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最終回となる今回は、ジャズファンならば誰もが知るの有名店へ。ビル・エヴァンス、デクスター・ゴードン、ジョン・コルトレーンなど、数々のライブアルバムを録音したことでも知られる、ヴィレッジ・ヴァンガードである。
歴史的名店で味わうベテランの妙味
かつてニューヨークのジャズシーンを牽引した有名クラブといえば、52番街にあったバードランドが思い出される。しかしながら同店は1965年にクローズしており、現在44番街にあるバードランドに当時の面影はない。対してヴィレンジ・ヴァンガードは、1935年からずっとグリニッジ・ヴィレッジで営業を続けてきた。スタート当初は詩の朗読など、いわゆる先鋭芸術家やビートニクたちの溜まり場となっていたようだが、1940年代後半からはジャズのライブを行うようになっていった。初代オーナーはマックス・ゴードンで、現オーナーはその妻ロレインである。
前回紹介したスモールズから数百メートル北側に歩いた、セブンス・アヴェニューに面したヴィレッジ・ヴァンガード。舗道へ大きく突き出した赤いファサードがあるので、すぐに見つけることができるはず。グリニッジ・ヴィレッジ特有のちょっとした猥雑さの中に佇む、いかにもクラシック・アメリカンな風景はそれだけで訪れた者に、ちょっとした高揚感をもたらしてくれる。夜の帳が下りて、独特なフォントで象られたネオンサインを見上げると、まるで映画のワンシーンにいるような錯覚を覚える。
ファサードと連なるように赤いペンキで塗られた木製ドアを開け、狭い階段を降りるとカウンターと連なるようにエントランスがある。開演の数十分前に到着したが、もうほぼ満席状態。出演者によって上下するが、この日の入場料は30ドル。当日の出演者はピアニストのバリー・ハリスである。リー・モーガンのアルバム『サイドワインダー』(1964)に参加し、マイルスやキャノンボールなどとも共演を続けてきた、まさにリビング・レジェンド。高まる期待とともにフロアを見渡し、用意された席へつく。しばらくすると、スタッフがドリンクの注文を取りに来るので、現金かカードを手元に用意しておこう。ワンドリンク制で、ビールは10ドル、カクテルは15ドルから。ちなみにフードの用意はない。
やはり大御所の出演とあり、場内には世界中から集まった旅行者をはじめ、地元の古参ファンまで、年齢も国籍も身なりも多様な人々が集っていた。店内はそれほど広くなく、天井も低い。150人も入れば身動きできないほどの規模である。壁面は深いグリーンで統一され、えんじ色のステージとコントラストを成し、クラシカルで重厚な雰囲気だ。バーカウンターを底辺とすると、ステージが頂点となる長細い三角形のようなスペースとなっており、陣取る場所によっては少し見えづらいこともあるので要注意である。バリー・ハリス級の大物をなるべく間近で観たい場合は、会場前に並んでいた方が良い。
司会者のちょっとした余興を経て、ステージに現れたのは御歳88のバリー・ハリス。手を引かれながらよろよろと歩く姿を見て、一瞬不安を覚えたが、場内からはそんな心配をかき消すように万雷の拍手が起こる。マイク越しに曲目をボソボソと呟いたかと思うと、ゆったりとしたテンポで演奏が始まった。運よく最前列の席を用意してもらえたので、ほとんど生音で往年の名曲を耳にすることができた。随所にMCを挟みながらも、小気味よい演奏が続き、その滑らかな打鍵とふくよかなベース音を存分に楽しんだ。特に終盤に演奏された“チュニジアの夜”では、会場の熱気もクライマックスに。
終演してからも、観客からの拍手とコールが続いたが、すでに22時過ぎ。客電がついた後も興奮冷めやらぬといった感じで、観客同士が仲間と盛り上がっていた姿が、なんとも微笑ましい。88歳にして現役であるバリーへのリスペクトはもちろんのこと、あの伝説的ジャズクラブでの一夜は、訪れた人すべてに特別なものとして記憶されるに違いない。自分もその一人であることは言うまでもない。
“新しい何か”が生まれていた往時のフィーリングがあるわけではないが、聖地巡礼にふさわしい演奏と、クラシカルな店内のムードを味わうことに格別な想いが沸き起こる。CDやストリーミングでは決して味わえない魔法がここにはあった。グリニッジ・ヴィレッジの夜は、まだ始まったばかりである。深夜営業のカフェやレストランで遅めの夕食を取りながら、かつてヴィレッジ・ヴァンガードで巻き起こったドラマに思いを馳せるのもよいだろう。
“ジャズマンの表現”を讃えつづける街
そしてこの翌日、ブルー・ノートを来訪。場所はヴィレッジ・ヴァンガードから南西に500メートルほどの距離だ。が、こちらは取材も撮影もNG。無理もない。当日の演目はチック・コリア&スティーヴ・ガットである。巨匠二人によるこの新プロジェクトは、先日、デビュー作『チャイニーズ・バタフライ』を発表したばかり。さすが、開演前から長蛇の列ができており、予定の会場時間まで20分ほど待たされるほどの盛況ぶりだ。
ネット予約で55ドルのバーカウンター席で入ったが、その場所から見えるステージはほんのごく一部。長細いスペースを真横に陣取った片側なので、音のバランスもよろしくない。そこで、追加料金35ドルを支払い、運よく空いていたテーブル席へ。かなり間近で、チックとガッドのパワフルな演奏を観られたのは大満足だった。しかし90ドル+ドリンク代というのは(東京で観るよりも安いとはいえ)なかなかの出費であった。観客の8割方はジャズファンの旅行者といった印象で、デートの一環として楽しんでいるカップルも他の店よりも多い。東京のジャズクラブよりもカジュアルな装いが目立つ。
しかしながら、チック・コリアのプレイは、前日のヴィレンジ・ヴァンガードで聴いたバリー・ハリスの“ビバップな演奏”とは全く異質のものであった。いわば、バリー・ハリス(の世代)が創ったジャズを受け継ぎ、あたらしいジャズを拓いたのがチック・コリアである。無論、この代謝と進化は現在も続く。そんなジャズの歴史に名を刻む“当事者たち”の演奏が、いまも普通に、毎夜のように繰り広げられているのだ。その空気を体感できたのは、筆者にとって非常に意義深い出来事であった。
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