投稿日 : 2019.09.02 更新日 : 2020.07.21

【ジョアン・ジルベルト】”ボサノヴァの神様”の圧倒的なソロ・ステージ/ライブ盤で聴くモントルー Vol.12

文/二階堂 尚

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

ボサノヴァの創始者であり、晩年は静かな蟄居生活を続けていた巨匠ジョアン・ジルベルトがこの7月に亡くなった。生涯に残した作品は決して多いとは言えないが、その歌とギターの美しい響きは、世界中のリスナーの心深くに確かに刻まれた。今回は、その”ボサノヴァの神様”の1985年のステージの記録を取り上げる。

観客の合唱にスキャットで応えた「神」

ジョアン・ジルベルトが事実上のデビュー作である『シェガ・ヂ・サウダーヂ(想いあふれて)』をレコーディングしたのは1958年だった。それに先立つ2年ほどの間の彼の生活は、ほぼ伝説となっている。田舎町に住む姉の家に居候し、バスルームに連日何時間も引きこもってギターの練習を続けたという逸話は事実だったようで、最近公開されたドキュメント映画『ジョアン・ジルベルトを探して』には、現在も残るそのバスルームが登場する。

もっとも、ジョアンがギターを弾き続けていたのは、バスルームというよりも、その中にあるトイレだったらしい。ボサノヴァとはいわば、便器の上で、引きこもりの若者の必死の努力によって生み出された音楽であった。ジョアンが世間から逃走していたその2年間を、『ボサノヴァの歴史』の著者ルイ・カストロは「自己の内側の地獄へと下るこの孤独な旅」と表現している。その「孤独」こそがジョアンの出発点であり、また生涯を通じての彼の音楽の基調であった。

キャリアの後期には弾き語りをほぼ固定したスタイルとしたジョアンだったが、ソロ演奏がオフィシャルな作品となったのは、1985年のモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージを記録したこのアルバムが初めてだった。この年のモントルー・フェスには、ジョアンとともにボサノヴァを創始したアントニオ・カルロス・ジョビンも自己のバンドで出演している。64年の名盤『ゲッツ~ジルベルト』以来の共演なるかと多くの人が期待したが、結局ジョアンはただひとりで演奏することを選んだ。

もちろん演目にジョビンの作品は入っていて、うちアルバムには「白と黒のポートレート」「イパネマの娘」「デサフィナード」「フェリシダージ」と代表曲4曲が収録されている。その他の多くの曲はサンバの古典で、音楽プロデューサーの中原仁 氏は、「あらためてジョアンの本質がサンビスタであることを実感できる」と日本盤のライナーノーツに書いている。「サンビスタ」とはすなわちサンバを愛するサンバ人といった意味である。

ボサノヴァが画期的だったのは、バチーダと呼ばれるギターのビートと語りかけるような抑制したボーカルがそれまでのブラジル音楽になかったものだったからだ。しかし、そればかりではない。歌詞の一語一語を貴重な宝石を扱うような手つきで丁寧に扱ってみせたジョアンの言語感覚がなければ、おそらくボサノヴァはこれほど多くの人に愛される音楽にはならなかった。

「想いあふれて」の録音以前、当時の音楽仲間でのちに著名な音楽家となったロベルト・メネスカルの前で、ジョアンはドイツの詩人リルケの「若き詩人への手紙」を最初から最後まで暗唱してみせたという。「若き詩人への手紙」は、その名のとおりリルケが書いた手紙を、したがって「散文」を集めたもので、日本語版は文庫で60ページに及ぶ。自らはあまり曲をつくらなかったジョビンだが、60ページの散文を諳んじるその能力をもって、他人の曲の歌詞を自らの肺腑の言葉とした。ポルトガル語がわからなくても、声とギターだけの彼の演奏を聴けば、その言葉の純粋な美しさを味わうことができる。それはまさしく自己の内面に語りかけるような、静かで孤独な、しかし確かな手ごたえをもった言葉である。

モントルーのステージでは、そのたったひとりの演奏に別の要素が加わる瞬間がある。観客の歌だ。終始破れるほどの歓声をもってジョアンの演奏に賛辞を送ってきた観客が、後半の「フェリシダージ」の途中、静かにサビを歌い始める。それを聴いたジョアンは、観客に歌を委ねるように、歌詞をスキャットに切り替えて、メロディをフェイクする。「悲しみに終わりはないけれど、幸せはいつか終わる──」。会場を包んだその静かな合唱によって、1985年7月のこの日この場所が、曲の歌詞に反してどれほど幸福な空間であったかがわかる。「奇跡の来日」と言われた2003年9月の東京国際フォーラム・ホールAがそうであったように。

 

2019年7月6日、ジョアン・ジルベルトはひっそりとその生涯を終えた。「芸術作品ほど言語に絶したものはありません、それは秘密に満ちた存在で、その生命は、過ぎ去る我々の生命のそばにあって、永続するものなのです」(「若き詩人への手紙」)──。ジョアンが残した音楽の秘密と生命もまた、人々の心のうちに永続していくに違いない。

※引用は『ボサノヴァの歴史』(ルイ・カストロ著、国安真奈訳/音楽之友社)、『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』(リルケ著、高安国世訳/新潮文庫)より

Live At The 19th Montreux Jazz Festival JOan Giberto

『ライヴ・アット・ザ・19th モントルー・ジャズ・フェスティバル』
ジョアン・ジルベルト
■【Disc1】1.Tim Tim por Tim Tim 2.Preconceito 3.Sem Compromisso 4.Menino Do Rio 5.Retrato Em Branco 6.Pra Que Discutir Com Madame 7.Garota de Ipanema 8.Desafinado 9.O Pato 【Disc2】1.Adeus Amrica 2.Estate 3.Morena Boca de Ouro 4.Felicidade 5.Sandlia de Prata 6.Aquarela Do Brasil
■João Gilberto(vo,g)
■第19回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1985年7月18日

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