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ローリング・ストーン誌ブラジル版にて、「現存するブラジルのシンガーとして最も重要な存在」と評されるマリーザ・モンチ。彼女の何がすごいのかを、6つのポイントと共に簡潔に紹介していこう。
① 生い立ちからセンセーショナルなデビューまで
1967年7月1日、リオデジャネイロ生まれ。マリーザ・モンチは、少女時代から音楽に親しみ、ハイスクール在学中にはロック・ミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』に出演。18歳でイタリアに留学しオペラを学びます。しかし、滞在中に「本当に歌いたいのはブラジル音楽」であることに目覚め、帰国。 1987年よりリオのライヴハウスで歌い始めるようになります。無名の新人ながら、オペラの歌唱からジャニス・ジョプリンばりのシャウトまで交え、新旧のブラジル楽曲を歌うパフォーマンスは口コミで拡散、ライヴはロングランを記録します。
1989年には、リオの大ホールで行なったコンサートを収録したファーストアルバム『Marisa Monte』をリリースしたことで、さらなるセンセーションを巻き起こしました。MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)の伝統と、ロック世代の感性を併せ持つ表情豊かな歌唱力、妖艶な美貌を備えた若き歌姫は、ブラジル音楽の新時代ヒロインとなったのです。
② 現代の女性シンガー・ソングライターのパイオニア
表現者としてデビューしたファーストアルバムから一転、アート・リンゼイをプロデューサーに迎えた1991年のセカンド・アルバム『Mais』では、シンガー・ソングライター(SSW)としての才能を披露しました。
故エリス・レジーナ/ガル・コスタ/マリア・ベターニアといったMPBの先輩女性歌手のほとんどが 「歌」に徹していたのに対し、マリーザは女性自身が「曲や詩を作って歌う」姿勢を打ち出し、アドリアーナ・カルカニョット、ゼリア・ドゥンカンといった同世代のアーティストもそれに続くようになりました。21世紀に入ると、下の世代の女性シンガー・ソングライターも続々と登場。マリーザは新たな女性アーティスト像の先駆けとなったのです。
彼女の主な共作者は、サンパウロのロック・バンド、チタンス出身のアルナルド・アントゥニス。バイーア出身のカルリーニョス・ブラウン。この3人によるスーパー・ユニット、トリバリスタスも結成して2枚のアルバムを発表し、自身のアルバムでも3人での共作を続けています。
また、マリーザと双璧をなすSSWの才女、アドリアーナ・カルカニョットとも共作を行なっています。その中の1曲「Pelo Tempo Que Durar(時のつづく限り)」は、リオ・オリンピック閉会式の聖火が消えるシーンで、バイーア出身の女性歌手マリエーニ・ヂ・カストロが歌いました。
③ ブラジルのレア・グルーヴ・ハンター
マリーザ・モンチのレパートリーには、オリジナル曲のほか、ブラジル音楽が有する多彩なジャンルの曲があります。カエターノ・ヴェローゾ/ジルベルト・ジル/ジョルジ・ベン(現在名はジョルジ・ベンジョール)といったMPBの先輩たちによる楽曲以外にも、ブラジルのソウル・マンである故チン・マイアの曲、60年代末にカエターノやジルが率いたトロピカリアのムーヴメントに参加したロック・バンド、ムタンチスの曲、ロックと伝統音楽をミックスして70年代に活躍したノヴォス・バイアーノスの曲なども歌いました。彼女は、90年代後半にムタンチスやノヴォス・バイアーノスの音楽が再評価される機運を先取りしたのです。
ノヴォス・バイアーノス「A Menina Dança」
1996年のアルバム『Barulhinho Bom(グレート・ノイズ)』と同名のDVDでは、解散していたノヴォス・バイアーノスのメンバーにマリーザが声をかけて行なった、ライヴ・セッションが収録されています。これを機に、ノヴォス・バイアーノスはリユニオン公演も行ないました。マリーザの、温故知新を通じて時代の一歩先を見抜く洞察眼は、さすがの一言です。
④ サンバとの深いつながり
MPBからブラジルのソウルやロックまで歌う一方、マリーザはサンバを愛し、キャリアの初期からサンバの名曲も歌ってきました。父がリオのエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバチームを総称する本国名称)の名門チーム、ポルテーラの役員をつとめていたことも理由のひとつです。
2000年には、ポルテーラの長老たちによるグループ、ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラのアルバム『Tudo Azul』を手始めに、彼らのアルバムをプロデュースしていきます。また、ポルテーラ出身のサンバの大御所、パウリーニョ・ダ・ヴィオラとの交流を通じ、ポルテーラの作曲家が作った未発表楽曲を発掘する作業も行ない、それらの曲を『Universo Ao Meu Redor(私のまわりの宇宙)』(2006年)の中で録音。埋もれていた曲を世に紹介する役も果たしました。また、ポルテーラのサンバにスポットを当てたドキュメンタリー映画『O Mistério do Samba』(2008年)のプロデューサーもつとめました。
「彼らは私の音楽が変わるいちばん大きなきっかけをくれました。他に仕事を持ちながら、本当の人間的な感情からくる、必要性をもった音楽を作りだしている彼らは、純粋で、とても誠実です」。マリーザはこうコメントしています。
⑤ 世界中の音楽家とコラボレーション
マリーザはセカンド・アルバム『Mais』でアート・リンゼイをプロデューサーに迎えます。彼の紹介により、坂本龍一/バーニー・ウォーレル/ジョン・ゾーン/マーク・リボーらとも共演しました。その後も、『Memórias, Crônicas e Declarações de Amor』(2000年)までは、アート・リンゼイとの共同プロデュースでアルバムを制作。伝統と先端が共存する独創的なサウンド・プロダクションを行なってきました。アート・リンゼイはマリーザを “The most organized person on the planet”(世界一のしっかり者) と評しています。
彼女は現在に至るまで、世界各国の様々な音楽家とのコラボレーションを続けています。代表的な共演者をあげていきましょう。デヴィッド・バーン/デヴェンドラ・バンハート/ジェシー・ハリス/西アフリカの島国カボ・ヴェルデの “裸足のディーヴァ”こと故セザリア・エヴォラ/メキシコのシンガー・ソングライターであるフリエッタ・ベネガス/映画音楽の作曲家としても活躍しているアルゼンチンのグスターボ・サンタオラージャ/ポルトガルのファド新世代の歌手カルミーニョ・・。
編集盤『Coleção』(2016年)では、それら国内外の多彩な音楽家と共演した楽曲を聴くことができます。
⑥ マリーザ・モンチがブラジルに与えた影響
‘90年代から現代まで、MPBはロック、ソウル、ヒップホップなど海外の様々な音楽もミックスして発展してきました。マリーザはその先駆者であり、シンガー・ソングライターの才能、歌唱スタイル、プロデュース力などは、ヴァネッサ・ダ・マタ/ホベルタ・サー/アレクシア・ボンテンポといった、今世紀に登場したブラジルの女性シンガーたちの手本になっています。
2016年には新世代の男性歌手シルヴァが、マリーザのオリジナル曲をカヴァーした作品集『Silva Canta Marisa』を発表。マリーザもゲスト参加し、シルヴァと共作した新曲をデュエットしました。
コンサートでは、日本でも何度も個展を開いているブラジルの現代美術家、エルネスト・ネトの作品をステージに設置したり、曲ごとに映像作家の作品をスクリーンに映写するなど、音楽とヴィジュアル・アートの融合にも挑んできました。音楽を軸に、幅広い審美眼を備えたマリーザのトータル・アートは、今後さらに熟成していくことでしょう。