「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
1970年代における最大のソウル・スターは誰か──。そう問われれば、多くの音楽ファンは躊躇なくこの人の名を挙げるだろう。ときに「史上最高のポピュラー・アルバム」と呼ばれる『ホワッツ・ゴーイン・オン』をはじめとする数々の名作を70代に残したマーヴィン・ゲイが、モントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立ったのは1980年のことだった。今回はそのステージの記録を紹介する。
起死回生を狙った充実のステージ
1980年は、マーヴィン・ゲイのキャリアのエアポケットに当たる時期である。『ホワッツ・ゴーイン・オン』『レッツ・ゲット・イット・オン』『アイ・ウォント・ユー』と、ブラック・ミュージックのみならず、近代大衆音楽の頂点に位置する名作を連発した70年代中盤までの充実期を経て、マーヴィンは坂道を転がるようにして人生の暗黒期に突入していった。もつれにもつれた離婚問題、膨大な借金、コカインとマリファナとセックスへの過剰な依存──。
77年にはディスコ・チューン「Got to Give It Up」(邦題は「黒い夜」)がビルボードのR&Bチャートで1位となるも、離婚にともなう莫大な慰謝料を払うために制作された『Here, My Dear』(邦題は『離婚伝説』)は評論家に酷評され、ファンからもそっぽを向かれた。
77年、久々のヒット作となった「黒い夜」。
新天地を求めた彼はハワイに居を移し、さらに80年6月からしがらみのない欧州でのツアーをスタートさせる。7月17日、マーヴィンはそのツアーの一環でモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立った。
その記録は音源と映像で残されている。ライブを純粋な音楽として味わうなら、ミックスがしっかり施された「音源版」を聴くべきだが、この時期のリアルなマーヴィンの姿を確認できる「映像版」もいい。バンド・メンバーはマーヴィンを含め18人。この大所帯は音楽的な要請によるものではない。彼はある時期から14人以下の編成でステージに立つことを拒否した。自身のステージ恐怖症をカバーするために、できるだけ多くのバックが必要であると考えたのである。
彼はそのモントルーのステージで、ドラムを叩き、キーボードを弾き、寸劇に興じ、女性客をステージに上げてチーク・ダンスを踊り、ジャケットを脱いでオーディエンスを誘惑し、最後には牧師のような長広舌の説教を繰り広げる。まるで、恋する女性の心を自分のものとするために、あらゆる手持ちのカードを切ろうとするティーンエイジャーのようではないか。なぜ、彼ほどの男がここまで必死なパフォーマンスを見せなければならないか。観客はそう感じたはずだ。あの素晴らしい声とあの素晴らしい曲だけがあれば十分なのに──。
しかし、そうして全身全霊で努力をしなければ聴衆から愛されることは叶わないと考えたのがマーヴィンという男だった。スターであり続けようとするその捨て身の振る舞いが、逆説的に弱く繊細な生身の自己を表現してしまう。何と人間的なスターだろうか。
今このライブ音源を聴けば、このステージにこそ起死回生のチャンスはあったのではないかと思える。冒頭の「黒い夜」を含むPファンク流の猥雑なファンク3曲はマーヴィンの新境地で、この路線をさらに追求していけば80年代においても彼は第一線に立ち続けることができたかもしれない。「レッツ・ゲット・イット・オン」と「アフター・ザ・ダンス」に前半のクライマックスをもってきて、そこから60年代のヒット曲を畳み掛け、『ホワッツ・ゴーイン・オン』からの3曲でステージを締める構成はほとんど完璧と言ってよく、彼自身もこのステージをステップボードとして次の時代に挑もうと考えていたことが推察される。
しかし、弱り切っていた彼の心身が、それを許さなかった。このステージのあとに予約されていたアメリカ行きのフライトチケットをキャンセルし、マーヴィンは欧州にとどまる道を選んだ。その後、隠遁先のベルギーでほとんど宅録でつくった「セクシャル・ヒーリング」とアルバム『ミッドナイト・ラヴ』で、のちにブラック・コンテンポラリーと呼ばれることになる80年代のブラック・ミュージックへの道筋をつける。それが彼の最後の大きな仕事であった。その2年後、女装癖のある元牧師で真正のサディストであった実父の2発の凶弾によって、マーヴィン・ゲイはこの世を去った。
「アーティストが苦しむ。そうすれば聴く者は苦しまなくていい」。生前彼はそう語った。苦しみを糧としながら生と性の喜びを表現することは可能か──。マーヴィンのあの輝かしい歌の陰には、そんな問いがいつもあった。マーヴィン・ゲイの音楽を聴くことは、本人もついに見つけられなかったその問いへの答えを探すことに等しい。
※引用は『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著・吉岡正晴訳/Pヴァイン・ブックス)より
『ライヴ・イン・モントルー1980』
マーヴィン・ゲイ
■【Disc1】 1.Time(To Get It Together) 2.Got To Give It Up 3.A Funky Space Reincarnation 4.After The Dance(Hellos) 5.Come Get To This 6.Let’s Get It On 7.After The Dance 8.If This World Was Mine / Ain’t Nothing Like The Real Thing / Ain’t No Mountain High Enough 9.How Sweet It Is(To Be Loved By You) 【Disc2】 1.Ain’t That Peculiar 2.I’ll Be Doggone 3.I Heard It Through The Grapevine 4.Trouble Man 5.Distant Lover 6.Inner City Blues(Make Me Wanna Holler) 7.Mercy Mercy Me 8.What’s Going On
■Marvin Gaye(vo)、ほか
■第14回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1980年7月17日