投稿日 : 2019.09.16 更新日 : 2020.07.21
【カーティス・メイフィールド】ミュージシャンからのリスペクトを一身に集めたソウル・アイコン /ライブ盤で聴くモントルー Vol.13】
文/二階堂 尚
「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。
70年代のニュー・ソウル・スターのひとりであり、90年代以降のレア・グルーヴ・ブームの中で圧倒的なリスペクトを集めたソウル・アイコン、カーティス・メイフィールド。彼がモントルー・ジャズ・フェスティバルのステージに立ったのは1987年のことである。小編成のバンドによるそのパフォーマンスは、彼の復活劇の始まりでもあった。
復活への第一歩を記録した80年代のステージ
優れたミュージシャンには、音楽の神が憑りついたように歴史的傑作を連発する時期がある。例えば、『トーキング・ブック』(1972)から『キー・オブ・ライフ』(76)までのスティーヴィー・ワンダー、あるいは『1999』(82)から『サイン・オブ・ザ・タイムス』(87)までのプリンスは、まさしくそんな神憑りの時期にあった。カーティス・メイフィールドにとって、インプレッションズ脱退後に最初のソロ・アルバム『カーティス』(70)を発表してから、『スーパー・フライ』(72)を経て、最高傑作といわれる『ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ』(75)に至る6年間がその絶頂期に当たる。
コーラス・グループで磨いたファルセット・ボイス、ワウワウを多用したリズム・ギター、ストリングスとホーンとパーカッションによって織りなす華麗なアレンジがその頃のカーティスの音楽の特徴だった。彼はそのサウンドに乗せて、ときに米国に生きる黒人の苦しみを静かに語り、ときに同胞を力強く鼓舞するメッセージを発した。その音楽の頂点をなすのが『ゼアズ・ノー・プレイス~』である。発売時のチャート・アクションは低調だったものの、その重く、悲しく、クールなファンクは、のちに高く評価されることになった。
このアルバム以降、彼は社会派ミュージシャンから、ラブ・ソングを歌うシンガーへの移行を鮮明にし、それにともなってシーンの前線からも徐々に後退していった。彼が再び注目を集めるようになるのは、80年代の半ばになってからである。おりしも英国ではソウルやジャズがブームとなり、ポール・ウェラーやDr.ロバートといったロック畑のソウル・マニアがカーティスを担ぎ出して、彼の音楽を讃えた。英国の名門クラブ、ロニー・スコッツでおこなわれたその時期のライブを納めたDVDでは、ポール・ウェラーによるカーティスのインタビュー映像が曲間にインサートされている。
モントルー・ジャズ・フェスティバルのステージにカーティスが立ったのは、そうして再評価が進んでいた87年のことである。翌年にはその記録が『ライヴ・イン・ヨーロッパ』として発売されたが、アルバムにはモントルーの演奏であることは一切クレジットされていない。ジャケットのイラストに描かれているのもロンドンの街角である。それでもこれがモントルー・フェスの音源であると断言できるのは、のちにDVDで発売された『ライヴ・アット・モントルー1987』とMCも演奏も曲順もすべて同じだからだ。『ライヴ・イン・ヨーロッパ』では、数曲でフルートやコーラスやSEがオーバーダビングされているが、それが唯一の違いである。
バンドはカーティスのボーカルとギターに、ベース、ドラム、キーボード、パーカッションを加えた5人編成で、ホーンやストリングスがないぶん、演奏はタイトである。冒頭のインスト曲を始め、ジャズ色の濃い演奏も随所に聴くことができる。カーティスのフィンガー・ピッキングによるいぶし銀のリズム・プレイと、観客をあおるパーカッションが聴きどころだ。
DVDは『ライヴ・アット・モントルー 1987』としてリリースされている。
ステージ終盤で名曲「ムーヴ・オン・アップ」の演奏を終えて袖にはけたカーティスは、再びステージに戻って「イフ・ゼアズ・ヘル・ビロウ」と「ホエン・シーズン・チェンジ」の2曲を最後に歌う。ソロ・デビュー作の冒頭曲と、黄金期の最後を飾った『ゼアズ・ノー・プレイス~』からの曲だ。自ら過去の栄光にけりをつけ、再出発を図ろうとした選曲──。そう見るのは穿ちすぎだろうか。
この後カーティスは、70年代ソウル/レア・グルーヴの再評価の波に乗り、若いヒップ・ホップ・アーティストからのリスペクトを一身に受けてシーンの前線に本格的に戻ってくることになる。90年作の『テイク・イット・トゥ・ザ・ストリート』が復活の第一弾だった。しかし、復活劇は長くは続かなかった。同年、彼はステージ天井から落下してきた照明機器の下敷きとなり、下半身不随となって再びシーンから姿を消すこととなる。
遺作となった『ニュー・ワールド・オーダー』のオフィシャルMV。
障がいを負った後の唯一の作品であり、遺作にもなった96年の『ニュー・ワールド・オーダー』にコーラスで参加したアレサ・フランクリンは、「ゴー・アヘッド、メイフィールド」と曲中で静かなエールを送った。思うに、ミュージシャンから深く愛されたという点で、カーティス以上のアーティストはいなかったのではないだろうか。ジェフ・ベックもボブ・マーリーもレニー・クラヴィッツも、山下達郎も近藤房之介も田島貴男も、みんなカーティスが大好きだった。
モントルーのステージの最後でカーティス・メイフィールドは、「今歌った曲は悲しい曲だけれど、私は皆さんのこれからの人生が幸福であることを願っています」とオーディエンスに向けて語っている。社会への抗議と、生きる悲しみと、幸福の穏やかな希求とをまったく同じ重さで歌うことができた、本当に稀有なシンガーであった。
『ライヴ・イン・ヨーロッパ』
カーティス・メイフィールド
■1.Introduction 2.Ice-9 3.Back To The World 4.It’s Alright/Amen 5.Gipsy Woman 6.Freddie’s Dead 7.Pusherman 8.We’ve Gotta Have Peace 9.We’ve Only Just Begun 10.People Get Ready 11.Move On Up 12.If There’s A Hell Below 13.When Seasons Change
■Curtis Mayfield(vo,g)、Benny Scott(b)、Lee Goodness(ds)、Frank Amato(kb)、Henry Gibson(perc)
■第21回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1987年7月18日