投稿日 : 2019.12.16 更新日 : 2020.07.17

【チャールズ・ロイド】フェスティバルの船出を捉えた貴重な記録/ライブ盤で聴くモントルー Vol.16

文/二階堂 尚

「世界3大ジャズ・フェス」に数えられるスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)。これまで幅広いジャンルのミュージシャンが熱演を繰り広げてきたこのフェスの特徴は、50年を超える歴史を通じてライブ音源と映像が豊富にストックされている点にある。その中からCD、DVD、デジタル音源などでリリースされている「名盤」を紹介していく。

1967年にスタートしたモントルー・ジャズ・フェスティバル。その最初のヘッドライナーに迎えられたのがチャールズ・ロイド・カルテットだった。キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットという、後にジャズ界を支えることになるプレイヤーを擁したこのカルテットがまさしく頂点にあったのがこの時期である。その貴重な音源が2019年についに日の目を見た。

半世紀の間眠っていた極上の蔵出し音源

「1967年のモントルーは古風で眠気を催すような街だった。しかし、人々が興奮している雰囲気が感じられたのも確かだ。誰もが素晴らしいことが始まろうとしていることを知っていた。そして、もう後戻りすることはないということを。そう、モントルー・ジャズ・フェスティバルだ。私は最初の海外アーティストとしてそこで演奏することになっていた。カルテットのメンバー、キース・ジャレット、ジャック・ディジョネット、ロン・マクルーアとともに」

第1回モントルー・ジャズ・フェスティバルでの録音から実に52年ぶりに発表されたライブ音源のライナー・ノーツで、チャールズ・ロイドはそう振り返っている。この時点で、以後半世紀以上にわたってフェスが続くことになると考えていた人はおそらく誰もいなかっただろう。その記念すべき第1回目のステージに、チャールズ・ロイド・カルテットはヘッドライナーとして出演した。

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レマン湖を望むスイスのリゾート地、モントルー。この風光明美な土地でジャズ・フェスティバルがスタートしたのは、1967年のこと。

しかし、どうやら話の順序は逆だったようだ。プロデューサー、クロード・ノブスとともにモントルー・フェスを立ち上げたジャズ評論家のルネ・ランゲルは、南仏のリゾート、ジュアン・レ・パンで1966年にノブスと初めて会って会話を交わした時のことをやはりライナー・ノーツに記している。ノブスはこう語ったという。

「昨日の夜、チャールズ・ロイドのすごいコンサートを見た。あの演奏が頭から離れないんだ。あのバンドをスイスに呼んで、フェスティバルを開催できないかな」──。フェスティバルにロイドを呼んだのではなく、ロイドに演奏させるためにフェスを企画したというのである。事実はおそらく、Office du Tourisme、つまり役所の観光局に勤めていたノブスの胸中に町興しのためのジャズフェス開催のアイディアがすでにあって、ロイドのステージを観たことでそれが確信に変わったということなのではないだろうか。いずれにしてもチャールズ・ロイドは、現在では世界でも最も著名な音楽イベントのひとつとなったフェスティバル発足の陰の立役者だったということだ。


ロイド、1966年の録音。ケルンでのラジオ放送用のレコーディングの他、7月に開催されたアンティーブ・ジャズ・フェスティバルの模様も収録。

第1回モントルー・フェスが開催された1967年は、マイルス・デイヴィスが純粋なアコースティック作品としては最後のアルバムとなる『ネフェルティティ』を録音した年であり、ジョン・コルトレーンが燃え尽きるようにして死んだ年である。ロック界を見れば、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表し、デヴィッド・ボウイ、ドアーズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがレコード・デビューしたのがこの年だ。アコースティック・ジャズが臨界に達する一方で、ロックが急速にアート化していく。そんな大衆音楽の激動期に船出したのがモントルー・フェスだった。

半世紀の間眠っていたこの蔵出し音源の収録曲は6曲。うち2曲は、およそ30分にわたる長尺演奏である。とりわけ圧巻なのがフリー・フォームのセッションが延々と繰り広げられる「スウィート・ジョージア・ブライト」だ。奇声を発し、ピアノの弦をはじくキース。タオルで弦をこするロン。雷鳴のようなドラムを轟かせるディジョネット。その自由すぎるリズム隊を背後にして、やはり自由すぎるサックスを吹くロイドはほとんどオーネット・コールマンのようである。

モントルーでのステージの4ヶ月後、チェコのプラハにおけるライブ映像。当時ディジョネット25歳、キース22歳、力強い演奏を聴かせている。

この演奏の前年に、ロイド・カルテットは米モントレー・ジャズ・フェスティバルでのライブ盤『フォレスト・フラワー』を発表している。100万枚を超えるメガ・セールスを記録したこのライブでも演奏がフリーに接近する瞬間があるが、モントルーでの演奏はその比ではなく、振り子が完全に振り切れている。欧州という磁場が彼らを解放したということなのだろう。モントレー対モントルー、と言えば言葉遊びのたぐいになるが、西海岸の陽光と爽快な浜風を感じさせる『フォレスト・フラワー』に比して、このモントルーのライブははるかに陰影と実験精神に富んでいる。

もちろん、すべてがフリーというわけではなく、ほかの曲ではこのカルテットならではの爽やかで美しい演奏を聴くことができる。バンドの代表曲「フォレスト・フラワー」のテーマが始まった瞬間に観客が待ってましたとばかりに湧くのが微笑ましい。特筆すべきは、全般にキースが演奏をリードする場面が多いことだ。このライブの直前にキースは初のリーダー・アルバム『ライフ・ビトゥイーン・ジ・エグジット・サインズ(邦題:人生の二つの扉)』を録音していて、まさに音楽人生の扉を大きく開こうとしていた。モントルーの会場の観客の少なさを見て「二度と来るか」とキースが怒ったというのは有名な話だが、その憤りの裏には自分の音楽への漲るような自信があったのではないか。この素晴らしい演奏はもっと多くの人に聴かれるべきだ、と。

もうひとつ注目したいのは、ジャック・ディジョネットのドラムである。彼はこのライブの2年後にマイルス・バンドに加入して初期のエレクトリック・マイルスの屋台骨を支えることになる。そのグルーヴの基礎はこのカルテットでできあがっていたことがよくわかる。

ブルーノートから発売されている近作も好調で、2019年夏の東京ジャズには若手中心の新バンド“キンドレッド・スピリッツ”で出演して意気軒高なところを見せたチャールズ・ロイド。『モントルー・ジャズ・フェスティバル1967』は、彼が最も先鋭的であった時代の記録であり、モントルー・フェスの始まりを記す貴重な資料でもある。

※引用は輸入盤CDの英文ライナー・ノーツより。


『モントルー・ジャズ・フェスティバル1967』
チャールズ・ロイド・カルテット
■【Disk1】1.Days And Nights Waiting、2.Lady Gabor、3.Sweet Georgia Bright 【Disk2】1.Love Ship、2.Love Song To A Baby、3.Forest Flower
■Charles Lloyd(ts)、Keith Jarrett(p)、Ron McClure(b)、Jack DeJohnette(ds)
■第1回モントルー・ジャズ・フェスティバル/1967年6月18日

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