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小曽根真が率いる15人編成のビッグ・バンド「No Name Horses」が、2019年に結成15周年を迎えた。その記念作として作られた『アンティル・ウィ・ヴァニッシュ 15×15』では、20歳のギタリスト、山岸竜之介を3曲で起用。プログレッシブ・ロックやファンクにも挑戦した意欲作である。
しかし、世界で最も知られた日本人ジャズ・ピアニストの一人である彼が、なぜいまロックやファンクに取り組むのか…。そこには「越境」への強い思いと、バンド・リーダーとしての決意があった。
探し続けた “すごい奴”
──ビッグバンド・ジャズの音を期待してアルバムを聴いた人たちはびっくりするのではないでしょうか。
CDを買った人が、「中身が間違ってましたよ」と返品してきそうなアルバムですよね(笑)。
──1曲目はドラマチックなプログレッシヴ・ロック、2曲目はファンクで、どちらでもギターが大々的にフィーチャーされています。
ロックという音楽には底なしでむき出しのエネルギーがあるでしょう。あれはジャズのエネルギーとは異質なものです。このバンドでそんなエネルギーを表現してみたいと思っていて、前々から若くて元気なギタリストを探していました。
結成15周年を機に、メンバー全員でまた知らない世界に行ってみたい。ギタリストはジャズを聴いたことがないくらいの人がいい。そんなふうに考えていました。
──それで、弱冠20歳の山岸竜之介を起用したわけですね。
レコーディングの時はまだ19歳でした。妻(女優の神野三鈴)が映画で共演した金子ノブアキ(RIZEのドラマー)さんに、「誰かすごいギタリスト知らないですか?」と相談したら、即答で竜之介を紹介してくれたんです。
初めて会ったときの第一声は「俺、譜面読めないですよ」(笑)。でも、「そんなことは全然かまわない。大切なことは君が僕の曲を気に入るかどうかだよ」と言って、デモ音源を渡しました。
すると、1週間後にLINEでメッセージが送られてきて「めっちゃやりたいです」と。そこで、ドラムと僕と竜之介と、あとはコンピューターを使ってセッションをしたのですが、僕の曲の世界観を見事に理解してくれていましたね。
──プログレやファンクは前から好きだったのですか。
エマーソン・レイク&パーマーのレコードを小学生の頃から聴いていました。来日したときは親父にライブ会場の甲子園球場に連れて行ってもらいました。ファンがステージに押し寄せてライブが中止になってしまって「展覧会の絵」が聴けなかったことを覚えています。
──あの伝説の初来日公演!? 小曽根さん、あの現場にいたんですね…。
そう。ファンクはタワー・オブ・パワーが昔から大好きだし、マイケル・ジャクソンとかモータウンとか。山下達郎さんもよく聴いていましたね。
──本作で小曽根さんはハモンド・オルガンも弾いていますね。
実家にハモンドのB-3があったんですよ。
──家にB-3があるって(笑)。
親父がオルガン・プレーヤーだったので。自宅にはM-3型という古いハモンド・オルガンで、それは日本に最初に入ってきた3台のうちの1台です。それを2歳くらいの頃から弾いていました。今まで何度かレコーディングにハモンドを使いましたが、ここまで弾いたのは今回が初めてです。チェスター・トンプソン(タワー・オブ・パワーのハモンド奏者)のプレイを参考にさせてもらいました。
感涙のクラシック体験
──近年はクラシックを演奏する機会も増えています。クラシックへの挑戦といい、今回のロックへの挑戦といい、ジャンルを超えていくという課題を自分に課しているように見えます。
幼稚園の頃にバイエルを練習するのがいやで、それ以来クラシックはずっと嫌いでした。プロになってから意識的に聴くようにはなったのですが、クラシックの曲って、提示部とか展開部とか再現部とか構成がしっかりと決まっているじゃないですか。「頭で演奏するからおもしろくない」と勘違いしていたし、自分には関係ない音楽だと考えていました。読譜が苦手なこともクラシックから遠ざかっていた理由の一つです。
転機は、2003年に札幌交響楽団の定期演奏会に呼んでいただいたことです。「ラプソディ・イン・ブルー」を弾くと思って引き受けたのですが、実際の演目はモーツァルトでした。それで、読めない楽譜を必死に読みながら、ピアノ協奏曲を初めて本気で練習しました。
感動して涙が出ましたね。クラシックの音楽言語の水準の高さがわかったし、楽譜に合わせて演奏しようが、即興でプレイしようが、音の物語を聴いた瞬間にどう感じるかがすべてだということに気づきました。それからですね、継続的にクラシックの演奏をするようになったのは。
──ロックをやりたいと思うようになった理由は?
2年くらい前、ロサンゼルスで演奏していたときのことです。ドラマーのデイヴ・ウェックルのバンドで出演していて、そこにマイク・ガーソンが聴きに来てくれたんです。彼はデヴィッド・ボウイのバンドの名キーボーディストで、素晴らしい曲を書く作曲者でもありますが、僕はそのとき彼のことを知らなかったんですよ。「ああ、俺はジャズ以外の音楽のことを本当に知らないんだな」と思いました。
壁がいろいろあったことに気付いたんです、自分の中に。そして同じような壁が世の中にあることにも。音楽のジャンルだけではなく、言語とか、宗教とか、ジェンダーとか、肌の色とか。そういう壁を死ぬまでに出来る限り壊していきたいと僕は思っています。今回、ロックやファンクに挑戦したのも、そんな思いがあったからです。
ミュージシャンの存在理由
──9曲中4曲はバンド・メンバーが書いたジャズ・チューンですね。自作以外の曲を比較的多く収録したのはなぜですか。
15周年記念作ということで、僕の曲だけでコンセプチュアルにまとめる方法もありました。でもあえてメンバーのオリジナル作品を取り上げて、自由な雰囲気を大切にすることにしたんです。「いま表現したいものを書いて欲しい」と頼んで出来上がってきたのが、収録した4曲です。
──15年間ほとんどメンバー・チェンジもなく続けてこられた。その一番の要因は何だと思いますか。
メンバーそれぞれが自由に演奏できる場所だから。それに尽きると思いますね。アンサンブルを大事にしようとすれば、例えば「リード・アルトに合わせて吹け」ということになるでしょう。でも、それだけでは面白くないじゃないですか。みんなが横一列に並んで、一気に走り出した時にすごい音が生まれる。そこにこそビッグ・バンドのアンサンブルの醍醐味があると僕は思っています。
曲の設計図はあるけれど、みんなが自由に演奏することでその設計図を超えていくのがこのバンドの持ち味だし、ジャズという音楽の面白さです。リーダーの役割は、それができる環境をつくることです。
──一人ひとりが自由に創造力を発揮しながら、全体で一つのものをつくっていく。これは、あらゆる組織にあてはまりそうな興味深い話です。2020年はそのメンバーを率いてツアーに出るわけですね。
3月に各地で7公演をやって、5月、6月に10公演で全国を回ります。第1部はジャズの曲、第2部は(山岸)竜之介を入れて趣向をがらっと変える。そんな構想を練っています。これまでお客さんが見たことのないようなステージになるはずですが、きっとついてきてくれると思います。
ミュージシャンの存在理由って、結局お客さんの感性の中にしかないんですよ。お客さんの感性を信じて、自分たちがやりたいことをぶつけていく。それ以外ないと思っています。
2019年12月24日公開記事を再掲
オフィシャルHP
https://makotoozone.com/
「Until We Vanish 15×15」特設サイト
https://makotoozone.com/nnh/