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『ビジネスマンのための(こっそり)ジャズ入門』

いまや、チェーン店の居酒屋でマイルス・デイビスが流れているようなご時世である。今夜もまた、ジャズなんか一切興味のないサラリーマンたちが「ものすごい演奏」を無自覚のまま聞き流しているはずだ。ちなみに、先日行った蕎麦屋ではビル・エヴァンスが流れていた。風俗店の待合室でセロニアス・モンクの演奏を聴いたこともある。往年のモダンジャズはいま「いい感じで聞き流せる音楽」として存在している。つまり、世間の多くの人たちにとってマイルス・デイビスは、デパ地下で流れているポール・モーリアと等価だ。

その一方で、いまだ「上等な趣味としてのジャズ」を自分のものにしたい、と願う人たちもいる。そのことは、書店に並ぶ「ジャズ入門書」の多さにを見れば一目瞭然だが、本書はそうした「入門書」の最新刊である。

入門書に必要なのは「誰にでもわかる」ことだが、これを担保するために著者は“サラリーマン社会”を選んだ。タイトルには“ビジネスマン”とあるが、要するに「会社にいる人」や「仕事で出会う人」を類型化し、有名ジャズミュージシャンに当てはめることで、難解とされる作品や演奏を理解しやすくする、という試みだ。

さらに本書では、対象を「モダンジャズ」に絞った。多くの人が「もっともジャズらしいジャズ」と認識するであろうモダンジャズに範囲を絞ることもまた、わかりやすさの追求である。まず第一章では徹底的に基礎を解説。いわゆるモダンジャズの演奏形態や、楽曲のつくりをわかりやすく説明する。これを踏まえて、第二章「ジャズジャイアンツはこんなビジネスマン」に突入。マイルス・デイビスやジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスなど、9人のジャズ偉人を挙げ“サラリーマン社会で出会う人”に類型化する。ジャズマン本人の“人となり”を象徴するようなエピソードをふんだんに盛り込み、映画やドラマの登場人物のように魅力的に描くことで、入門者の興味をいつしか“好き”の感情に導く。入門書としては極めて賢明な作法である。

この章では、ジャズマンたちが次のような見出しで紹介される。「自由に羽ばたく企画部員/チャーリー・パーカー」。「新製品に生命をかける開発部長/ビル・エヴァンス」。「精進努力の熱血営業マン/ジョン・コルトレーン」。それぞれが堅気のサラリーマンとして、ほのぼのと紹介されるわけだが、この章の登場人物のほぼ全員が麻薬常用者であったことを思うと、なかなか味わい深いものがある。そもそも彼らは「ビジネスマン的な社会性」を前提に語ってはいけない人たちである。しかも我々の想像を絶するような理不尽や過酷な差別にさらされてきた。とてもじゃないが「感覚を共有することができる相手」ではないのだ。だからこそ、誰でもわかるような“喩え”が有効なのだろう。

以降の章も「ジャズの入り口」としてふさわしいミュージシャンとその作品を挙げ、タイトル通りの手法で紹介。さらに「聴く楽しみ」を広げるプレイヤーとその作品を引き合いに出しながら、16組のジャズマンが魅力的に紹介される。意外と知らなかった話や、改めて笑えるエピソードも満載なので、ビギナー以外も十分に楽しめるのではないか。

https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0643402/

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