深夜ラジオから聴こえてきた「V-2 シュナイダー」が初のデヴィッド・ボウイ体験だった。あれはたしか、『ビートたけしのオールナイトニッポン』のスポンサーCMのなかで流れたのではなかったかと思う。近日公開される映画『クリスチーネ・F』の宣伝だった。楽曲使用のみならず、ボウイ本人によるステージパフォーマンスもおさめた西ドイツ映画だ。
おそらくは『戦場のメリークリスマス』での共演が決まっていたこともあり、ビートたけしの番組枠で、デヴィッド・ボウイが出演とサントラをかねる近作映画のCMが放送されたのだろう。ウィキペディアによれば、『クリスチーネ・F』の日本初公開は1982年6月12日とされているから、当のCM放送も同時期のことだったにちがいない。ビートたけしのファンで、ビートルズや映画音楽ばかり聴いていた山形の中二男子にすぎなかった筆者にとって、これはのちの人生を左右する決定的な出来事となった。なんだこのおそろしくかっこいい曲は。ベッドに横たわったまま、イヤホン越しに「V-2 シュナイダー」のサックスを聴くうちにすさまじい昂揚感を味わったが、そのときは暗闇のなかただじっとして、映画の内容を想像することしかできなかった。
13歳でヘロインにハマり、14歳で常習者となった末に購入資金稼ぎのために売春をはじめてしまう実在のドイツ人女性の手記を映画化した『クリスチーネ・F』は、田舎の中二男子が寝しなに浮かべた想像などで追いつける内容ではなく、結構な衝撃をあたえてくれた。演出の作為性が見えにくい(当時はセミ・ドキュメンタリーなどと呼ばれた)記録映画タッチで全篇が構成され、出演者のほとんどはオーディションで選ばれた素人役者の少年少女だったこともあって、なにもかもが生々しく鮮烈に映った――ちなみにそうしたドキュメンタリー性とセンセーショナルなドラマをからめた形式性は、1970年代から80年代初頭の映画のモードに沿うものであり、フェイク・ドキュメンタリー(密林探検のホラー)と実話映画(都市の青春群像)という相違はあっても、たとえば近年再評価著しい『食人族』(1980年)と『クリスチーネ・F』(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を劇場鑑賞する場面がある)はまぎれもない同時代作品だと言える。
主人公クリスチーネとおなじ13、4歳の人間の目には、スクリーンに映し出されたその実話自体がなかなかのカルチャーショックをもたらす代物だったわけだが、ドラッグ禍をめぐる陰惨な印象が深まるばかりの作中においても、少年少女たちのストリートファッションはひどく洗練されたものに見えてしまい、結果的にはアンビバレントな感覚を抱かせる思い出深い映画となった。
とどめを刺したのはやはりデヴィッド・ボウイの登場だ。ドイツ語版「ヒーローズ」をはじめとした70年代後半のボウイ作品が全篇に鳴り渡るが、どれもこの映画のために書き下ろされた曲であるかのように感じられてしまうほど、暗く殺伐たる画面に終始見事にマッチしていた。無機的な熱狂という両義的な耳触りをいっそうきわめる曲調が、逃げ道を失い冷酷無情な刹那主義を生きるしかない少年少女たちの傷だらけの身体に一分の隙もなく寄り添っていた。彼らの住む世界から、肯定されるべきものを見つけるのはむつかしいが、「火星」の荒野にも生命は存在するはずであり、どんな生き地獄においても青春を送る者はいることを忘れてはならないと、歌によって説かれている気もしてくる。
ドラマの前半部では、真っ赤なブルゾンをまとって幽霊のごとくぬっと舞台袖からステージ上にあらわれたボウイその人が、「ステイション・トゥ・ステイション」を披露する。マリファナや覚醒剤やLSDを服用する少年少女たちの眼前で、コカイン中毒者の夢想やヨーロッパの退廃を歌いあげているかに見えるボウイの姿には、いかなる尺度でもはかれそうにない未知の存在感があった。陽炎のような希薄さこそが色濃い実在性を感じさせるというねじれを体現する存在は、デヴィッド・ボウイくらいしかいないのではないか。
デヴィッド・ボウイは、映画出演の機会が多いミュージシャンだった。主演作もいくつか持つほど俳優業も盛んにこなしていた。だが、映画というジャンルとボウイの相性がよかったのかどうかは、じつのところよくわからない。すべて観たわけではないが、出演作をざっと思いかえしてみても、掛け値なしの傑作と言える映画のタイトルをここで即挙げることはできそうにない(本連載第二回で傑作と記した『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』にもボウイは出演しているが、ほんのちょい役にすぎない)。最後に観たのはどれも遠い昔だから、再確認してみなければならないだろう。
作品の出来映えはともかく、出演映画の内容や役柄は、ミュージシャンとしてのデヴィッド・ボウイのイメージにどれもうまく重なるものばかりだったように思う。キャスティングとはそういうものなのだろうし、当然の話ではあるのだが、にもかかわらずあえて書くのは、変わり身とキャラ化のくりかえしにより、陽炎のような希薄な自己像の形成に成功したボウイは、外側からどんなイメージを上書きされても違和感を生まぬ特異な身体を手に入れてしまったのかもしれないという気がしたためだ。
いずれにせよ、出演映画のなかでもとりわけ『地球に落ちて来た男』の役柄は、多くのファンが思い描くデヴィッド・ボウイ像に最も近いもののひとつだったのではなかろうか。70年代中期の、シン・ホワイト・デュークへといたるデヴィッド・ボウイの身体を、全裸姿もふくめて記録したという点だけでも、この映画は貴重である――ドラマの本筋など、つかみどころの見つけにくい変な作品だが、70年代の映画においては特別珍しい趣向というわけではない。歌唱場面は賛美歌をわざとへたくそに口ずさむシーンのみだとしても、これはボウイの音楽と直結した映画でもある。この映画出演を機に、『ステイション・トゥ・ステイション』が着想されていることからも、それはたしかな話だ。
おしまいにもう一度、『クリスチーネ・F』に触れておきたい。クリスチーネは、ボウイのコンサート終演後、友人の車の後部座席ではじめてヘロインを体験する。これ一回きりだと言い、静脈注射は避け、鼻腔吸引をおこなうのだが、間もなく車外に嘔吐したのちに、彼女は座席の背もたれにゆったりともたれかかる。それに合わせるようにして(カメラはクリスチーネをとらえたまま)車が発進すると、長くゆるやかにカーブするトンネル道を直進するショットへと画面は移るのだが――この一連の流れがまことに素晴らしい。そこから映画はナイトクラブのシーンに変わり、観客は「TVC15」を耳にすることになる。
デヴィッド・ボウイは、『★』という傑作を発表した直後の2016年1月10日 日曜日に亡くなった。享年69。彼の死を悼むために、今回、この原稿を書いた。
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