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KAZ TAP COMPANYMJFJ2017アカ・セカ・トリオアンドレス・ベエウサエルトモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン 2017三宅純
投稿日 : 2017.11.29 更新日 : 2018.01.25
取材・文/川瀬拓郎 写真/太田功二, Taiki Murayama
ストリングスが立ち上がり、ふくよかなベースラインとリムショットが追いかけていく。ブルーノのポルトガル語のヴォーカルがゆったりとしたメロディーを描き、リサのパートへ。次第にパーカッションが力強いリズムを刻み、静かだが力強く前へ踏み出すような印象を受けた。まさに一曲目にふさわしく、旅立ちを想起させる曲で幕を開けた。リサがメインヴォーカルを担当する曲を挟んで、いよいよブルガリアンヴォイスが本領を発揮していく。
南米の田舎町から抜け出しパリへ、そして東欧のどこかの国へ、そうしてイベリア半島のどこかの酒場へ。本当に世界を旅しているかのような、たくさんのイメージを想起させる。曲によっては中近東を思わせるようなメロディーまで飛び出してくる。ブルーノが歌うのは優しく寄り添うようなラテンの曲調が多く、リサが歌うのはフランス映画に出てくるようなシャンソンやポップスからの影響を感じさせる。
意外なほどにとっつきやすく、驚くほどにキャッチーだ。先入観を捨てて、ただ音に身を委ねればいい。ジャズなのかボサノバなのか現代音楽なのか、そうしたカテゴリー分けが、いかに無駄なことかを痛感させられた瞬間でもあった。どこかで聞いたことがあるような懐かしいメロディーに引き込まれ、様々な情景が入り混じり、オーディエンスを“ここではないどこか”へ連れ出してくれる。
ポルトガル語、フランス語、英語、日本語、聞きなれない東欧かどこかの国の言葉。リードヴォーカルが変わるたびに、曲調もイメージも大きく変わっていく。けれど、全体の統一感は損なわれず、ますますアンサンブルは心地よく重なり合い、力強く駆動していく。途中でメンバー紹介を挟みながら、テンポよく進行していくと、あっという間に第一部は終了。初体験となるロスト・メモリー・シアターは、まさにライブだけがもつダイナミズムに溢れ、iTunesを通じて耳にしていた印象とは全くの別物であった。
しばらく休憩してラウンジに戻るとKAZ TAP COMPANYによるパフォーマンスが展開していた。じつは彼らのパフォーマンスは以前に2度、ファッション関係のイベントで目にしたことがある。やはり生で耳にするタップは迫力と躍動感がたまらない。そうこうしているうちに、早くも三宅純の第二部が幕を開ける。最新アルバム『Lost Memory Theatre act-3』のリリース直前にライブで味わえるのだ。
冒頭のコズミック・ヴォイセズによるパフォーマンスは、どこか宗教的なモチーフを感じさせる。昔、昭和女子大学のホールで運よく体験できたビョークのライブでも、こうした神秘的なムードを味わったことを思い出した。続くのは、優しくも切ないボサノバギターとブルーノのヴォーカルが折り重なる曲。東欧のどこかの教会から、雨が降るブラジルの街中へ。曲によって目に浮かぶ風景も一気に変わる。そして、恋人へ訴えかけるようなリサがリードヴォーカルを取るナンバーへ。まさに映画のワンシーンを想起させる。
様々な記憶とイメージを呼び起こしながら、淀みなくライブは進行していく。絶え間無い拍手の中、アンコールも披露し終演へ。二部構成のボリューム感と、完璧な布陣による質の高い演奏、立体感があり輪郭のはっきりとしたサウンドシステムが渾然一体となり、すべてのオーディエンスを満足させたことだろう。
今回のレビューを書くにあたり、三宅純が下記のようにコメントしていたことを改めて記しておこう。
「どこかに失われた記憶が流れ込む劇場があったとしたらどうだろう? 記憶を渇望するブレードランナーのレプリカントのように、そこには記憶に焦がれた人たちが集まり、その記憶の疑似体験をしていく。そこで流れている音楽はどんなものだろう?」
こうしたロスト・メモリー・シアターのコンセプトが、現実のライブとなっていたのだ。ちょうど映画『ブレードランナー』の続編が公開されていることもあって、この“記憶を渇望するレプリカント”という言葉が胸に突き刺さった。新作の『ブレードランナー2049』では、失われた過去の記憶を辿って、主人公のレプリカントは自らの命も顧みずに危険な冒険を続ける。その行動はもはやレプリカントではない。慌ただしい現実に即応するだけの「機械的な日常」から、忘れかけていた記憶や旅の光景を追い求める非日常へ。手垢にまみれた文脈や解釈で音楽を語ってしまいがちだったが、アンドレスや三宅の音楽にはそうしたものは不要だった。そもそも音楽は言葉を超え、魂を揺さぶるものだから。
自分には親しみのない音楽に、これほど深い感銘を受けたのは何年ぶりだろうか。フェスの最終日を締めくくるにふさわしい貴重な体験となったのは、僕だけではあるまい。