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【ディジー・ガレスピー】変則トリオで繰り広げたグルーヴィなセッション/ライブ盤で聴くモントルー Vol.15

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

ビバップの創始者、ラテン・ジャズの勃興者、ビッグ・バンドのリーダー、アメリカの初代ジャズ大使──。ディジー・ガレスピーにはさまざまな顔があった。10回近く出演したモントルー・ジャズ・フェスティバルにも毎回異なる編成で臨んだ彼だったが、1980年のステージはとくに一風変わったものだった。ベースもピアノもいない変則的なトリオ。その編成で繰り広げられたのは、クールでグルーヴィなジャズ・ファンクのセッションだった。

「普通ではない」メンバーが生み出す怒涛のグルーヴ

ステージの冒頭、フェスティバルのプロデューサーのクロード・ノブスによる恒例のアーティスト紹介がおこなわれる。英語とフランス語が混在したその紹介の中で、彼はこのトリオを「ヴェリー・アンユージュアル」と表現している。何が「普通ではない」のかはすぐに明らかになる。

メンバーは、ディジー・ガレスピーとトゥーツ・シールマンス。なるほど「ビバップ父さん」と「ハモニカおじさん」のほのぼのとしたセッションか。しかし、そこにバーナード・パーディが加わるという。ジェームズ・ブラウン、アレサ・フランクリン、ギル・スコット・ヘロンなど数々のソウル界の大物と仕事をしてきたドラマーである。さらに、ギターを携えてステージに登場したシールマンスを見て、観客は大いに納得したのではないか。なるほど、これはアンユージュアルだ、と。

大きく膨らむほっぺたと、ベルの曲がったトランペットがトレードマークのディジー・ガレスピー。

このトリオのブッキングをノブスに提案したのは、ノーマン・グランツだったらしい。ヴァーヴやパブロといったレコード会社の創設者であり、JATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)の興行でジャズを世界中に広める功績のあったグランツは、「観客を驚かすのはモントルー・フェスティバルの趣旨に合っている」と意想外な人選を進言し、ノブスはそれに乗った。かくして、ビバップの創始者であるトランペッターと、ハーモニカを本職とするギタリストと、R&B界のファースト・コール・ドラマーによる変則トリオが結成されたのだった。

もっとも、シールマンスにとってギターは決して余芸ではなく、もともとのデビューはギタリストとしてだった。ジャンゴ・ラインハルトに影響されたというそのギター・プレイを1950年代のアルバムで聴くことができる。その頃のドイツのライブハウスでのプレイを見て感化されたのが、ビートルズでデビューする前のジョン・レノンだった。彼がのちにトレードマークとなったリッケンバッカーのギターを手にしたのは、シールマンスが使っていたからだと言われる。彼がリッケンバッカーを弾いていなければ、レノン、ジョージ・ハリスンから、ピート・タウンゼンド、ロジャー・マッギン、ポール・ウェラー、ジョニー・マーへと至るロック界の「リッケンバッカー党」が形成されることはなかったということだ。


1959年、ジョージ・シアリングのバンドで聴かれるシールマンスのギター・プレイ。

さて、この3人から果たしてどんな音が発せられるのかと、当日の観客はかたずを飲んで見守っていただろう。はじめにパーディのあのグルーヴの塊のようなドラムがミドル・テンポで鳴り、そこにシールマンスのエレクトリック・ギターのリズム・カッティングが加わる。そっと入ってくるガレスピーの抑えた音はまるでマイルスのようだ。この最初の1分30秒ほどでこのトリオの音楽の方向性が示される。すなわち、パーディを軸にしたジャズ・ファンクである。

『ソウル・ドラムス』バーナード・“プリティ”・パーディー/ガレスピーとシールマンスというジャズのベテランふたりと相対するは、当時41歳のバーナード・パーディー。アレサ・フランクリンやキング・カーティスとの共演で、ソウル、R&B寄りのドラマーとして知られていたドラマーだ。

この長尺のファンク・セッションに続いて、スロー・ブルースのセッションが始まるが、違和感はない。4ビートではないグルーヴを3人で表現するという意志は持続している。シールマンスの味わい深いギターに続いて、これも味のあるガレスピーのトランペットが登場する。いつものハイノートや高速のパッセージを控えて、フィーリング重視の達意のプレイを聴かせる。シールマンスのソロに続くのは、ガレスピーのダミ声ボーカルで、会場と和やかなコール&レスポンスを繰り広げる。

3曲目の「マンテカ」は、ガレスピー自作の有名なラテン・ジャズ・チューンだが、ここでも熱量は抑え気味だ。シールマンスがミュート・プレイで有名なテーマを提示し、そこにガレスピーが、ラテン・ジャズのギラギラした音ではない抑制した音をかぶせてくる。これもタイトなファンク・セッションと言っていいが、ガレスピーの無伴奏ソロを挟んで、倍のテンポになってラテン風の演奏で終えるところに工夫が見られる。

「マンテカ」が終わると間髪を入れずに妙な振動音が鳴り出す。ガレスピーが奏でるジューズ・ハープ(口琴)だ。当代随一の口風琴(ハーモニカ)の名手にハーモニカを吹かせず、自分で口琴を吹くあたりは、ガレスピー一流のセンス・オブ・ヒューモアのあらわれと言っていいだろう。客席も大いに盛り上がっている。この2分半程度の小曲でステージはいったん終わり、大歓声の中、再びクロード・ノブスの紹介でガレスピーが登場し、最後のリラックスしたセッションでステージは終わる。本当にあっという間の5曲である。

ガレスピーは、ある時期までアメリカ・ジャズ界における顔役であった。1956年からアメリカ政府が取り組み始めた「ジャズ大使」のプログラムにおいて、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、スタン・ケントンらの候補者を抑えて初代大使に選出されたのが彼である。ビバップというならず者の音楽の創始者の一人でありながら、アメリカのエンターテイメント界を代表する立場に選ばれたのは、彼が宗教上の理由から当時のモダン・ジャズ界では例外的にドラッグや酒に溺れることがなかったからだが、同時に彼の人柄の魅力もあった。ジャズ大使を選ぶパネル委員は、ガレスピーを「教養があり、奇妙なふるまいをする知的なコメディ俳優で、音楽はおもしろい」と評価したという(『ジャズ・アンバサダーズ』齋藤嘉臣/講談社)。

モダン・ジャズにおけるシリアス・サイドを代表したのがマイルスやコルトレーンだったとすれば、ファニー・サイドを代表したのが彼らの先輩に当たるガレスピーだった。しかし、80年のモントルーのステージで彼が見せたのは、クールなソウル・マンとしての顔である。『ソウル&サルヴェーション』や『ザ・リアル・シング』と並ぶガレスピーのレア・グルーヴの秀作として、広く聴かれるべきアルバムだと思う。

 


『ディジタル・アット・モントルー1980』
ディジー・ガレスピー

■1.Introduction By Claude Nobs 2.Christopher Columbus 3.I’m Sitting On Top Of This World 4.Manteca 5.Get That Booty 6.Kisses
■Dizzy Gillespie(tp), Toots Thielemans(g), Bernard Purdie(ds)
■第14回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1980年7月19日

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