これを書いているのは、「プリンスの死」が報道されてからそろそろ20日が経とうとしているときだ。掲載されるのは、何日後だったか、とにかくまあ、さらにあとになるので、当の報道から一ヵ月はすぎてしまっているはずだ。その頃には「死因」が確定されたと報じられているだろうか。「遺産相続」などをめぐる話題はまだゴシップサイトやタブロイド紙をにぎわしているだろうか。そして自分自身は、「プリンスの死」というものをそろそろ事実として受けとめられるようになっているだろうか。正直いって自信はない。20日も時間が経とうとしている今でも、事実としては受けいれていない。そんなことはありえないのだから。
が、どこもかしこも「プリンスは死んだ」と報じている。そんなバカなと思っていても、いろいろなアーティストが次々に追悼文を発表したりカバートリビュートしたりと、だれもが「プリンスは死んだ」ことにしたがっている。そのような世間の潮流にしばらく抗ってはみたが、そうした最中、たとえばブルース・スプリングスティーンに「パープル・レイン」を唄われたりしたら、さすがにこちらもただちにYouTubeをチェックし、拝聴せざるをえない。もちろんそれでも、事実として受けいれたわけではないが、ウェブ上における追悼アップロードのグローバルな波はもはやいっこうに静まる気配がない。おそろしいことに、1990年に来日した際、阪神甲子園球場公演前のサウンドチェックでプリンスがピアノを弾く姿をおさめた鮮明な映像まであがっている始末だ。当時のスタッフが撮影したものだという。なんということだと驚きつつ、つい見入ってしまうが、ただ情報に振りまわされているだけのような後ろめたさもぬぐえない。こうなったら、自分なりに粛々と、プリンスの作品をひとつひとつたどりなおすしかないと考え、とりあえずはオリジナルアルバムとして発表されているすべてを順番に聴いていってみたりもした――『カーマスートラ』だけは紛失していて聴きそびれたが。もっとも、どのアルバムも日頃から割とよく聴いているので、感覚としてはふだんとあまり変わらない、かと思いきや、なおも押しよせる「死亡」関連記事に日ごと触れているうちに、自分のなかに結構なダメージが蓄積されているのを実感するようにはなっていった。
事実として受けいれたわけではないが、それでも、どうやらプリンスはいっさいの活動を停止してしまったらしい、ということだけは理解できた。一週間のうち14日間は働いているような凄まじいワーカホリックが、4月21日を境に仕事断ちしているのだ。この断絶の意味がたいへんに重いことはよくわかる。ただし「追悼文」は書けない。依頼もことわった。いったいなにが書けるというのだろうか。悲しみを綴ることはできるだろうが、プリンスの活動歴を振りかえる? プリンスの仕事を総括する? そんなことは不可能だし、その資格がある者はせいぜいペイズリー・パーク・スタジオの金庫番くらいであるというのがファンのあいだの共通認識ではなかったか。そもそもわれわれはプリンスのなにを知っているというのだろうか。ウィキペディアには、39枚のスタジオアルバムと4枚のライブアルバムと6枚のコンピレーションアルバムと1枚のリミックスアルバムに加え、ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション名義の3枚のスタジオアルバムとNPGオーケストラ名義のインストゥルメンタル・スタジオアルバム『カーマスートラ』とマッドハウス名義の2枚のアルバム、さらにNPGミュージッククラブからネット配信された諸作をオリジナルアルバムとしてディスコグラフィに記載しているが、これだけでも膨大な数と言っていい作品群は、プリンスの全作品のうちのたった30パーセントにすぎないのだという。以下は、4月25日月曜日付のCNNの記事(http://www.cnn.co.jp/showbiz/35081723.html)からの引用だ。
ニューヨーク(CNNMoney) 21日に急死した米ミュージシャン、プリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソンさんが自宅の鍵のかかった金庫室に残した何千曲もの未発表曲について、死後にリリースされるのかどうかに関心が集まっている。
未発表曲を収めた金庫室は、ミネソタ州ペイズリーパークにあるプリンスの邸宅の地下にある。
プリンスのコラボレーターだったブレント・フィッシャーさんは昨年の時点で英BBCなどのインタビューに対し、プリンスが作曲した楽曲の約70%は未発表だと明かしていた。
また、「金庫がドリルで開けられた」ことを報じているこの記事(http://nme-jp.com/news/18999/)によれば、「今後1世紀にわたって毎年アルバムを出せるほどの遺産が残されていた」ようだから、ブレント・フィッシャーの証言は裏づけられたと言っていい。
むろん、どんなアーティストだって多くの未発表曲を持っているのだろうし、昔からそれらは日々ブートレグとして出回りつづけている現実はたしかにある。たしかにあるが、公式に発表されているだけでもこれだけの作品数がありながら、それをはるかに上回る数の未発表作品をあえて金庫にしまい込みつづけたミュージシャンというのは、そうはいないだろう。しかも先述のCNNの記事には、「プロデューサーや友人によれば、金庫室に眠る楽曲の中にはプリンスのベストといえるような楽曲も含まれていて、もしアルバムにして売り出せば確実なヒットが見込めるという」なんてことがさらっと書かれているのだから、とてもじゃないがプリンスの仕事の総括などできるわけがないのだ。
どうせその「プロデューサーや友人」とかいう事情通面した連中が大袈裟に吹いているだけなのではないかと言いたい向きもあろうが、そんな揶揄がなんの慰めにもならないことを、過去に流出した数々の未発表音源を耳にしてきたファンたちは痛切に感じているはずである。そこに”Cosmic Day”級のお宝がうなっているのはもはや疑う余地もない。真に恐ろしいのは、プリンスが、みずからの「ベストといえるような楽曲」を金庫の奥にしまったままにしておいても平気でいられるようなアーティストであったという話には、かなりの信憑性が認められることだ。そういうのを普通にやりかねないのがプリンスだ。今さら既視感のある成功を味わっても意味がないとか、できあがった時点で満足したからとか、あれやこれやの理由により、カジュアルに作品を封印していたのだろうと想像が浮かぶ。
いずれにせよ、こうなると、自分自身をファンだと思いこんでいていいのかさえあやしくなってくるほどだが、もちろんそれは今にはじまった話ではなく、薄々わかっていたことなのだから、ここであらためてうろたえてみても仕方がない。とにかく、宇宙は広大であり、人類が知りえた真理など微々たるものにすぎないという話とこれは同型なのであって、膨張をとめた宇宙としてのプリンスの真理に迫るべく、われわれは今後もひきつづき探究にいそしむほかないのだ。
コートダジュールを舞台に若いピアノ弾きのジゴロが富豪の令嬢と恋仲になってゆくメロドラマが、モノクロで撮られ、「むかし、むかし~」というナレーションとともにはじまる時点で、これが意図的な古典回帰であることをただちに理解しなければならない。当然ながら物語も古典的メロドラマの範疇で組み立てられているわけだから、そこにないものねだりをしても無駄である。冒頭のナレーションで予告されている通り、これはひとりの若者がひとりの女性のために死んでゆく真実の愛をめぐるドラマであり、それ以上でも以下でもないのだ。
その、真実の愛のために死にゆく若者の顛末はいかにもロマンチックだが、同時にこれはコメディーでもあるから、随所にコミカルな彩りがほどこされている。つまり、ジゴロのナルシシズムは常に笑いによって中和されている。『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は、そうしたロマンチックコメディーの基本構造を着実に踏まえて組み立てられている。
そもそもこの古典的メロドラマの物語が批判されること自体がお門違いなのだが、たとえばバズ・ラーマンの傑作『ムーラン・ルージュ』とほぼ同一のストーリー(男女の相違はあれ、いずれも真実の愛のために死んでゆく若者の顛末)が語られているのは自明として、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のロケ地が、ヒッチコックの『泥棒成金』とおなじ舞台であるのはおそらく偶然ではないだろう。前者が悲劇に終わるジゴロのドラマであるのに対し、後者はハッピーエンドを迎える泥棒を描いており、いずれも富豪令嬢と真実の愛で結ばれる話である。だとすれば、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』(モノクロ)には、『泥棒成金』(カラー)を反転させる狙いも込められていたのかもしれない、などと想像することもできるわけだ。
そして特筆すべきは、画面の手前と奥の空間を活かした芝居設計とカメラの構図、加えて脇役たちの積極的な活用だ。要所要所で適宜に配される脇役たちの存在は、画面をひきしめると同時にドラマ上の世界をひときわ豊かにする。ひとつ例を挙げれば、”Kiss” が流れるクライマックス場面に登場するふたりのホームレスは、わかりやすい効果を生んでいる――彼らが絶えず画面上に示され、あそこで芝居にからんでこなければ、主役ふたりきりのロマンチックな世界をただベタに完成させるだけのドラマに終わってしまったにちがいないが、ここでも律義にそれを中和しているわけだ。作り手たちが自己愛的に主役たちのドラマにしか目を向けぬような作品が今日にいたるまで増えつづけているなかで、オフスクリーン・スペースの利用もふくめ、周縁的な要素を巧みに組み合わせたドラマの構築が見られる『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』の意図的な古典回帰は貴重な試みだったのだと、あらためてこの場で言っておきたい。
むろんそれは、撮影を担当したミヒャエル・バルハウスによる功績もおおきいだろう。ちょっとした移動撮影のショットで展開のリズムをつくってゆくような画面設計が特にバルハウス的であり、役者たちそれぞれの心理描写を際立てる陰影の演出なども見事なものがある。
バルハウスの撮影により、映画としてのたしかな骨格をえたことで終始ブレなくつくりこまれた『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』は、作者であるプリンスのコンセプトをむしろ明確すぎるくらいに具現化してしまったのだと言える。真実の愛のために死にゆく若者のメロドラマではあるが、じつはそれと同時に、これは二項対立の状況下で独立性や自律性をこころざす人間の闘争劇でもあるからだ。プリンスは映画で一貫してそうしたドラマを物語ってきたのであり、『パープル・レイン』であれ、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』であれ、『グラフィティ・ブリッジ』であれ、例外はない――あの改名騒動もふくむ、プリンス自身が現実にたどるレコード会社との一連の闘争劇を思いだしてみてほしい。ちなみに、ベルリンの壁崩壊という歴史的事件か、もしくは当の史実を予見したと言われるヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』から着想をえてつくられたのではないかと筆者個人は推測している『グラフィティ・ブリッジ』(壁の落書きと天使的な存在の介入により対立が解消されるドラマなのだから)は、映画としての出来は悪いものの、最も野心的な試みであったことは間違いない。ひとえにバルハウスのようなプロの不在が響いた結果、ミュージカルとしてのまとまりを失ったのだろうと思われるが、加えて当時のプリンスは、みずから新たに打ちだした「ニュー・パワー・ジェネレーション」という概念を持て余していたのではないかという気もしている。
いずれにせよ、『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』が大いなる解放感をあたえてくれるのは、”Mountains”が流れるエンディングのイメージだ(この部分のカラーバージョンがそのまま”Mountains” のプロモーションビデオとして使用されている)。青空を背景として展開されるプリンス&ザ・レヴォリューションの演奏シーンに、映画の作品世界につながる断片的なイメージが挿入される構成になっているのだが、物語前半のパーティーのシーンに登場していた女の子と男の子のカップルが、ふたりきりで野原にあらわれて風船を飛ばすショットが映し出されたときにこそ、メロドラマのはじまりと終わりがひとつに重なり、深い感動をもたらすのだ。
さて、まだまだ書きたりないが、このあたりでいったん区切りをつけておかなければならない。先述の通り、プリンスについては今後もひきつづき探究にいそしむほかないのだから、また何度でも書くことになるだろう。
それにしても、おしまいにこれだけは言っておかなければならない。当たり前の話だが、アルバム100枚分の未発表曲などが残されるよりも、プリンス本人がいつまでも活動をつづけてくれなければならなかったのだ。初来日の横浜スタジアム公演以来、横浜と東京での公演は全日観てきた者のひとりとして、プリンスのライブが永久に失われてしまったなどという事態を受けいれるまでには、あとどれくらいの時間が必要なのか、見当もつかない。
作品情報
タイトル:アンダー・ザ・チェリー・ムーン特別版(DVD)
監督:プリンス
販売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
価格:1,429円(税抜)
発売日:2006年4月14日
■Amazon
http://goo.gl/Lph9I8