投稿日 : 2016.05.24 更新日 : 2018.01.26
テデスキ・トラックス・バンド
取材・文/安斎明定 写真/畔柳ユキ
3人のホーンとコーラス、そしてツイン・ドラムスを含む、総勢12人のバンド。音楽の省力化が加速している現代に、まるで70年代のスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのような、男も女も白人も黒人も交わった大所帯のバンドで年間200本ものライブをこなしてきたテデスキ・トラックス・バンド。今年になってリリースされたサード・アルバム『レット・ミー・ゲット・バイ』が一発録音のスタジオライブのような内容だったので、かなりこなれた演奏をするとは思っていた。しかし、これほどまでにダイナミックなサウンドを繰り出してくるとは予想できなかった。嬉しい誤算だ。
オープニングはセカンド・アルバム『メイド・アップ・マインド』の冒頭に収録されていた「Made Up Mind」で快調にスタート。初っ端からスーザン・テデスキがエモーショナルな歌をフル・スロットルで放ってくる。その脇を固めたデレク・トラックスはギブソンSGに張ったヘヴィ・ゲージの弦を指弾きしながら太い音でリズムを刻む。また、フレットの上を頻繁に行き来するボトルネックで微妙なヴィブラートを表現し、曲の表情を豊かなものにしていく。曲ごとにたっぷりフィーチャーされる演奏はアンサンブルが緻密で、長尺でも一瞬の破綻もみせない。特にアイ・コンタクトをしきりに取り合いコンビネイションを重視していた2人のドラムスとベースが紡ぎだすリズムはとても立体的で、大きなうねりのあるグルーヴを作り上げている。楽曲に彩りを添えるホーン隊、ソウルフルでゴスペル・ライクな味を付加するコーラス隊。そして教会のオルガンのような音を発する鍵盤など、12人のメンバーが揃って演奏する意味を充分に感じさせる肉体的なサウンドはスケールが大きく、21世紀の今となっては貴重だ。
しかし、彼らはオールマン・ブラザーズ・バンドを模範とするアメリカ南部のロックの様式を受け継ぎながらも、それまでのサザン・ロックとは異なるサウンドを聴かせてくれた。具体的には、土臭さも埃っぽさも微塵も感じさせないクリアなサウンド。20世紀のサザン・ロックとは異なり、まるで綺麗に舗装されたアスファルトの上で演奏しているような印象なのだ。もはや、アメリカ南部は田舎ではなく、アスファルトに覆われた都会なのだ。
中盤にはエリック・クラプトンもカバーした「The Sky Is Crying」を披露し、ブルーズ・フィーリングが満ちてきたところでデレク・アンド・ドミノスのレパートリーだった「Keep On Growing」に――。70年代のクラプトンが憧れたダイナミックにドライブするサウンドは、きっとこんな音だったのではないかと想像させる演奏を展開してみせた。
「Come See About Me」や「Don’t Let Me Slide」、メロウな「Midnight In Harlem」やホーンの絡みが印象的な「Love Has Something Else To Say」など、楽曲自体は佳曲が揃っていたファースト・アルバムからのナンバーが多かったが、それでも新作からの曲もしっかり練り上げて立て続けに演奏し、メンバー紹介以外、ほとんどMCもなしにたっぷり2時間20分もステージに立ち続けていた12人のメンバー。スーザン・テデスキの歌は、まだタメが少なくやや硬い部分があるものの、初来日のときに比べれば充分にソウルフルで逞しく、もう少しブルージーな柔軟性が身につけばボニー・レイットの領域に達するのではないかと思わせる頼もしさを発散していた。
セカンド・アルバムを制作しているときにはメンバーの脱退で流動的だったベーシストも定着して、大きくうねりながらも決してラフではない、タイトなサウンドを獲得したテデスキ・トラックス・バンド。時代の流れとは逆行しているような編成と音楽性に感じられる彼らのステージングはしかし、充分に説得力に満ちているばかりか、これほどまでスキルの高いバンドはそうそうには存在しないのではないかと、ねじ伏せられるようなパワフルさを備えていた。
ラップトップで音楽を作るのが当たり前のような時代になってしまった現代に、一切のギミックを排し、生の音の絡みのみで勝負している潔さと度胸のよさは、30代半ば以降のオールド世代には胸のすくような気持ちよさ。まだ30代のデレク・トラックスの演奏を観に、40~50代のファンがたくさん集まった日本武道館は、久々にアメリカのサザン・ロックで大きく揺れ、ロックが“熱かった時代”の空気が溢れていた。