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ピアノの鍵盤は、白と黒の無彩色。そこから「色彩」を生み出そうとしたのが、上原ひろみの最新作『Spectrum』だ。このアルバムの収録曲には、それぞれ「色」のテーマが与えられ、アルバムを通して彼女独自の色彩感覚が表現されている。さらに、すべての曲が「ソロ演奏」によって構成されているのも、本作の大きな特徴だ。
色彩と独奏。このテーマには、彼女の “ある特殊な知覚” も反映されているという。
「ゾーン」に入ればどこまでも行ける
──ソロ・ピアノでアルバムを発表するのは10年ぶりですね。このタイミングで再びソロ作品をつくった理由は?
以前から、10年の間に “最低でも一枚はソロ・ピアノを出す” ことをピアニストとしての自分の目標にしていたんです。『Place To Be』(2009年のアルバム)から、あっというまに10年近くが経ってしまって、録音するなら今だと思いました。
──制作の過程で、この10年間の自分の変化や成長を感じましたか?
ピアノとの距離がより近くなったという感じはありますね。音色のバリエーションが増えたし、自分が表現したいものを以前よりも表現できるようになりました。ピアノの音も、よりふくよかになったと自分では感じています。
──ソロで演奏するときの、楽しさと大変さ。ご自身ではどう感じていますか?
演奏をしていて行き詰まることはどんなミュージシャンでもあると思うのですが、そういうときにほかの演奏者がいれば背中を押してもらえます。でも、ソロだと難しい局面を自分で切り拓かなければなりません。一方で、コードもテンポもそのときの気分でいくらでも変えられるという自由さがあります。無限の自由がある一方で、自分一人で背負わなければならないものも大きい。それがソロ演奏だと思います。
──今回のレコーディングでも難しい局面があったのでは?
ありました。自分の演奏が “ゾーン”に入ったときのソロは最強なんですよ。どこまでも行けるような気持ちになります。でも、なかなかゾーンに入れないときや、一度入ったのに出てしまったときは、一人で何とかしなければなりません。あらためて、ソロの楽しさと難しさを知りました。
──以前のインタビューで、上原さんは熱心な『スター・ウォーズ』ファンであると話していました。今回のレコーディングは、『スター・ウォーズ』シリーズのジョージ・ルーカス監督が所有する「スカイウォーカー・スタジオ」で行なったそうですね。
そうなんです。『スター・ウォーズ』の曲をオーケストラが録音したすごく広いスタジオで、たった一人で演奏するというとても贅沢な経験をさせていただきました。スタッフが気を遣ってスタジオの隅にチューバッカ(※1)のパネルを立ててくれたり(笑)。リラックスして録音できました。
※1:『スター・ウォーズ』シリーズに登場するキャラクター。
──フォース(※2)の恩恵もあったのではないですか(笑)。
ありました(笑)。いろいろな歴史的作品がレコーディングされた場所ですから、先人のエネルギーを感じましたね」
※2:『スター・ウォーズ』シリーズに登場する用語。超常的な力の源となるエネルギーのこと。
調性を色彩で捉える感覚
──アルバムのテーマは「色彩」で、ほぼすべての曲に色にまつわるタイトルがつけられています。
小さな頃から、よく音に色が見えていたんです。たぶん、最初に習ったピアノの先生が楽譜の指示を色鉛筆で色分けしてくれていたことが大きかったのだと思います。フォルテは赤でピアノは青だったので、私はずっとフォルテを “強く弾く” というよりも “赤く燃える火のように情熱的に弾く” と感じていたし、ピアノは “ブルーな感じでメランコリックに弾く” と捉えていました。今回のアルバムでは、そんな色と音の密接な関係をテーマにしてみようと思いました。
──「音に色が見える」というのはどういう感覚なのですか。
一つ一つの音というよりも、調性に対して色を感じると言った方がいいかもしれません。メジャーとマイナーでは色調が変わるし、同じメジャーキーでも、例えばCメジャーとA♭(フラット)メジャーの色は違います。CメジャーよりA♭メジャーの方が、少しくすんだ色に感じられます。曲をつくるときも、いろいろなキーを試してみて、その曲がいちばん欲している色を見つけるようにしています。
──あらゆる音に対して異なった色を感じる人もいますよね。一般的には「共感覚」と呼ばれていますが……。
人の言葉に色を感じるとか、オーラがいろいろな色で見えるとか、そんな感覚ですよね。そんな力は私にはありませんよ(笑)。私は同じ曲でもそのときの気分でいろいろな色にできると思っていて、例えば同じ青でも、深い青にしたり、澄んだ青にしたり、濁った青にしたり、いろいろな表現の仕方があります。そのカラーリングのバリエーションが多いほど、ピアニストとしての表現力があるということなのだと考えています。
──考えてみれば、ピアノの鍵盤は白と黒のモノトーンですね。
そこからいろいろな色彩が生まれて、音に乗って広がっていくわけですよね。その感じがすごく面白いと思っています。
チャップリンの色彩感
──1曲目の「Kaleidoscope」は万華鏡という意味。まさに異なる色が混ざり合うようなイメージの曲です。
万華鏡の中で色が幾何学的に混じり合うようなイメージで作った曲です。電子音楽のようなビートを刻んでいるのですが、その上で電子音楽とは違ったことをやるというのがこの曲のモチーフでした。
──3曲目のタイトルは「Yellow Wurlitzer Blues」ですが、ワーリッツァー(※3)を弾いているわけではありませんね。
黄色いワーリッツァーが置いてあるバーがあって、それを弾くと、いろいろな人が集まってきて、みんな一緒に歌ったりするんですよ。魔法のような楽器で、それをテーマにした曲です。
※3:フェンダー・ローズと並ぶエレクトリック・ピアノの代表的ブランド。
──この曲と6曲目の「MR. C.C.」はトラディショナルなスタイルで弾いています。「C.C.」はチャールズ・チャップリンのことだとか。
もともとストライド・ピアノが好きで、一人で演奏するとそのスタイルで弾きたくなるんです。バークリー音楽院に通っていた頃に、モノクロの無声映画に音楽をつけるというイベントがあって、そのときに自分のストライド・ピアノが古い映画によく合うことに気づきました。そのときのことを思い出して、架空のサウンドトラックをつくってみようと思ったんです。
──まさしく、チャップリンが走り回っているような雰囲気の曲。
そうなんですよ。レコーディングしてから、YouTubeでランダムにチャップリンの映画を流しながら曲をかけてみたのですが、まるで曲に合わせているようにチャップリンが転んだり、変な顔をしてくれたりするんです。
──これは今回のアルバム中、唯一、色の名前がタイトルに入っていない曲でもあります。
色の名前はつけていませんが、チャップリンの色彩感をイメージしています。私の中では、チャップリンはモノクロ映画でもすごく鮮やかな色彩を見せる人なんです。彼の映画を見て、人は必ずしも色がなくても色彩を感じられるということがわかりました。白黒だけど色彩が見えるというのは、ピアノの鍵盤とも共通しますよね。
──ちなみに、この曲名はジョン・コルトレーン「Mr. P.C.」(※4)のオマージュも含まれている?
よく気づいてくださいました(笑)。なかなか気づいてくれる人がいなかったので嬉しいです」
※4:ジョン・コルトレーンが1960年に発表した曲。「P.C.」とは、ベーシストのポール・チェンバースのこと。アルバム『ジャイアント・ステップス』に収録。
弾くほどにピアノが好きになる
──8曲目の「Rhapsody in Various Shades of Blue」は20分を越える大作です。この曲は、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」に、コルトレーンの「ブルー・トレイン」、ザ・フーの「ビハインド・ブルー・アイズ」を加えた、ユニークな構成ですね。
「ラプソディ・イン・ブルー」にいろいろな曲を挟み込んでいく演奏は、これまでも何度かやっていました。今回はアルバムのテーマに合わせて、“ブルーつながり“ で自分が好きな曲を入れてみました。それぞれの曲が自然につながって聴こえるようにアレンジを工夫しています。『あれ? ガーシュウィンを聴いていたのに、いつのまにザ・フー?』みたいな(笑)。
──青の色調がグラデーションでどんどん変わっていくようなイメージもありますね。ザ・フーは好きなんですか。
もう、マニアレベルで大好きです。トリオ・プロジェクトで一緒にやっているサイモン(フィリップス)が、以前ザ・フーのツアー・メンバーだったことがあって、バンドの裏話を聴くのがいつも楽しみでした。おととし、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールで演奏したのですが、楽屋口に入ったらピート・タウンゼンドとロジャー・ダルトリーの写真が飾ってあって。思わず拝んじゃいました(笑)。
──こうして新作を完成させて、あらためて感じたことを教えてください。
淀川長治さんではないですが、「ピアノって、本当にいいですね」って感じです。弾けば弾くほどピアノが好きになるし、もっともっと弾きたくなる。そんなことを感じました。これから全国をソロで回るので、皆さんにもぜひピアノの素晴らしさをあらためて味わっていただきたいと思っています。
取材・文/二階堂 尚
撮影/平野 明
上原ひろみ『Spectrum』(ユニバーサルミュージック)2019年9月18日 発売