、不自由さの中で勝負を挑むことにほかならなかった。最もオリジナリティを出しにくいフォーマットで、最大限のオリジナリティを達成すること──。それが、彼がスタンダーズ・トリオで目指したコンセプトだったと思う。その試みはECMのオーナー、マンフレート・アイヒャーの全面的なバックアップもあって大いに成功し、現在まで35年以上続くキースの中心的な活動として定着した。

注1:キース・ジャレット(p)、ジャック・ディジョネット(ds)、ゲイリー・ピーコック(b)といういずれ劣らぬ巨匠によるトリオ。1983年に1st作「スタンダーズVol1」を発表し、以来35年以上にもわたってジャズの表現を拡張し続けてきた。

そのトリオでキースがモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演したのは2001年のことである。録音されたそのステージの記録は、20枚近くに上るスタンダーズ・トリオのアルバムの中でも異質の作品となった。では、どこが異質だったか。

試みに、2枚組のCDに収録されている曲の作曲者もしくは代表的な演奏者を順に挙げていくと、1枚目が、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカー、ファッツ・ウォーラー、2枚目が同じくファッツ・ウォーラー、エラ・フィツジェラルド、セロニアス・モンク、ジェリー・マリガン、フランク・シナトラ、マイルス、シナトラとなる。異彩を放っているのは、CDをまたいで収録されているファッツ・ウォーラーの2曲、「浮気はやめた(Ain’t Misbehavin’)」「ハニー・サックル・ローズ」とそれに続く「ユー・トゥック・アドヴァンテージ・オブ・ミー」で、この3曲はジャズ以前のラグタイムのスタイルで、つまり非常に「古びた」スタイルで演奏されている。キース自身、ライナー・ノーツに寄せた文章で、このような演奏は「最初にして唯一」であり、「これは私たちがジャズに深くコミットしていることの純粋な証明であり、物真似でもなければ、ジョークでもない」と書いている。

スタンダードを演奏するということは過去に深く学ぶことであり、その学びの射程がジャズのルーツにまで到達したと考えれば、ラグタイムをプレイすることは不自然ではないが、スタンダーズ・トリオのシリアスな演奏に馴染んできたリスナーからすれば、いくぶんの違和感があるのも確かである。しかし、キースにとってそれはあくまで意義ある挑戦であった。彼は「聴衆の首をつかんででも、私たちの演奏に耳を傾けさせなければならないとこれほどに感じた夜はかつてなかった」と書き、「暑さや照明や音響の問題がありながらも、その環境下で私たちがなしうる最良の演奏をさらに凌駕する演奏であった」と書く。そしてそれによって、「自分たちはジャズ・マスターの面前に肉薄した」のだと。

演奏から6年後にリリースされた蔵出し音源であったこのアルバムに対してキースが寄せた熱っぽい文章が示すのは、歴史あるジャズフェスの磁場の力のようなものがキースにチャレンジを促したということであり、要するにモントルーでの演奏を彼が心から楽しんだということなのだと思う。ワインではなくビールが似合う数少ないスタンダーズ・トリオの作品。そう捉えれば、キースの高揚を私たちも共有することができる。

アルバムのタイトルに冠せられた「マイ・フーリッシュ・ハート」の比類のない美しさには、スタンダーズ・トリオが「現代最高峰のピアノ・トリオ」という称号を今日まで守り続けている理由のすべてがあると感じられる。その清冽な美しさと「浮気はやめた」のハッピーなスウィングの間の振れ幅にこそ、このライブ盤の尽きせぬ魅力がある。


『マイ・フーリッシュ・ハート』
キース・ジャレット・トリオ
■〈CD1〉1.Four 2.My Foolish Heart 3.Oleo 4.What’s New 5.The Song Is You 6.Ain’t Misbehavin’ 〈CD2〉1.Honeysuckle Rose 2.You Took Advantage Of Me 3.Straight,No Chaser 4.Five Brothers 5.Guess I’ll Hang Out My Tears To Dry 6.Green Dolphin Street 7.Only The Lonely
■Keith Jarrett(p)、Gary Peacock(b)、Jack DeJohnette(ds)
■第34回モントルー・ジャズ・フェスティバル/2001年7月22日

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